02. 佐藤弥々子 十四歳の場合

 事例ケース、一。佐藤弥々子さとう ややこ、十四歳。


 彼女は、横浜市内にある某公立中学校に通う、ごく普通の中学生である。今月半ばに控えている三者面談の前に、本日、進路希望調査の確認のために、担任との個別面談が組まれた。

 幾分と説教じみた面談を終えて、ただいま帰宅の途についている最中である。


「あのね、佐藤さん。先生、意地悪で言ってるんじゃないのよ。佐藤さんの将来のためを思って言ってるの」


 俯きながら歩くつま先が、コンと小石を弾き飛ばす。

 脳内には先程から、担任の女教師の言葉が延々と繰り返されている。提出した進路希望——同級生は、具体的な学校名を第三希望まで無難に記入したという。


「とりあえず、今の成績で無難に通りそうなとこ。あと、一応第一希望は県立○○高校って書いといた。具体的には、まだ迷ってるけどねー、面談早いとこ終わらせたいし」

「あー、だよねー。親の手前もあるしねー」


 近くの席で交わされる同級生の会話は、弥々子の耳朶じだを掠めて、そのまま通り過ぎていく。


「ねえねえ、佐藤さんは? 何て書いた?」

「あたしは——」

 言いかけて言葉に詰まり、俯き加減でボソボソと希望を口にすれば、女子たちは唖然としたあと、ケラケラと笑い出した。


「え——、それマジで言ってんの? ウケるわー」

「佐藤さん、もはや勇者じゃん、それ! 先生の反応ヤバくない?」


「——……」

 そして放課後、提出した進路希望調査の用紙を前に、女教師は困惑した表情を浮かべながら、着席して一息つくなり、ずっと同じ言葉をただ繰り返して、弥々子にとっては、陳腐とも思える説得を試みている。


「先生ね、別に佐藤さんの夢を否定するつもりはないの。だけどね、やっぱりこれは、教師の立場では賛成しかねるというか——分かってちょうだい」


(——うるさい。うるさい、うるさい)

 ぐっと唇を噛み締めながら、脳内に蔓延る教師の言葉を振り払うように足を進める。時々、アスファルトの欠片がつま先に当たっては、コツッ、コツッと進む先に弾き飛ぶ。


「言葉は厳しいけれど、先生には、佐藤さんがちゃんと前を向いていないように見えるの。佐藤さんは、頑張れば出来る子だって、先生、ちゃんと分かっているから、だからちゃんと、一緒に考えましょう? ね?」


(——分かってない。先生は、何にも分かってない)

 繰り返し繰り返し、脳内に流れ続ける担任の声が、まるでトンカチのように内側から脳みそを叩き続ける。ズキン、ズキンと痛んで、次第に目の奥までが嫌な脈を打ち始めた。

「……」

 一生懸命説明しようとしたが、結局、思っていることの半分も言葉にならなかった。伝わらないことがもどかしく、頭ごなしに決めてかかられて悔しく、分かったふりをする教師が憎くて仕方がない。

「——……っ」

 ぐちゃぐちゃの気持ちが段々と溢れかえって、じわっとまなじりにせり上がった。堪らずに早足になり、近所の角を曲がる。そうすれば、そこはもう家だ。


 最後の電信柱を通り過ぎ、辿り着いた門扉もんぴを乱暴に押し開けてくぐり抜けた瞬間、全身にまとわりついた、何とも言い難い違和感に、はたと立ち止まった。

「え……?」

 前庭の様子が、いつもと違う。


 母親が育てている小さな鉢植えが見当たらず、代わりに門扉から玄関まで続く、不等間隔に敷かれた石畳は、踏むと、ぼんやりとほのかに光る。


「何、これ」


 短いアプローチの先にある玄関脇の壁には、黒い鉄フレームとガラスで出来たランタンが下がっており、框組みの扉は奥行きのある緑色に塗装され、上部にはステンドグラスがめ込まれていた。


 困惑しながらドアノブに手を掛ければ、どうやら鍵は掛かっておらず、ぎいっと軋んだ音を立てたかと思えば、内側に吊るされた金属製のドアベルが、シャラン、シャランと涼やかな音を立てるのだった。

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