08. 全てをマクラにぶつけよう

 ——佐藤さんのためなのよ。


「あたしのためって、何なんだよ——っ」


 ——先生は佐藤さんの味方だから、何でも相談してほしいの。


「あたしの何を分かってるって言うんだよ——っ」


 ——佐藤さんの夢を否定するわけじゃないの。でもね、現実的じゃないって、分かるでしょう?


「現実逃避なんか、してな——いっ」


 ——ほら、この学校なんか、佐藤さんに合ってると思うんだけど。


「勝手に決めつけないで——っ」


 次々と飛び出してくるマクラを、一つ一つ確実に落としていく。

 気がつくと、家中にマクラの中材と思しき羽毛やら綿やらが散乱し、宙を舞っていた。

 異国情緒漂う現実離れした内装のリビングは、まるでスノードームを揺さぶったように、白い羽毛や綿毛が舞い散る幻想的な風景に変わっていく。様変わりしていく自分の家を、チャムちゃんは物陰から、ただ、じっと見守っていた。


 ——佐藤さん、まじ面白いよね。


「上っ面だけで親しげにしてくんな!」


 ——この前の授業のノート、ちょっと見せて。


「テスト前だけ友達ヅラすんな!」


 ——あ、ちょっとこれ借りていい?


「早く貸した物返せ!」


 ——佐藤さんって、こういうの好きなんだ、イガイー。


「ヒトを見た目で判断するな——!」


 押し込めて、押し込めて、押し潰して硬い岩盤のようになってしまった感情までが、熱せられて、溶岩のように流れ出す。それはとうとう、まなじりにまで溢れ出していた。

 そうして、吐き出すドロドロとした感情の隙間から、懐かしい無邪気な思い出が、時折ひょっこりと顔を覗かせる。


 温かみのある木彫りの人形が、操り糸の下で楽しげに遊び、お愛想する——それは、心の奥底に大事に仕舞い込んできた、全ての始った瞬間の思い出だ。


「はあ……、はあ……」

 最後のマクラを叩き落し、ようやく家の中は静かになった。そこら中にマクラの痛々しい姿が転がっていて、羽毛や綿毛が舞い降る中で、ピクピクと、か細く痙攣している。

「……」

 全てを吐き出し切った弥々子ややこは、両肩で激しく息を吐きながら、ぐっと両目を擦り、そして、ゆっくり深呼吸を繰り返した。

 まるで、憑き物がとれたかように、スッキリとした表情とともに、自然と背筋が伸びていた。


「何か、吹っ切れた……」


 辺り一面、ふわふわの白い海だ。その中に、一緒に埋もれていたチャムちゃんが、ケホケホと咳き込みながら立ち上がる。


「そりゃ良かったね。で、どうすんのコレ」


 弥々子はこの時、すっかりとチャムちゃんの存在を忘れていた。


「あ、えっとぉ……」

 立ち上がったチャムちゃんは、またもや大人っぽい雰囲気を醸し出す少女の姿に成長していた。着丈の合った黒い服のあちらこちらに、白い綿埃をくっつけたまま徐ろに両手を組んで、仁王さまの形相で、弥々子の前に立ち塞がった。


