第3話
城を出て、城下町。太陽は地平線へ完全に沈み、辺りはすっかり夜の支度を始めていた。
魔術師が生み出した消えない炎を利用した照明器具が、露店街を昼と同じくらい明るく照らしている。
いつも獣を卸している肉屋のオリバー夫人が、大声を張り上げて客寄せをしていた。やがて僕に気付き、客寄せの声と同じように僕の名を呼んだ。
「キトラ! 今帰りかい?」
人々は気にも留めず、僕の方なんて見向きもしないまま通り過ぎていく。
なのに何故か、とても気恥ずかしかった。誰かにジロリと見られている訳でもないのに、視線が刺さっているような。
自分でも顔が赤くなっていくのがわかる。
夫人の傍まで早歩きで近付くと、小柄な彼女の顔が、僕を見上げてにんまりと笑って見せた。
「やあ、オリバーさん。今日も繁盛なのはいい事だけど、僕の名前を呼ぶときは少し小さめの声で頼むよ」
「あい、気を付けるよ。城の仕事の帰りかい?」
「今日は鹿を一頭だったよ。明日は何もないから気ままに森へ入って行こうかなって」
どんぐりのような目を一層見開いて、夫人は手を叩いた。
「なら、鴨を一羽頼まれてくれないかい? 最近仕入れが悪くてねえ。今手に入ったらいい値で買い取るよ」
「頭に入れておくよ。また明日、太陽が沈む前に立ち寄るから」
「期待しているからねえ!」
じゃあ、と手を振ってその場を後にする。我が家はもう少し先であった。
父親は僕が十五の時に熊に食われて死んでしまい、母親も二年前に病気で逝ってしまった。兄弟も居ない僕は、一人暮らしをしている訳だが、寂しさには随分慣れてしまった。
街の顔馴染みや、猟師仲間たちからは、早く結婚しろとやかましい事この上ないのだが、生憎そんな相手はまだいない。
自宅は喧噪から離れた静かな路地にある。家は父親が遺してくれた。背中の猟銃と一緒に。
今は僕だけで暮らしているせいで、少し広すぎるとも思う。だが大切な資産だ。思い出も詰まっている。
鍵を差し込んで、ドアノブを回す。誰もいない部屋。慣れきった一人きりだった。
帽子を脱いで猟銃を壁にかけ、暖炉に火を熾す。緑が芽吹いてきたからといって、まだまだ夜は冷える。
照明器具のスイッチを入れると、月明かりと熾り始めた暖炉の火だけだった部屋は、一気に明るくなった。
キッチンは暖炉と反対側に位置し、部屋の中央に構えるのは大きめのダイニングテーブル。椅子の数は四つ。
二階には部屋が二つあり、一つは僕の寝室。隣は両親の寝室であった。今は客人用の部屋になったが。
暖炉の部屋を抜けると風呂とトイレがあり、全てに掃除が行き届いている。
暖炉の傍に揺り椅子があり、傍には小さなテーブルがある。その上には父上がよく燻らせていたパイプと灰皿が置いてあった。揺り椅子に腰かけ、パイプを眺める。
まだ煙には慣れず、好ましいとも思えなかった僕は、そのまま記憶の片隅と共にここに置きっぱなしにしてあったのだ。
コンコンコン。コンコン。
ドアを三度、続けて二度ノックされた。この音は随分昔に二人で決め合った合図だった。
揺り椅子から立ち上がって玄関を開けると、そこに立っていたのはやはりラオだった。
家が隣同士の僕らは所謂幼馴染で、親を失ってから何かと世話を焼いてくれていた。
例えば家事。僕は家の事は出来ない。できるとすれば精々洗い物くらい。
例えば朝。僕は朝が極端に弱い。早くから出かけないといけない時は、決まってラオに頼んで起こしてもらっている。
「ただいま。鴨肉ちょっともらって来たよ」
「それは、とても豪華な食事になりそうだ」
零れるように笑うと、キッチンへと向かって行った。僕は揺り椅子に戻り、パチパチと燃える暖炉を眺めていた。
我が家の家具や食器の位置は、全てラオも把握している。むしろラオの方が詳しい。僕がいかに何もできないかを物語っている。
じゅうじゅうと焼けてくる音と、焦げたバターの匂いが部屋いっぱいに広がる。生唾を飲みこんで、細やかながらにお茶の準備だけを始める。
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