12. 大団円

 その後、ブランチを終えた二人は、人で賑わう街中に精力的に繰り出した。


 第一目的は、当然、くだんの人形作家ゆかりのデパートや小規模展示会の梯子ハシゴであり、大伯母は、(一応)横浜市内在住である弥々子ややこよりも、余程、情報通だと改めて思い知る。


 途中、目に付いた小物雑貨店では、ショーウィンドウに飾られたマイルドなクリーム色のマグカップが、ガラスの陳列棚に堂々と鎮座していた。


「……」

 いやいや。そんなはずはない。


 どこにでもある、ごく普通のマグカップだ。じっと穴が空くほど目を凝らしても、カップは相変わらずマイルドなクリーム色をしているし、微動だにすることもなかった。


 雑貨店から、ガラス扉を隔てて続きにあったのは、可愛らしいアクセサリーが並ぶ天然石のお店だった。

 天然石とうたいつつ、実際には、キラキラしい人工石と思われる手頃な価格の小物から、少々怪しげな本物の水晶クラスターまで、多岐にわたる品揃えに、キラキラ小物が好きなお年頃である弥々子は、買う気はないが、じっくりと見て回る。


「いらっしゃいませー。どうぞ、ごゆっくりご覧くださーい」


 少し鼻にかかる甲高い声が店内に響く。視線を上げると、店の雰囲気に合わせているのか、ばっちり化粧で黒いとんがり帽子を被った、コスプレ感漂う明るい茶髪の店員さんが、陳列棚を整理していた。


「……」

 いやいや。違う、違う、違う。


 黒いとんがり帽子に、一瞬どきっとした弥々子だったが、店員さんは、チャムちゃんとは似ても似つかいない、ごく普通の派手な女の人だった。


「何か、気になるものでもあったの、弥々子?」

 天然石の店で、呆然としている弥々子を見つけた大伯母が、不思議そうに尋ねたが、当の弥々子は小さく首を振るばかりだった。


 楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。空が夕闇に染まる頃になって、二人は、ようやく佐藤家に帰宅した。


「ただいまー」

 弥々子たちが外出している間、母親は必死で家中を片付けていたようだ。普段よりも幾分すっきりとしたリビングダイニングでは、既に夕飯の準備が概ね整っていた。

 手伝ってちょうだいと言われた弥々子が、コップ類を出すために戸棚に手をかけた時だった。

「……。うぇ?」


 目の前の棚には、マイルドなクリーム色をしたマグカップが、どーんと鎮座していた。


「え? ええ? 何、何で、このカップ……!」

 あわあわと落ち着きのない弥々子の様子に、首を傾げた母親が、マグカップを見て、更に怪訝な表情を向ける。


「何って、それ、弥々子のお気に入りでしょう? 最近は使ってなかったみたいだけど、ちゃんと洗ってとってあるわよ。変な子ね」


「……」

 そんな、馬鹿な。


 まさかが、我が家にあったとは……。弥々子の驚きは、もはや言葉にすらならない。


 大伯母は、そのまま賑やかな夕飯の席を相伴しょうばんし、それから弥々子に小さな包みを手渡しながら「スモールプレゼント」と言い残して、嵐のように颯爽と佐藤家を去っていった。

 その前に、弥々子の直系のおばあちゃんから、大伯母に直接電話がかかってきて、随分と怒られていたが、肝心の当人は、どこ吹く風というで、最後まで飄々としていた。

「何というか、本当に嵐みたいな人だな……」

「そうね……」

 両親は、この一日で随分とぐったりしてしまった様子だ。父親など明日からまた一週間、仕事のはずだが、げっそりとやつれてしまっている。


「手紙でこれなら、メールやLINEなんて交換したら、一体どうなってしまうのかしら」


「……」

 ぽつりと呟いた母親の言葉には、さしもの弥々子も言葉を失くした。

 便利な未来道具など一切不要で、翌日にでもひょっこり現れかねない。何だったら、三者面談の日にも現れるかもしれない。大伯母は、そういう人だ。


「絶対、余計な騒ぎになるから、それだけは遠慮したいわね」

「あー、うん……そうだね」

 頭でっかちな思考回路の担任が、大伯母と対峙して大慌てするであろう様を少しだけ見てみたいと思ったことは、自身の胸の内に秘めておいた。


 大伯母が残していった小さな包みを、弥々子は部屋に戻ってから徐ろに開いてみる。包みを剥ぐと小さな小箱が出てきて、出てきた箱を開くと、小さくて丸い赤い石が編み込まれた細いブレスレットが入っていた。

「あれ、この色……」

 不思議な世界の不思議な占い師、チャムちゃんが首から提げていた、大きなペンダントと同じような、角度によっては毒々しくも見えるオレンジがかった赤い石。一緒に入っていたメモには、大伯母直筆のメッセージが添えられていた。


「これはね、カーネリアンという石よ。元気と勇気の象徴とでもいうのかしら。ちょっぴり臆病な弥々子には、ぴったりのパワーストーンじゃない? 大事になさいな」


 滑らかな筆跡から滲む大らかな気遣いが、じんわりと弥々子の胸の奥を打つ。そして、やっぱり無性に泣きたくなった。

 弥々子には、まだ薄ぼんやりとしている世界が、周りの大人には、ちゃんと見えているのだ。何度だって、思い知らされる。そしてそれは、どこかできっと不思議な世界にも通じているはずだ。

 熱くなるまなじりに押し付けた赤い石は、冷んやりとしていて心地良い。そして眼裏には、掴みどころのない不思議な女の子の面影が蘇った。


(不幸どん底じゃないと会えないなら、当分、会えないかもしれないな……)


 不幸どん底になっている場合ではない。弥々子には、これから、やらなければならない課題が山積みなのだ。

 その最初の一つが、進路希望調査の書き直しと、今月半ばに控えている三者面談に向けての、それから担任の『逆』説得だ。

 希望の進学先は、これから選んで絞っていかないといけないから、今すぐに用紙を書き直すわけにもいかない。両親にも、そう正直に打ち明けよう。

 受験まで、まだ一年以上先だとしても、きっと、その一年なんてあっという間だ。時間が惜しい。


「弥々子——、ちょっと降りてきて——」

 階下から母親の呼ぶ声がする。


「はあ——い」

 ぐいっと目を擦り、もらったばかりのカーネリアンのブレスレットを手首に括り付けて、弥々子は部屋を飛び出すと、そのまま階下へと駆け降りていった。




                事例ケース、一。佐藤弥々子の場合 幕

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