第21話 死神の誕生
「ああ、あなたが『統制者』さんですか」
子どもは、可憐な声と調子でリディアを呼んだ。纏っているのは、おそらくどこかの地方の民族衣装だ。胸の前で斜めに交差する羽織と、女性が身につけるような裾の広い下穿き。フログウェル周辺では、見かけることはない装束だった。耳が隠れる程度の長さの短い黒髪は、子どものそれ特有の艶があり、全体に笑っているような作りの顔は柔和で、屈託がなく、性別がまるでわからない。こんな血塗れの砦の中にいなければ、何ら負の感情を抱くことはない容姿だったが、現実とはあまりにも不釣り合いな笑顔は、返ってリディアに空恐ろしいものを抱かせた。
「……リディアだ」
「ええ、知ってますよ。リディア・クレイさんですよね。『統制者』の所持者」
相変わらず、黒髪の子どもはにこにこ笑いながら話す。その間にも、子どもは手を動かしている。手元には何かを書き付けている紙のようなものが見えた。
「……なんだ、お前は」
「ぼくですか? ぼくはアザミ。アザミ・キョウスケって言います。ああ、大丈夫。今日は殺しませんから」
笑顔は崩さず、突然恐ろしい言葉をさらっと口にした子どもは、書き付けていた何かを、肩から襷に掛けた革の鞄に納めた。
「ぼくじゃあ『統制者』とやりあうだけ無駄ですから。殺してくるようにも言われてないですし」
言葉を紡ぎながら、子どもは上体を倒して自身の足元に手を伸ばす。そこにも無数の屍体があり、子どもはその屍体の身体をまさぐっている様子だった。
「うーん。さすがにぼくひとりでは無理だなあ」
そんなことを呟いた途端だった。子どもの輪郭がぶれて見えた。リディアは瞬きをする。それでも、その輪郭の線は変わらなかった。見間違いではなく、『統制者』によって使われた肉体の疲弊が影響しているわけではなかった。
その事を理解した瞬間、リディアは気配を感じて振り向いた。そこには『統制者』が静かに横たわっているはずだった。だが、リディアが目を向けたまさにその時、『統制者』が独りでに宙に浮き上がり、リディアに向かって飛来した。驚く間も無く『統制者』はリディアの右手に納まると、その存在を主張するように、強い力を放ち始める。リディアの意識が再び曖昧になり始め、しかし、と残された意識の中でリディアは考えた。
『統制者』は魔剣を封じる、滅することを宿命付けられている。それ故に、魔剣を前にした時だけ、その力を放つ。
では、いま『統制者』が唸りを上げるように力を放ち始めたのは、なぜなのか。
「えええ……敵対心がなくても反応するんだ……早く帰ろ」
アザミ・キョウスケがそう言う。輪郭だけではなく、声まで複数、折り重なって聞こえたのは、アザミ・キョウスケが三人になったからだった。
リディアは目を見開いた。『統制者』が再び目覚めたのは、このせいだ。
アザミ・キョウスケは、何らかの魔剣を持っている。
「ぼくの目的はこの人なので。また機会があれば会いましょう、『死神』さん」
キョウスケはにこり、とこれまでで一番の笑みを見せた。その横では、やはりキョウスケが二人、倒れた屍体の一体を担ぎ上げていた。いや、あれは屍体ではない。どうやらかろうじて息をしている。左目から血を流した赤い髪の男。着崩した黒い祭服が、いまは見る影もなく傷んで、ぼろ布を巻き付けたような姿になっている。
リディアが声を上げようとしたが、キョウスケが動く方が速かった。シャーリンの両脇を支えて、無理やり立ち上がらせた二人のキョウスケは、子どもとは思えない膂力と跳躍力でその場から、シャーリンの巨体を支えたまま飛び退ると、あっという間に砦の奥へと消えていった。残ったもう一人のキョウスケもそれに続き、笑顔の残像を残したまま、闇の中へと消えていった。あの先にはリグ側の出口があるはずで、彼らはそこから砦を出るつもりなのだろう。とにかく、あまりに一瞬の出来事で『この場に子どもが存在した』ということ自体が、戦場伝説であるかのようだった。
リディアはゆっくりと立ち上がった。全てが嘘だったかのように、何もかもが一瞬で終わってしまった。幼いあの日と同じ様に。
『死神』
そう言ったキョウスケの言葉だけが、リディアの耳のうちで奇妙な余韻を残していた。
『死神』
ミルダもそう言った。見間違えたのだ、と。
「進めー!」
「リグの本隊は撤退しているぞ! 砦を手に入れ勝鬨を上げろ!」
無数の声が、無数の足音が近づいていた。リディアはそちらに向き直る。イシス家側の門。打ち破られたその大門の向こうから、イシス家の騎士団本隊が攻め上がってくる。リディアはただ、それを見ていた。右手に紅い剣を携えた姿で。
「進めっ……」
イシス騎士団の先頭に立つ騎士が言葉を詰まらせる。足が止まり、自分より後ろにいるものたちにも制止を呼び掛けている。
「……なんだ、これは……」
「……『死神』」
イシスの兵士から、そんな言葉が上がる。人垣の間から、砦の中を見たのだろう。リディアは改めて自分の周囲を見渡す。そして、自分の姿を見る。百をゆうに上回るであろう屍体の山。血に染められ、真っ赤に色付いた砦内部に、ただ一人立つ自分は、返り血を浴びているはずだが、黒い外套に染み込んでしまっていて、よくわからない。代わりのように輝く紅い剣は、血を吸ったかのように紅黒い。
「ひ、ひ、引け、引けー!」
イシス家の騎士たちが、兵士たちが、恐怖に駆られて逃げ出した。そうかもしれない。いま、ここは、理性の働く人間の立ち入れる場所ではなくなっているのかもしれない。リディアは他人事のように考えながら、逃げ去る『敵』の背を見守った。
『死神』
また、兵士が口にしたその言葉が、リディアの耳で余韻を残していた。
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