承の章 【僭越ながら、女王さま】

恋愛の11 記憶と帰還

「……父さん!父さん!」



 揺さぶったのは、母さんと妹の伊織いおりを庇い、瓦礫の下敷きになった父さんの亡骸なきがらで、その体にはもう、頭が付いていなかった。

 しかし、父さんは命を懸けて二人を守ったのだと自分に言い聞かせると、血だまりに手を濡らしながら必死に涙と気持ちをこらえ、僕はその下にいる母さんと伊織に声を掛けた。



「……ッ!か、母さん!伊織!大丈夫か!?」

「……と、ともえ?……無事、だったんだね」

「母さん!よかった!」



 母さんは、額から血を流しながらも返事をしてくれた。こんな時にも、なぜ僕を心配するのだろう。……伊織は、何も言わなかった。



「母さん、今この柱をどかすから!」

「ダメ、だよ。お母さん、足がもう……」

「何言ってんだよ!せっかく父さんが……っ、守ってくれたんだろ!?後は、僕が何とかするから!」



 言いながら、その場にあった木の棒を柱の下に差し込み、全力を掛けて下に押した。しかし、絡み合った瓦礫の重さでびくともせず、そうしていると、どこからともなくけたたましいブザー音が聞こえてきた。



「大津波警報。大津波警報。ただちに、高台へ避難してください。直ちに、高台へ避難してください」



 続いて聞こえてきた無機質な音声は、ブザー音と交互に響き渡る。焦燥感に駆られ、僕は血で滑る手を服に擦りつけてから、何度も何度も棒を下へ押し込んだ。しかし、どうしてか拭いた筈の手のひらの血が、ヌメりと滑って再び動きを奪った。



「……巴、行き、なさい」

「ダメだ!そんなの絶対にダメだッ!」

「行きなさい!」



 それは、ずっと優しかった母さんからは聞いたこともない、語気の強い声だった。



「い、いやだ……」

「だいじょう……ぶ、お母さんは、伊織と、ちゃんと後で行くから」

「嫌だ!絶対に助けるって……っ!」



 そう叫んだ時、僕の声を聞いたのか、隣に住んでいるおじさんが瓦礫をかき分けてやって来た。やった!おじさんは、確か自衛隊の人なんだって前に父さんが言ってたんだ!



「おじさん!母さんたちが大変なんだ!早く助け……」



 言い終わるより先に、おじさんは僕の言葉を無視して、手を掴んで外へ出ようとする。



「な、何すんだよ!……そうだ、怜音さとね。おじさん、怜音は無事なの!?ねぇ、おじさん!」

「ごめんな」

「なに……、うっ……」



 その時、僕が最後に見たのは、僕のお腹に拳を突き刺す、悲しそうなおじさんの顔だった。



 × × ×



「……また」



 どういう訳か、最近の僕は前の世界に居た頃の夢を見るようになった。ひょっとすると、僕の脳みそが女王様に迎合げいごうし過ぎしないように、緊急信号として記憶を呼び起こしているのかもしれない。



「どうした、トモエ。なんかうなされてたぞ」

「おはようございます、アグロさん。すいません、うるさくしてしまって」

「……お前、涙」



 馬車を運転する彼に言われ、服の袖で目を擦ると、確かに熱く濡れている。



「大丈夫か?何を見たんだ?」

「いえ、すいません。それに、……もう、忘れてしまいました」

「そ、そうか。まぁ、この三週間はとんでもなく忙しかっただろうからな。仕方ないさ」



 現在は、東の海への旅を終えて、クレオへ戻る道の途中だ。

 どうして彼がここに居るかと言えば、エイバーでルーシー・ブレンドの売買を終えたあと、アグロさんに新しい事業を始めると伝えたからだ。



 ――俺にも一枚噛ませろ。



 と言う事で、僕らは共同出資にて新しい会社『GOジーオームーンカンパニー』を立ち上げて、グループ企業としてゴー&ゴーとペーパームーン雑貨店の業務提携を結んだのだ。正直、彼ならそう言ってくれるんじゃないかと思っていた自分がいた事は内緒だ。



 提携の主な効果と言えば、アグロさんの持つ倉庫にルーシー・ブレンドの在庫を置き、注文があらば世界のどこへでも迅速に発送する事が出来るようになったことと、僕が仲介した商人たちの商談に、ゴー&ゴーを斡旋して取引を速やかに行えるようになったことだ。

 商業組合の重鎮のアグロさん(やっぱり凄い人だった)と、彗星の如く現れた名品ルーシー・ブレンドのシナジーは凄まじく、GO&Mカンパニーはたった一ヶ月でイスカ中に名前を轟かせる企業となった。



 そして、そんな僕らに莫大な出資をしてくれる事となった、今回の旅で仲間になったもう一人の立役者である大富豪の、その一人娘がここにいる。



「ふぁ……。あれ。主さん、クレオにはまだつかないでありんすか?」

「おはようございます、スミレさん。もう少しで、着くと思いますよ」

「そうでありんすか。……着いたら、起こしてくんなまし」



 そう言って、彼女は再び積んだ荷物に身を預けると、猫のように大きな目を閉じた。



 スミレ・ハーパー・モルガンさん。彼女は、東の果ての巨大国家、『ヘイアンステイツ』に本社を構える、『モルガン・マジックスティール』の社長令嬢だ。

 モルガン・マジックスティールは、この世界のありとあらゆる金属を取り扱う超巨大メーカーで、その影響と言えば、もし無くなってしまえば各国で行われているほとんどの工事が停止してしまう程だと言われている。



「しかし、本当にぶったまげたぞ。仲介しに行ったと思ったら、どデカいガレオン船に乗って帰ってくるんだからよ。こんなスポンサーと、どこで出会ったんだ?」



 アグロさんは、船とスミレさんを紹介した時、女王様と恋をすると言った時と同じように椅子から転げ落ちていた。



「向こうの造船所です。実は、彼女はルーシー・ブレンドを最初に買ってくださったお客さんなんですよ。今回同行しているのは、どうしてもラ・ロゼ・サファイアを直接見てみたいと言っていたからです」

「なるほどなぁ。それにしても、たった一人で抜け出して来るだなんて、相当なお転婆てんばだぜ?」

「居ても立っても居られなくなったでありんす、と言ってました。あの香りに心酔してしまったのでしょう。置手紙だけ残してきたそうなので、恐らくすぐに迎えが来ますよ」



 しかし、僕はそれが彼女の建前である事を何となく察している。本心は、女王様との面会の筈だ。

 いくら貿易網が広がったからと言って、いきなりクレオに男を連れて行けば何が起こるか分からないから、むしろ女一人で赴く事が得策であると考えてたのだろう。


―――――――――――――――――――――――――――――

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