11. 回る回る運命の輪

 両親が「待て」という前に、弥々子ややこは、嵐のような大伯母に颯爽と連れ去られて、気が付くとタクシーに乗せられ、市内中心地に向かって走っていた。

 途中、チェックインする予定のホテルのフロントに、年季の入った旅行鞄を預けると、大伯母は再びタクシーに乗り込んで、目的地も告げずに弥々子を連れ回す。


(一歩間違えると誘拐——確かに、そのとおりだ)


 小さい頃は、それ自体がアトラクションのように思えて、ただただ、楽しくてワクワクしていたものだが、親戚一同は、さぞかし肝を冷やしていたことだろう。十四歳になった弥々子にも、多少は両親の苦労が理解できた。


「弥々子、大きくなったわねえ。もう将来に悩むお年頃かあ——月日が経つのは早いものねえ」


 感慨深く頷きながら、大伯母は何やら流暢な英語でペラペラと呟くと、ふーっと長い息を吐いた。

 細身のパンタロン姿で、ゆったりと足を組む様は粋で、老人と呼ぶのは失礼だと思うほど若々しい。

 年相応に、全体的に肉が削げて痩せているけれど、シワを刻む頬の血色は良く、若造りすることはなくとも、身なりをきちんと整えて、何よりも溌溂ハツラツとしている。

 弥々子から見ても、大伯母は素敵な女性だ——色々と、規格外だが。


「どこ行くの?」

「んー? ご飯が美味しくて、弥々子が好きそうなところ」


 答えになっているんだか、いないんだか、大伯母は口を大きく横に開いて、どこか日本人離れした表情で、にっと笑う。

 戸惑いながら眺める車窓から見えるのは、これぞ横浜と言わんばかりの観光密集地「みなとみらい」の賑々しい建物群だ。


「ねえ、どこ行くの?」

「さあ、どこでしょう?」


 大伯母は相変わらず読めない笑みを浮かべたまま、外国人墓地を少し過ぎたあたりでタクシーを降りて、颯爽とおしゃれな街中に繰り出していく。


 ピンと姿勢良く闊歩する老婦人の後ろ姿は、決して大柄な人ではないというのに、一際目立つ。つくづく不思議な人だと、弥々子は思った。


「さあ、ここですよ。ブランチにもってこいの時間になったわねえ」


 連れてこられたのは、大通りから数筋外れた閑静な住宅街の中に、ひっそりと佇む二階建ての建物で、一階には慎ましい看板と、どこか洋風なシャッターが下りた窓の他は、愛想のない階段だけが出迎える街角だった。


