03. 扉を開けると

「た、ただいま——って、何これ」

 玄関土間には、大ぶりのテラコッタタイルが敷き詰められ、下駄箱がなくなっていた。代わりに、壁の一部を窪ませた飾り棚ニッチには、置き型のランタンと手彫りと思われる小さな木製人形が、お行儀よく鎮座している。


「この人形……」

 見上げると、天井からは渋みのある真鍮フレームとガラスで出来た小星型のペンダントライトが下がっている。立体的な星形には見覚えがある。あれは確か、数学の授業で展開した小星型十二面体しょうほしがたじゅうにめんたい——とかいうやつだ、たぶん。


 少し先には、羽根のついたブルトンハットが掛かったアイアン製のトルソーと、その足元には木製の三本足スツールが置かれている。スツール上の革製バスケットには、同じく革製と思われる柔らかな室内履きが数足、無造作に放り込まれていた。

「お母さん——? 何これ、この人形どうしたの?」

 どこで靴を脱いだらいいのか分からず、テラコッタタイルの上に立ち尽くして家の中に呼びかける。短い廊下の奥に続く扉もガラスのめ込まれた格子ドアに変えられていた。


「あ。いらっしゃいだにぃー。お客さんかにぃー?」


 かちゃりと格子ドアが開き、間の抜けた足音を響かせながら出てきたのは、母親ではなく、舌ったらずな口調の小さな女の子だった。


「え……、誰?」


 オーバーサイズもいいところというダボダボの黒いジャンパースカートに、魔女みたいに黒い大きなをずり上げて、首からは、妙に毒々しい赤い石を嵌め込んだ、やたら大きなペンダントをぶらさげる、奇妙な出で立ちの女の子だ。

 コスプレにしては、何から何までオーバーサイズで決まりが悪く、室内履きも大き過ぎて、一歩を踏み出すたびに足元がスペッタン、スペッタン、おかしな音を立てている。


「あんた、何なの……?」

 家の中から平然と現れた不審者に、弥々子ややこは束の間、唖然としたものの、すぐに敵意もあらわにそう尋ねる。


「あい、チャムちゃんだに。何でも占うによ!」

 チャムちゃん——と答えた女の子は、動くたびに下がってくる帽子をずり上げながら、元気に片手をあげた。


「いやいや。ヒトん家で、何言ってんの?」

 あまりの無邪気さに、虚をつかれた弥々子だったが、はっと我に返って首を振る。


「む。ヒトん家じゃないだに。チャムちゃんのマイホームだに!」


 チャムちゃん——だという女の子は、弥々子の言葉に力いっぱい首を振って、両手の拳を握り込んで、ブンブンと上下に振りながら断言する。


「いや、だから、何言って……」

「見てみたら、分かるだに! ちゃんと、に、そう書いてあるだに!」

 ぷーっと頬を膨らませて、チャムちゃんは弥々子の後ろ、扉の向こうを指差して言い募る。

「……」

 仕方なく、弥々子は今一度外に出て、門扉に嵌め込まれた表札を確認しに行く。そして、我が目を疑った。そこには、確かにチャムちゃんの言うとおり書いてあった。『チャムちゃんのマイホーム』——と。


「え——? どういうこと?」

 目を擦って、もう一度よく見ても、そこには相変わらず書いてある。

『チャムちゃんのマイホーム』と。


「んね? 間違ってないでしょ?」

 妙に艶っぽい声音が小気味よく響き、呆然とする弥々子に向けられる。ほんのりと滲む小馬鹿にした響きに、弥々子がカチンときて顔を上げる。


 しかし振り返ると、そこには妙に大人っぽい雰囲気をまとう、弥々子と同じくらいの背格好の女の子が、戸口にもたれかかって両腕を組みながら、ゆったりと視線を投げかけていた。


「え……、誰?」

「いやあねぇ、さっき自己紹介したばっかりだけど?」


 確かに女の子は、チャムちゃんと名乗った小さな女の子と同じ装いをしている。むしろ服のサイズは程よく、コスプレよりも余程しっくりと馴染んだ着こなしをしているけれど。


「え、どういうこと? だって、さっきは——」

「大きくなっただけ、だけど?」


「はあ?」


 しれっと澄まして、あざとい小あくびを一つ挟むチャムちゃんの視線だけは、きらりと瞬いている。


(なんて非常識なんだ)と、弥々子はひっそりと胸の内で悪態をついた。


「言っとくけど、非常識なのは、そっちだからね? 無断でヒトん上がり込んでくれちゃって」

 まるで、弥々子の心の内を見透かしているかのような口調だ。


「——……」


 一体、何が起こっているのか、推し量りかねる弥々子の頭上で、パッと街灯がともった。見上げると、いぶした色合いの鉄製のランタンが、ほんわりと周囲を照らしている。その灯かりで浮かび上がった道路標識を見て、弥々子は更に驚いた。


『魔法通り五時三十一分』


「何、これ……」

「何って、通りと番地だけど?」

 大きくなったチャムちゃんが、あざとく小首を傾げながら口を挟む。ふわりと揺れる亜麻色の癖毛を額から払いのけ、街灯に照らされて浮かび上がった双眸は、何とも表現しがたい灰色がかった地球色アース・アイ——深い青に抱かれた茶褐色と緑が入り混じる、不思議な色合いをしていた。


「ここは、どこ……?」


 学校から、真っ直ぐ帰宅したはずだった。普段通りの家路を辿り、いつものとおり門扉を押し開け、家に帰り着いたはずだった。


 そのはずが、家は『チャムちゃんのマイホーム』で、チャムちゃんは、自由自在に伸び縮みする変な女の子で、いつもの町は、おかしな名前に変わっている。


 呆然としながら、街灯に照らされる周囲を見回せば、向かいの家では、が迫る夕映えの中、縁沿いに並べられたカボチャのランタンが一斉に灯り、見上げた空には、羽の生えたガラスボトルが飛び交っている。

 普段と何一つ変わらず辿った家路の先は、全く見も知らぬ場所だった。


「ようこそ、魔法通り五時三十一分へ」

 とりあえず、上がったら?


 言葉もなく門扉の横に立ちすくんでいる弥々子に向かって、チャムちゃんはふんわりと告げると、開きっぱなしの玄関の奥へ、すっと片手を差し向けた。

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