04. ようこそ魔法通りへ

「え、何……どうなってんの?」

 半ばパニック状態の弥々子ややこが、玄関先でおろおろしている様に、冷ややかな視線を向けながら、いつの間にか少女らしく成長していたチャムちゃんが、肩をすくめて「ふう」と、妙に婀娜あだっぽい溜息を漏らした。


「いつまで、そうしてる気? とりあえず、この状況くらい説明してあげるけど?」

 こつんとドア枠に横頭を付けて、物理的に大きくなったチャムちゃんは、尊大な態度で両腕を組んでいる。

 何で、そんなに偉そうなんだと思った弥々子だが、「らちが明かない」と、きっぱり切り捨てられ、渋々もう一度家の中に入った。


 ドアを閉めたチャムちゃんは、一歩踏み出した途端、しゅるしゅるとしぼむように、弥々子の目の前で小さくなった。洋服のサイズはそのままに、体だけが幼く縮むのだ。

「ふー。やっぱり、小さい方が楽だに」


「……」


 スペッタン、スペッタン、足に合わない室内履きの間抜けな音をさせながら、開きっぱなしのガラス格子の扉を抜けて、リビングに入る。基本的な間取りは同じと思われるが、弥々子の家とは異なるしつらえで溢れていた。


 天井や窓際には、透かし模様の織り混ざった薄手の布地が垂れ下がり、複雑な幾何学模様の絨毯じゅうたんの上には、異国情緒溢れる色彩豊かなプフクッションが、そこかしこに転がっている。

 リビングの象徴のように暖炉があり、壁面には、気まぐれな曲線を描く大きな鏡が設置され、窓辺には、用途の分からない不思議な小物が並んでいた。


「……」


 少し前に、母親が「良いわね〜」と零していた、なる言葉が、弥々子の脳裏をよぎった。


「まーまー、そこに座るだに」

 ダイニングキッチンへと入った小さなチャムちゃんが、「よっこいせ」と言いながら、目一杯の背伸びをすると、よたよたとカップボードの扉に手をかける。

 見ている方がハラハラとしてしまうが、無事にマグカップを二つ取り出したチャムちゃんは、ことんと音を立ててテーブルに置くと、今度は危なっかしい手付きでケトルに手をかけた。


「ん〜っと、おっとっと、だに」


 小さくなったチャムちゃんは、とりあえずお茶を入れようとしているらしい。小さいがゆえに全てが身に余り、ポットを傾けるのも一苦労のようだ。ゆっくりと、慎重にマグカップにお茶を注ぎ終わると、チャムちゃんは大業たいぎょうに、ふーっと額の汗をぬぐった。


「どうぞ、だに」


 弥々子にマグカップと向かいの席をすすめて、自分も椅子に座る。しかし、椅子に座ると、当然ながら床に足がつかないので、ブラブラと大きな室内履きを宙に泳がせている。

 そんな姿を見ていると、なにゆえ小さくなるのか、弥々子には理解できない。


「ねえ、大きいままでよくない?」


だに」

「いや、なってない。なってない」


 昨今、世の中は空前のエコブームだと宣うチャムちゃんに、弥々子は「それ、違う」と、ふるふる首を振る。

「え〜?」と口を尖らせるチャムちゃんは、そのまま園児が拗ねているかのような見てくれだ。玄関脇に立っていた、妙に艶やかな物腰の女の子と同一人物かと思うと、調子が狂って仕方がない。


「まーまー、まずは一服するだに」

「……」

 弥々子の目の前で、実に自分ペースに物事を押し進めるチャムちゃんは、マグカップを傾けながら、一人まったりと落ち着き始めてしまった。


「ちょっと。説明もしないで、一人で寛がないでよ」

「にゃーあ?」

 舌足らずで、間抜けな声をあげる小さなチャムちゃんの態度に、おちょくられているような感覚がして、些細なことでも、カッカとしてしまうお年頃の弥々子は、またもやカチンときた。


「だから、これはどういうことなの。さっさと説明して」


 目の前のテーブル上に、差し出されたカップに手を付けることなく、弥々子はモヤモヤとした気持ちをチャムちゃんにぶつける。

 じっと俯き加減で、マグカップを睨み付けた弥々子の視線の先で、一瞬、マグカップがカチリと小さく鳴り、マイルドなクリーム色が、わずかに変色したように見えた。

「……?」

 しかし、ぎゅっと目を瞑ってから再びマグカップを見ると、先程と変わらず、マイルドなクリーム色をしている。


(——あれ? 気のせい?)


 いぶかしい表情で、カップを見つめる弥々子の気持ちを逆撫でするかのように、向かいに座ったチャムちゃんから戻ってきたのは、間延びした返事だ。


「説明——ぇ? 何をかに?」

 一人、まったりと一服を続けるチャムちゃんは、質問の意図が分からないと言わんばかりに、こっくりと首を傾げて弥々子を見る。その時、大きすぎるがずり下がり、顔半分が広いつばの向こうに隠れてしまった。


 その態度に、弥々子は再三カチンときた。

「ちょっと! あんたが言ったんでしょ、この状況説明するって!」


「短期は損気、って言うだに」

「あんたねえ……!」

 悪びれる様子もなく、そう宣うチャムちゃんの態度に、弥々子は少々乱暴に立ち上がる。

 どういうつもりだ——と、弥々子は勢いのまま天板に荒々しく両手を付いた。


 目の前の食器が、テーブルを叩いた衝撃で、ガチャンと壊れ物らしい音を立てた。その直後、弥々子の目の前で、マグカップは跳ね上がり「割れたらどうすんだ!」と、抗議するではないか。


「え、何……?」


 咄嗟に椅子から離れて、リビングの方へ少し後ずさる。弥々子の目の前で、カップは、ぷんすこ怒りもあらわに、カタン、カタンと卓上を跳ね回っていた。

「な、な……っ!」


「機嫌損ねると厄介だに。早いうちに、謝ったほうがいいだに」


 自分のマグカップを両手に、ずずーっとお茶を啜りながら、チャムちゃんが告げる。真面目な面持ちで弥々子を見上げた瞬間、またしても帽子がずり下がり、顔が埋もれた。


「食器に謝る……? 何言ってんの? 馬鹿にしないで! あたしは、この状況を——」


 餓者ガシャスーン。


 中身を満々とたたえたカップが、一度激しく飛び上がり、弥々子の目の前でガタガタと震え始めると、それはやがて、テーブル全体を共振させる。


「あーあ。もう、知らないにゃー」


 チャムちゃんが嘆いた直後、どうやら、その『厄介』なことが、始まった。

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