 多くの人は、あえて目も留めないような場所だろう。


 だが弥々子は、刮目して慎ましい看板を凝視した。そこに描かれていたのは、弥々子が愛してやまない作家の、木彫り人形たちのイラストだったからだ。

「ここ……っ!」


「ふふふ。良い反応だこと。連れてきた甲斐があるわねえ」


 キラキラと両目を輝かせて、鼻息荒く看板を凝視している弥々子を促し、大伯母は手摺てすりを掴みながら、ゆっくりと階段を上がっていく。

 一階は、見た目はおしゃれでも愛想も何もない建物だが、二階に上がると、そこは異国情緒漂う可愛らしい看板と照明が出迎える、小洒落たダイナーであった。


「いらっしゃいませー」

 カラン、コロンとドアベルが鳴り響くと同時に、店内から感じの良い挨拶が聞こえてくる。

 そして、入り口から要所要所で出迎えるのは、昨年、老舗デパートのショーウィンドウに飾られていた一部の人形たちであった。


「おばあちゃん、ここ、何? 何で……!」

「おやおや。少し落ち着きなさいな」


 半個室風の席へ案内されると、壁の飾り棚ニッチにも、小さな人形が、お行儀よくお座りしている。弥々子は爛々と輝く視線を、そこかしこに走らせて興奮したままだ。


「デパートや展示会から引き上げた作品の一部を、ディスプレイ兼保管として、試験的に貸し出しているんだそうよ」


 ここは、くだんの作家のプロジェクトチームに関わっているスタッフの一人が、経営しているお店だという。

 それを聞いた弥々子は、鼻血を吹きそうな勢いで、ソワソワと周囲を見回して、落ち着くいとまがない。


「ご注文は、お決まりでしょうか?」

 愛想良くオーダーを取りに来た店員に向かって、すっかりと興奮してテンパった弥々子は、脳内を整理する前に口走っていた。


「弟子にしてください!」


 間。


「えっと……」

 困惑する店員と、大笑いする大伯母。そして、口走った直後、我に返った弥々子は、そのまま真っ赤になって押し黙った。


「ほんと、面白い子だねえ、弥々子は」


 最初のサラダが運ばれてきた時、ちょうどカラコロとドアベルが鳴り、次のお客が入ってきた。弥々子はサラダを頬張りながら(他にお客が居なくて良かった……)と心底思った。


 何で、唐突にあんなことを口走ってしまったのか、自分でも理解できない。

 ここは夢のような空間だが、あくまでも人形はディスプレイで、ここは食事処で、店員さんは作家じゃない。

 そんなことは、少し考えれば分かることだ。

 分かることなのだが——


(やらかしたぁぁ——っ!)


 頭の先までカッカとしながら、弥々子は気持ちを紛らわせるように、猛烈な勢いでサラダを平らげていく。

 対照的に、向かいに座る大伯母は、カトラリーを上品に持ち、少しずつ食事を口に運びながら、静かに微笑んでいた。


「その歳で、そこまで夢中になれるものがあるっていうのは、素敵なことだわ、弥々子。大事になさいな」


「え?」


 大伯母の老いた眼差しは、どこまでも深く澄んでいて、落ち着きとともに、長い歳月を見つめてきた風格が感じられる。

 きっと、今の弥々子には見えないものが、大伯母には見えているのだろう。


「本気で、やりたいと思うなら、迷わずに突き進むべきね。だけど、無鉄砲と闇雲はいけないわ。まず、自分に何が足りなくて、今この瞬間に何をすべきか、大事なことは一人で決めずに、必ず周りの信頼のおける人に相談すること」


「はい」


「弥々子の進みたい道は、決して平坦な道じゃないわね。少しでも気持ちが揺らぐようじゃ、とてもじゃないけど全うできない厳しい道よ。だけど、とてもやり甲斐はある。

 今の弥々子に大事なのは、その厳しい道のりを突き進むための準備と、何があっても決して揺らぐことのない覚悟を持つことね」


「……」

 その一番大事な部分が、今の弥々子の中では、まだふわふわと頼りない。簡単にめげるし、愚痴は出るし、何よりそこまで性根が座っていない。


 ——悪くないと思うわよ、『チェコで修行して世界一の人形作家になる』だっけ?


 しかしそれでも、今の弥々子の脳裏を巡るのは、担任のありきたりな説得ではなく、不思議な女の子のお気楽な言葉エールだ。


 ——あとはまあ、語学と経験よね? 頑張れー


(そう。それが、今のあたしに足りないものだ)


「うん。無鉄砲はだめだ。お父さんとお母さんには、またちゃんと相談するけど、彫刻を専攻できる芸術学校行って、たくさん作品作って、勉強して、それから海外留学する」


 背筋を伸ばして、真っ直ぐに顔を上げた弥々子の両眼の奥には、小さいけれど確かな決意が灯っていた。


「多少なら援助してあげるけど、その夢には、資金繰しきんぐりも、しっかり考えていかないと——ね?」


「し、資金繰り……」


 まだ中学生の弥々子には、よく分からないが、お金がかかることくらいは理解できる。父親が額を押さえながら唸る姿が、容易に想像できた。


 高校生になったらアルバイトも視野に入れながら、どこまで何ができるだろう。

 受験まで一年以上あるけれど、考えることは、どうやら今から山積みだ。頭を抱えながら、うんうん唸る弥々子の目の前に、次のお皿が運ばれてきた。


「さあさあ。せっかくなんだから、お料理を堪能しないとね」


 朗らかに笑う大伯母は、何だか、とても楽しそうに見えた。

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