07. お悩みさん いらっしゃ〜い

 弥々子ややこの目の前で、チラチラと赤く灯る細長くいびつな雫型をした棒をテーブルに乗せて、小さなチャムちゃんは、「よいせ」と言いながら椅子に座ると、ぶらぶらと足を宙に遊ばせる。


「やっこちゃんも座るだに」


「……」

 怪しさ満点の占いスタイルを披露するチャムちゃんは、大き過ぎてずり下がるとんがり帽子を、くいっと持ち上げて、弥々子に目の前の席をすすめた。

 人の機微きびに敏感だという透明な棒は、一度、透明に戻ると、ぴたりと動きを止めて直立する。そして、弥々子が見つめる先で、再びゆらゆらと揺れ始め、「佐藤さん」と

「……っ!」

 その音は、弥々子の担任と同じ『声色』をしていた。延々と繰り返される担任の説教じみた説得に、弾かれたように顔を上げた弥々子は、強張りながらも、どこか青ざめ、そして段々と敵意を露わに、表情を歪め始める。


「ふーん。なるほど。これが、やっこちゃんのお悩みかに」

 目の前で振動する棒は、ゆらゆらと不規則に揺れながら、今度は青く色づいた。


「青い憂い——それから、その向こうに、お先真っ暗が出ているに。この『声色』には、欺瞞ぎまんが滲んでるに」


「……」


 テーブルに肘をつきながら、チャムちゃんが時折、突っつくと、透明な棒の揺れ方と振り幅が変わる。まるで遊んでいるような光景だが、地球色の双眸アース・アイには、揶揄いの気色はない。

「やっこちゃん。腹の中に抱えてるもの、出してみるだに」


「腹の中……って、何よ」

 じっと向けられる、深い青に茶褐色と緑の織り混ざった地球を嵌め込んだような虹彩の、あまりにも物怖じしない真っ直ぐさには、強い意思が宿っている。ただ見つめられるだけで、弥々子の内側に隠れている本心が怖気付いた。


 細長く、少し歪な雫型をした透明な棒は、次第に軽快に振れ、発する音は、弥々子にとって、深く心に根ざした音楽となって、優しく鳴り始める。

 夜空の星に祈れば、いつか願いが叶うという内容だ。


「良い曲だにぃー」

 間延びした呑気な声音で、チャムちゃんは、亜麻色の髪をふわりとさせながら、棒の奏でる曲に耳を傾ける。二人の目の前で、透明な棒は、ほんのりと緑に色づき、揺れる残像には、楽しそうに動き回る木彫りの人形が現れる。

「この人形……」

 ゆったりと手を振りながら、愛想を振りまく人形と、それを操る柔和な笑みを浮かべる女性の姿が現れて、瞠目して驚く弥々子が、次の瞬間には、くしゃりと泣きそうな表情を見せた。


「緑の空想に、真っ白な真実——。なるほどにゃー」

 小さなチャムちゃんが棒を突く度に、ほのかに発光する白色が、徐々に強くなっていった。


「やっこちゃんの夢は、壮大だにねぇー」

 ニヤニヤと、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべるチャムちゃんに見られていることに、ようやく気付いた弥々子は、我に返ってカッカと上気する。


「何が占いよ! こんの、根性わる……っ」

「にゃっ !? 」


 カッカとしたまま、弥々子が暴言を吐く前に、チャムちゃんは、何かを察した様子で、とんがり帽子をピンと立てた。

 開けっ放しの窓を振り返り、慌てて椅子を飛び降りて駆け寄ると、程なく表情を強張らせ、逆噴射したロケットみたいな瞬発力で、窓際から後退った。


「えっ、えっ、何してんの?」

「大変だに! マクラの逆襲だにぃ——!」


「はい?」

 あわあわと震えるチャムちゃんの指先を振り仰げば、お空の向こうから、白いマクラが徒党を組んで飛来する様子がうかがえた。

 夜空にマクラが、ぶんぶん唸っている。

「何、あれ……」

 その光景には、ワルキューレの行進、あるいはスター○ォーズのテーマ曲が、よく似合う。

 唐突に押し寄せる非現実に、呆気にとられている弥々子をよそに、チャムちゃんは、再びロケットのような瞬発力で窓に飛びつき、急いで閉めると、がっちりと二重に施錠した。


「マクラが仲間を呼んで、特攻仕掛けて来たに! はあぁ、えらいこっちゃにぃ——!」


「待って。何言ってるか、よく分かんな——」


 間一髪。窓に背を向けたチャムちゃんの後ろでは、マクラがぼっすん、ぼっすん、窓ガラスにぶち当たっている。

 さすがに、元が柔らかいマクラでは、窓破りは出来ないようだが、マクラは諦めることなく、それが唯一の勲章であるかの如くぼっすん、ぼっすん体当たりを繰り返している。


「……」


 何、この世界。

 意味が分からない——。


 しかし、健気にすら思えてくるマクラの、ひっきりなしの体当たりを目の当たりにしているうちに、段々と、弥々子の胸の内にくすぶっていたモヤモヤが変化し始める。

 少しずつ、身体がぽかぽかと温まり、地球の奥底で対流するマントルみたいに、全身に、今まで感じたことのない感情が巡り始める。

 次第にそれは、目からビームなり、両手から波動拳なりを繰り出しそうな高揚感となって、弥々子をすっぽりと包み込んでいた。


「やっこちゃん、どうかしたかに?」

 背後が静かになり、窓の外を確認したチャムちゃんが、ふーっと額を拭いながら振り返る。


「……」

 いつの間にか、マクラの大群は窓辺から姿を消していたが、彼らは、その場を去ったわけではなかった。

 マクラは、エントツを通って暖炉から次々に、リビングへ突入してきたのである。


「あにゃ——っ!」

 チャムちゃんは、悲鳴をあげて素早く物陰に隠れた。


 しかし、土壇場で腹の据わった弥々子は、その場を動かず、真っ直ぐに暖炉を見つめていた。

 そして、細いエントツを通って、一つずつ飛び出してくるマクラを、まるでバッティングセンターのボールくらいにしか思っていない鮮やかさで、片っ端から叩き、そして蹴り落としていく。


「喰らえ——っ、弥々子パーンチ!」


 ぼっすんと、弥々子の拳が、深々と枕に突き刺さった。

 拳のめり込んだマクラからは、羽毛とともに、今まで浴びてきた数々の心ない言葉が漏れ出てきた。それを弥々子は、ことごとく叩き潰していく。


 ——佐藤さんは、やれば出来る子だって、先生ちゃんと分かっているから。


「担任の分からず屋——っ! 勉強勉強って、それしかないのか——!」


 ——先生もね、学生の頃はたくさん悩んだの。選択肢は、多いに越したことないのよ。絶対、役に立つから。


つぶしの効く人生って、何なんだよ——っ!」


 ——ほら。この学校なんか、ちょっと難しいけど、入れたら将来の展望が開けるわ。


「ヒトの進路を勝手にゴリ押しするな、バカ——っ!」


 ——先生にはね、佐藤さんが、ちゃんと前を向いていないように見えるの。


「あたしの話も、ちょっとは真面目に聞いてくれ——っ!」


 攻撃を繰り出す技名としては、捻りも何も無かったが、それはあやまたず、弥々子の溜め込んできたモヤモヤの正体であった。

 マクラ一つに対して一つずつ、うまく言葉にできなかった苛立ちや悔しさをぶつけていく。


 多感な時期に、散々に溜め込んできた不満は、次から次へとせきを切ったように溢れ出し、比例するように、マクラの逆襲も止まらなかった。

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