恋愛の14 勉強の時間

 ……カテリーナさんに話を聞いて、この世界に魔人が何人いるのかが気になった僕は、城へそろそろ切れるはずのシャンプーを届けた後に図書館へ来ていた。店を持つまでは国民として認められていなかったし、最近は仕事で忙しかったから、この中へ入るのは初めての事だ。



「凄いな」



 小学生並みの感想を漏らして、僕は館内を歩いた。24時間365日明かりの灯っているこの場所は、いつ掃除をしているのかも分からないけれど、隅々までピカピカだ。

 早速本を探そうと思い、水晶のような検索システムの前に立ったのだが、やはり僕には使うことが出来なかった。こういうところで、根本的な不便を感じるのは致し方ない事だ。



 三年前より最近の本はあまりないだろうから、なるべく分厚い、歴史と生物学について記されている本を適当に漁る。かかった時間は一時間程度。最後に辞書を持って席へ着くと、僕は目次から魔人に関する情報を探った。辞書を持って来たのは、書き言葉の読み方をあまり理解していないからだ。



「……なるほど、思ったよりも少ない」



 二時間程経って、魔人や魔物と呼ばれる為には、受精する際に染色体の突然変異が多く必要であることが分かった。

 どうやら、この世界では受精してXとYが絡み合った際に、互いの魔力が反応を起こして『M』という別の染色体が生まれるようだ。通常ではこのM染色体は一つなのだが、稀に複数個生成される場合がある。そして、その数が多ければ多いほど魔菅の生成が活発に行われ、より魔人へと近づいて行くらしい。

 世界の総人口は、本にある時点で約30億人。段階はあれど、カテリーナさんの言うマジもんの魔人の数に限れば5000人程度だと記されている。賢者が5人だとしても、魔人の時点で相当に限られた才能だ。



「と言う事は、それに比例して体は小さくなるってことなのかな」



 読み進れば、なるほど。僕の素人らしい予想も案外的外れではないらしい。

 魔菅を構成する細胞が増えるにつれて、心臓は血よりも魔力を送りだすことに意識を向けていく。それ故、筋力の低下により栄養の行き届きが一般的な人よりも不十分になる。更に、体温は常に低く、だからカテリーナさんのようにいつも眠たげな状態が続いてしまうとのことだった。

 ……ならば、ゼノビアさんってかなりのレアケースなんじゃないだろうか。そう考えて今度は別の本を開いたが、その疑問はすぐに解決した。単純な話、エルフ族は他種族よりも魔菅を効率的に動かす術を、遺伝子レベルで知っている。ありていに言えば、彼女たちは低燃費なのだ。



「あら、トモエ。こんな時間に何をしているのかしら?」



 ……ふいに僕に声を掛けたのは、実は僕らの商売に多大なる影響を与えた、美容に興味津々の前髪を切り揃えてキツネのような釣り目をした彼女だった。女王様が名前で呼ぶようになったことで、僕を「男」呼ばわりするのを止めたようだ。



「こんばんは。えっと……」



 字は読めないが、胸のプレートを見るに彼女は図書館の司書のようだ。と言う事は、この前は知識人としてあの場に呼ばれたのだろう。



「マーガレットよ。姓はないわ」

「あぁ、ありがとうございます。こんばんは、マーガレットさん」



 この人にも、苗字がないのか。



「それで、一体何を読んでいるの?」

「魔人について調べ物を。マーガレットさんは、夜勤なんですか?」

「えぇ、そうね。今は、貸し出した本を棚に戻しているってところかしら」

「この広い図書館でですか?」



 思わず、天井を見上げてしまった。



「あなたには大変でしょうけど、私たちは魔法を使えるもの。ほら」



 言うと、彼女は持っていた本を宙に投げ、指をクイと曲げた。すると、本は瞬く間に上昇し、ピタっと止まったかと思えば、平行移動をして本棚にスポっと収まった。



「本当に便利ですね」

「当たり前の事になってくると、そうも感じなくなるわ。あなただって、元の世界でいつも使っていたモノを便利だとは思わないでしょう?」



 言われてみれば、確かに。などと納得しながら、僕は次々と本を収納していくマーガレットさんの姿を見ていた。袖のないジレと白シャツにストレートのスラックス。かっちりとしたフォーマルなスタイルは、この図書館の雰囲気に合っている。



「あまりジロジロ見ないで欲しいわね」

「すいません。魔法を間近で見る事があまりなくて」

「商人は、確かにそうかもしれないわね。……そう言えばあなた、東の海へ行ったんですって?店に立ち寄った時、ゼノビアが言ってたわよ」



 あの人も、店番をしてくれていたのか。そう言えば、一日だけやたらと売り上げの高い日があったっけ。



「はい。今回は中々、成果のある旅でした」



 彼女は、本当に美容に気を使っているようだ。話してみると、こうして夜勤で働く事が多いから、何とかして今の美貌を保とうとしているという努力が伺えた。最近では、唇のケアに気を使っているらしい。



「確かに、艶も潤いも抜群で、とても魅力的ですね」

「嬉しい事言うじゃない。ほんと、商売上手な性格をしているわね」



 それほどでも、と返してから、僕たちはもう少しだけ話をすることとなった。



「ところで、マーガレットさんはいつからクレオに住んでるんですか?」

「子供の頃はここに住んでいたのだけれど、一度嫁いでから出戻りしているから三年程度ね。女王様が即位されて、遠い西の方にある『ソレロ』という国から再びここへ移り住んだの」



 ソレロは、ヒューマン至上主義の選民国家だ。彼らは、血統とヒューマン族である事を何よりもたっとぶ思想を持っていて、ある意味ではクレオよりも排他的な国であると言える。代わりに、その思想を重んじる国民であらば誰一人不自由のない生活を送る事が出来ているとか。因みに、賢者はいない。



「亡命、と言う事ですか?」

「そんな大したモノではないわよ。ただ、旦那から逃げて帰って来たってだけ。それに、私も秘密にしていた事があったから」

「……すいません、あまり思い出したくなかったでしょう」

「いいわよ。ここへ来る前に、キンタマに蹴りをくれて、二度と子供を作れないようにしてやったしね」



 恐ろしい。この国の女性は、やはり怒らせない方が得策だ。



「でも、そんな私でも思う事ってあるのよ」

「なんでしょうか」

「……本当は、私が思ってたよりも世間の男ってのは優しいのかもしれない、とかね。もちろん、そんな事全然無いのかもしれないけど、一つだけを見て全部を知った気になってたかもって。多分、図書館で働くようになったからね」



 そこに至るまでに、彼女は何冊の本を読んだのだろう。自分の常識を壊す為のエネルギーが、どれだけ大量に必要なのかを僕は知っている。



「それじゃあ、仕事に戻るわ」

「頑張ってくださいね。ついでに、三年前の新聞のバックナンバーなどあれば読みたいのですが」

「残念だけど、トモエの知りたい情報の載っている新聞はないわよ」



 何を知りたいのかは、お見通しのようだ。



「……なぜか、は知っていますか?」

「あの日、新聞社が潰れたからよ。女は、一人も働いていなかったの」



 聞いて、頭を下げる僕に手を振ると、マーガレットさんはどこかへ行ってしまった。

 新聞社が潰れた。僕はその理由がどうしても知りたくて、だから一晩中クレオの近代史を読み更けていた。しかし、分かった事はかつてあった貴族が運営していた事くらいで、それ以上の情報はどこにも見当たらなかった。

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