「あたしも手伝うから、ちゃんと片付けてから帰りなさいよ、やっこちゃん……?」

 大きくなったチャムちゃんの背後に、あるはずのない燃え盛る炎の幻が見える。


「うっ。やっぱり?」

「当然でしょ。ほら、キリキリ片付けるよ!」


 咳き込みながら、チャムちゃんがひらりと手を翻すと、そこには掃除機が握られていた。瞠目する弥々子には、掃除道具を投げてよこして、さっさと片付けにとりかかる。

「何であたしも掃除機じゃないの——?」

 弥々子が投げ渡されたのは、雑巾とバケツのセットだった。


 しかしチャムちゃんは、完全無視を決め込んで、よく見ると、いつの間にやら耳栓らしき物を両耳に詰めていた。


 『聞く耳を持たない』を、分かりやすく態度で示すその姿勢に、弥々子はムッとしたが、チャムちゃんは一向に取り合わない——ので、諦めた。


「あーあ。何でこんなことに……。勉強だ、受験の準備だなんだって、家の掃除サボってたツケなのかなあ」


 あー、しんどい。まだ、終わんない。


 五分も経てば、愚痴ぐちが、ぽろぽろ飛び出してくる。ちらりとチャムちゃんを盗み見れば、そちらは相変わらず、ガーガーと掃除機をかけている。

 しかし、羽毛も綿も、マクラの残骸も、まだまだそこら中に散らばっていて、リビングダイニング、キッチンに至るまで、白い羽毛と綿毛の海だ。終わりが見えない。


「——やーめた。終わるわけないじゃん、こんなの」

 ぼっすん。


 雑巾を放り出した弥々子の後頭部を、そこそこ重量感のある何かが直撃した。振り返ると、何とマクラである。しかも出どころは、チャムちゃんの掃除機だった。

「へ……?」

 チャムちゃんが、掃除機でボロボロのマクラと羽毛やらを吸い込むたびに、後ろから勢い良く新品のマクラが、ぴょんぴょん飛び出してくる。

「何してんの?」

「お掃除」

 チャムちゃんは片方だけ耳栓を外して、淡々と告げる。


「あらぁ、ひょっとして掃除もロクにやったことないの? やっこちゃん」


 器用に片方だけ、目を眇めるチャムちゃんの声音は、妙な艶っぽさを滲ませながら、どこか小意地の悪い含みが感じられる。


「や、やったことあるに決まってんでしょ! ただちょっと、最近はサボってただけだし……!」


「ふーん? 最近? サボってるのは掃除だけじゃないでしょ? 、でしょ?」


 チャムちゃんの地球色の双眸アース・アイが、じっと眇められる。全てを見透かすような視線が、サクッと弥々子の胸を突き刺した。


「何で、知ってんの……?」


「ダテに占い師やってるワケじゃないの。無駄口叩いてる元気があるなら、とっとと片付け済ませちゃって」


 大きな黒いとんがり帽子から溢れる、ふんわりとした亜麻色の髪を肩越しに払いながら、チャムちゃんは鼻先で嘲笑う。

 弥々子と殆ど変わらない背格好だが、年齢不詳の妖しさは、見た目以上に慇懃無礼な態度に映った。


「何よ、偉そうに命令しないでくれる !? あんたが何者か知らないけど、それ、超ムカつくんですけど!」


「あらぁ、逆ギレ? やること片してからにしなさいよ」

 弥々子の怒りを、チャムちゃんは一笑して跳ね返した。


 その態度が余計に癪に触り、弥々子は、拾い上げた雑巾を思いっ切りチャムちゃん目掛けて投げつけた。

 しかし、チャムちゃんの細い指先が、ひょいっと弧を描くと、雑巾は、くるりと宙返りしてピッチャーに向かって戻ってきた。


「ぎゃあっ」

 びったーん、と顔面にクリーンヒットする。


 ライナー性の当たりで戦意喪失した弥々子は、仕方なくお片付けを続行する——しかなかった。

 釈然としない気持ちは地底のマグマのように、沸々と胸の奥深くで沸いているが、噴火に至るまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 チャムちゃんが掃除機をかけた後の床を、逐一、拭いて回っている間、穏やかでないのは、結局、弥々子一人なのだ。

「ったく、どんだけあんの、この羽毛め!」


 拭けども拭けども、家具の隙間からふわふわ漂い出てくる羽毛は、キリがない。

「あー。喉が、イガイガする」

 目は痒いし、喉は痛いし、這いつくばりながら、羽毛と変わらない量の愚痴が弥々子の口から溢れ出る。


「手首が、いたーい」

「やっこちゃん、うるさい」


 始めの方こそ、よくもまあ、それだけ出てくるなあという程、言いたい放題だった弥々子だが、そのうちに文句もピタリとやんだ。

「……」

 チャムちゃんが、そっと様子を伺うと、弥々子は、ただひたすら黙々と拭き掃除に没頭していた。


(ほんと、素直じゃないんだから)


 気が付くと、掃除を始めてから、小一時間が経過していた。

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