10. 佐藤家の女傑は神出鬼没

 父親曰く、大伯母さん——佐藤福寿さとう ふくじゅは、傍系ぼうけいまで含む歴代佐藤家の面子メンツの中でも、ずば抜けた女傑であるという。


 時代を遡ること、一九四五年。

 親戚一家とともに、アメリカ本土の日系人収容所の中で終戦を迎えた、当時十歳の大伯母は、戦後日本へ送還されたものの、その後、外資系企業の通訳兼秘書として再び渡米し、今日まで逞しく生き抜いてきた、元祖バリキャリ系ウーマンである。


 時折、思い出したように日本に戻ってきては、また嵐のように去っていく、神出鬼没のお騒がせでもあるのだが、親戚一同の中でも、どうしたわけか、赤ん坊の頃から弥々子ややこのことを最も気に入っていたという。


「まあ、実際よく面倒みてくださっていたものね」

「何かと構いたがるから、いい加減、お袋に怒られていたな」


 弥々子にしてみれば、躾に厳しい実の祖母よりも余程、親しみを覚えている人だ。いろんな所に連れていってくれたし、楽しい話をたくさん聞かせてもらった。

 くだんの人形作家が、有名になる前に公演した、操り人形芝居に、初めて連れていってくれたのも、大伯母なのだ。


「自由な人だけど、無断で弥々子を連れ出すのは勘弁してほしかったな。一歩間違えたら誘拐と同じだからなあ、あの人のやり方は」


「本当にね……」


 そんな騒動も、老年になり仕事を引退してからはナリを潜めた。

 老後も相変わらず海外を拠点にして、のんびりと余生を過ごしながら世界一周旅行を満喫しているからなのだが、それが弥々子の進学の時期と重なり、すっかりと疎遠になってしまっていた。


(どうして、今まで失念してたんだろう)

 ろくに周囲に気が及ばない程、目の前に押し寄せる現実に呑み込まれていた。それに気が付き、弥々子もまた愕然とする。


(そうだ。手紙を書こう)

 ぱっと視界が開けたような気分になり、弥々子は、差し出された絵葉書を裏返した。

 流暢な英語と、達筆な日本語が入り混じる不思議な文字が、大伯母らしい。

 思い立ったが吉日とばかりに、弥々子は葉書に記された住所を見ながら、拙くも英文を書き写して手紙を書き、翌日には投函していたのである。


「弥々子の人生だから、弥々子の好きに生きたら良いとは思うけど、もう少し具体的に何がしたくて、どうしたいのか考えた方が良いと思うわ」


「そうだな。今のままじゃ、とてもじゃないが将来の生計が立たないのは、弥々子も分かっているだろう?」

「うん……」

 弥々子に足りないのは、語学と経験——。

 先刻、不思議な世界で、不思議な占い師のチャムちゃんにも指摘されたことだ。じゃあ、足りないそれらを補うには、一体どうしたら良いのだろう。


「好きなことを仕事にできれば、それは素敵なことだけど、好きだけで上手くいかないことが多いのは、事実だものね」

「うん……」

 それでも、やっぱり担任の薦める進学先には、弥々子のやりたいことは、ない気がする。


「まあ、先生の心配も分からんではないな。まさか進路調査欄に『チェコで修行して世界一の人形作家になる』だけ書いてあったら、驚きもするだろう。本当に大胆なことをするな、弥々子は」


「……」


「次からは、提出する前にちゃんと親に見せなさい」

 両親の言い分は、もっともだった。


「反対されると思ったから……」

 ボソボソと肩をすくませて呟く弥々子の言葉に、両親は呆れた調子で「何言ってるの、この子は」と漏らした。


「未成年が何言ってるの、全く。コソコソするだけ無駄なんだから、そんなことに労力使う前に、ちゃんと相談しなさい!」


「はい……」

 大伯母に限らず、佐藤家は変わり者ばかりなんだろうか。

 一般家庭では、もっと悶着しそうなものだが、怒るポイントは、そこで本当に合っているのかと、当事者ながら、弥々子は小首を傾げるばかりだった。

「……」

 しかし、あれだけ悶々と悩んで、一人落ち込んでいたネガティブスパイラルは何だったのかと、両親の反応を目の当たりにして、呆気に取られてしまう。


 こんなことなら、もっと早くに告げていれば良かった。

 どこか肩の力が抜けて、ホッとすると同時に何だか無性に泣きたくなった。


 そして、手紙を投函してから僅か四日後。

 神出鬼没と悪名高い大伯母、佐藤福寿が、横浜市内某所にある佐藤家を突撃訪問したのである。


「ハーイ、弥々子——! 元気ィ——?」


 日曜日の朝から、華やかな鍔広つばひろ帽子と、派手なサングラスが主張するテンションMAXの老婦人が、年季の入ったヴィトンの旅行鞄を引っ提げて、佐藤家の玄関を立ち塞いでいた。


「大伯母さま、何事です?」

 目を白黒させる母親と、もはや言葉もなく、額を抑えながらスマホを握った父親をよそに、髪の毛ボサボサのままの弥々子が、二階から降りてくるのを目撃した瞬間、老婦人は大きく両手を広げて見せた。


「おばあちゃん!」

 正しくは「大おばあちゃん」だが、弥々子にとっては同じことだ。


「えっ、何で、どうして急に?」


「弥々子からのエアメールを無碍むげにするわけ、ないじゃなーい! 受け取ってすぐに飛行機予約して、すっ飛んで来ちゃったわよ!」


「ええ——っ」

 米寿に手が届くとは思えないフットワークの軽さである。


 さすがは、佐藤家随一の女傑、神出鬼没は伊達ではないらしい。


「か、片付いていません……けど」

 口から泡を拭きそうな母親の狼狽ぶりに、大伯母はバッチンといかにも外国ナイズされたウィンクを一つ飛ばしただけで、気にも留めない。


「ああ、ノープロブレム! ホテルくらい、ちゃんと予約して来てるから! それより、弥々子! ちょっとブランチでもしながら、詳しく話をお聞かせなさいな!」

 キラキラと眩い真夏の太陽のような陽気さで、大伯母、福寿は発声もよろしく可愛い弥々子に声をかけた。


「……」


 何で、こんなに自己主張の強い大伯母の存在を、今まで忘れていられたんだろう——。急に照りつける日向に放り出されたような面持ちの弥々子は、ひっそりと、そう自問した。

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