06. 用途は寝るだけにあらず

 小さなチャムちゃんが、馬乗りに敷いているマクラは、四つ端をぺしょんと、ひしゃげて落ち込んでいる。そんなマクラを、チャムちゃんはペシペシ叩いて整えているのだ。


「何よ、空飛ぶマクラって」

 目の前で、繰り広げられている光景の意味が分からない弥々子ややこは、少々ぶっきらぼうな物腰で尋ねる。

 そんな弥々子に動じることなく、小さなチャムちゃんは、くいっと帽子を押し上げながら畳み掛けた。


「だから、ここでは、マクラは空を飛ぶんだに。まあ、飛ぶのはマクラだけじゃないだに」


「……」

 指摘されて、弥々子は思い出した。ついさっき、空を飛んでいく羽の生えたガラスボトルを目撃したことを。


「ふっふっふ。マクラは空を飛ぶだけじゃないんだに。マクラは全てを受け止めてくれるんだに!」

 しょげたマクラに馬乗りになったまま、チャムちゃんは小さな体で胸を張る。しかし、弥々子には宣う意味が分からない。


「何それ」

「まあまあ、物は試しだに」


 形を整えた大きなマクラを、チャムちゃんは「よいせ」と抱えて、弥々子に向かって差し出した。

「これを、どうしろと?」

 どうぞと言われても、具体的に何をするというのか。怪訝な表情で尋ねる弥々子のノリの悪さに、チャムちゃんは小さな肩をすくめて、「はー、これだから素人は」と首を振る。


「あのね、あたしの世界じゃ、マクラは空を飛ばないし、全てを受け止めるとか言われても、意味分かんないんだけど!」


 冗談のようなチャムちゃんの態度に、弥々子の怒りの壺は刺激されっぱなしだ。


「だーから、物は試しなんだに。煮るなり焼くなり、ボコるなり。方法は十人十色、千差万別ってやつだに!」


 笑顔で割と、えげつない提案をするチャムちゃんは、無邪気に八重歯を覗かせる。どこまでが本気で、どこまでが揶揄っているのか、弥々子には推し量りかねた。


「——分かった。じゃあ、そのマクラ貸して。こうなったら、ボッコボコのギッタギタにしてやる!」


 結果、どこかの国民的いじめっ子みたいな発言が導き出された。


「ひぎゃ……っ!」

 弥々子の国民的いじめっ子風の意地悪顔を見たマクラは、どこかの国民的いじめられっ子みたいに、チャムちゃんの腕から逃げ出して、ぴゅっとそこらを飛び回る。

 マクラは器用に四つ角を使って、冗談みたいに、で逃げ回った。


「あっ! 待て、この、マクラのくせして!」

 弥々子は、すかさず追いかけて、チャムちゃんは、すかさずリビングのソファ裏に隠れて、小さく収まった。えげつない提案をしたものの、自らゴタゴタに巻き込まれるつもりは、さらさら無いらしい。


「やっこちゃんが、野性に目覚めちゃったみたいだにぃー。さあて、ロックオンされたマクラは、どうするかにぃー」


 空飛ぶマクラを追いまわす、その姿は、まさに獲物を狙うハンターであり、国民的いじめっ子感をかもし出す。独り言のようなチャムちゃんの実況は、今、室内で繰り広げられている騒動を的確に表現していた。

 物陰から様子を伺う地球色の双眸には、制服のスカートが乱雑に、はためくのも気にしない女子中学生が、大股闊歩をして空飛ぶマクラを罵りながら、追いかけ回している姿が映る。


「こんの、ちょこざいな! 大人しくボコられなさいよ! それが、あんたの役目でしょうが!」


「○△□※……っ!」


 当然世の中、大人しくボコられるマクラなど存在するわけがない。

 マクラにだって、空を飛んだり逃げ回ったり、頭の下敷きになるばかりでない、ある一定の自由が保証されている。ここは、そういう世界なのだ。


「マぁクラぁぁ——っ!」


 今この瞬間、弥々子は普段の自分であることを完全放棄している。怒り、そして猛り狂う野生が、理性を上回っている。ドタドタ、バタバタ埃を巻き上げながら、ご近所迷惑も顧みず走り回り、大声で怒鳴りまくる。


「あっ! ちょっと、どこ行く気……っ!」


 エスカレートする弥々子の様子に、ある種の危険を察知したマクラは、予想に反して、窓ガラスに体当たりすると、窓を押し開け、ぴょいーんと魔法通りの空を飛び去っていった。

 待てと叫んだその瞬間、弥々子は我に返った。

「あ、マクラ……」

 全てを受け止めてくれるはずのマクラは、澄んだ夜空の彼方に消えていった。


 呆然と開け放たれた窓を眺めながら、さあっと吹き込んでくる心地の良い風に当たると、あれだけモヤモヤしていた気分が、少しだけ、すっきりしていることに気が付いた。

「やっこちゃん、マクラ……」

 ごそごそとソファの陰から出てきた小さなチャムちゃんが、じっとりとした表情で、弥々子を睨め付ける。


「あ、ごめん」

「もう、だから言ったに。夜逃げられると大変なんだに」


 チャムちゃんが、むすーっと、ぷくぷくの頬を膨らませて窓際に歩み寄る。まだ近くを彷徨っていないか、マクラの行方を探すように、きょろきょろと夜空を見上げている姿の、何と幼いことだろうか。


「あー、えっと、その」

 何か、ごめん——弥々子が、そう口にすると、チャムちゃんは相変わらず、ぷくーっと頬を膨らませたまま「もう良いだに。しばらくこのままにしとくだに」と言い置いて、窓を開け放したまま窓際から離れる。

 その際、出窓に飾ってあった不思議な小物を一つ手に取り、再びダイニングのテーブルへと戻ってきた。


「それ何?」


「占い道具だに。せっかくだに。マクラが戻ってくるまで、不幸どん底やっこちゃんのお悩み相談してあげるだに」


 言葉に少々トゲを感じる自称占い師チャムちゃんは、小さくなっても態度だけは変わらず尊大だった。

「頼んでない」

 むっとする弥々子の言葉を受けて、チャムちゃんの不思議な小物が、チラチラと赤い光を発しながら、ゆらゆらと左右に揺れた。


「何よ」


が出ただに。これは、人の機微きびに敏感な道具なんだに」


 チャムちゃんの小さな両手の上で、ほの赤く灯る、透明で、少しいびつな雫型をした細長い棒状の置物が、メトロノームの針のように、ゆっくりと振れていた。

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