第20話 あの日と同じ様に

 どれほどの時間が経ったのか。

 ほんの一瞬のことかもしれない。もしくは陽のある時間全てかもしれない。いずれにしても、完全に意識を失っていたリディアには、知る術がなかった。

 たた、目を覚ましたリディアは、周囲の状況から判断した。累々と横たわり、積み上がる騎士、兵士、傭兵の屍体。自らが吹き出した血で、或いは他の誰かが吹き出した血で、誰しも紅く染め上げられた肉体が、リグもイシスも、正規兵も傭兵もなく、ごろごろと転がる。血が乾いていないその様は、いままさに『ある猛威』が過ぎ去ったところであることをリディアに理解させた。


「……なんだ、坊主か……何てツラ、してやがる……」


 ふいに話し掛ける声が発し、リディアは足元を見た。そこにはこのいくさの中で知り合い、父と同じ信頼を置き始めていた元山賊頭の傭兵が仰向けに倒れていた。首から下の全身が紅く染まり、いまもなお、ごぽごぽと音を立てて吹き出す血液は、絶望的に止めどなく、男の命が流れ出て、去っていくことを伝えていた。


「死神が迎えに来たのかと思ったぜ……真っ青な顔しやがって……」

「ミルダ……!」


 リディアは膝をついて、ミルダの傍に顔を寄せた。そうしなければ彼の声が聞こえなかったからだ。次第に小さくなっていく声に追い縋ろうとして座り込んだ時、自分のすぐ隣で金属音がした。それで初めて、リディアは自分が手に剣を携えていたことを知った。いや、改めて思い出した、と言うべきか。

 リディアが視線をやると、紅い剣が落ちていた。血を塗られたように刀身が紅い剣。実際には、血は一滴も着いていない剣が、静かに横たわる。

 それを見た瞬間、リディアの中の自我が膨らみ、弾けた。感情の波が高潮となって押し寄せ、喉を嗚咽が震わせた。眼からは止めどなく涙が溢れた。感情のやり場がわからず、リディアは拳を振り上げて、砦の石床に叩き付けた。


「もっと、もっと、上手くやれるはずだったんだ! もっと、もっと上手く……」


 傭兵として過ごしたこの数日。リディアは様々なことを学んだ。そして考え、知りもした。

 人を斬り、命を奪うことの意味を知った。

 傭兵という生き方、その中で生きる人々ひとりひとりの矜持を、父親代わりの男の矜持を知った。

 人が生きるということの意味を、初めて考えた。

 人の生が途絶えるということの意味を、初めて考えた。

 自分が抱いた復讐の意味を、初めて考えた。

 いまここにいるのは、復讐に身を焦がす子どもではない。いや、例えそうであったとしても、その復讐は、この世を去ったあの人の為だけではなく、この世に生きる誰かの為にも成りうることを知った。百魔剣を破壊する。百魔剣の強大な力に、人の生が狂わされ、奪われることなく過ごすこと。リディア自身が信頼を置く誰かが……例えばゴドウィンフィッフス、ミルダのような人々が、百魔剣に奪われずに自身の生を全うできること。この復讐には、そんな意味がある。あってもいい。そう思い始めていた。だからこそ、今度は上手くやる。上手くやれる。そのつもりだったのだ。それが……


「泣くんじゃねえ。上手くやったじゃねえか」


 か細く、吐き出す吐息と変わらない声で、ミルダが言う。血が滲んだ両の拳を止めて、リディアは手を伸ばした。


「お前のおかげで……『閣下』は生きて砦を出た。他の傭兵も……お前は……お前は、一度も逃げなかった。そのおかげだ……ありがとうよ、リディア。礼を言う」


 リディアが伸ばした手の向こうで、ミルダの髭に覆われた顔が歪んだ。痛みのせいではなく、それは、自然に生まれた笑顔の皺だった。

 そして、それきりミルダの表情が動くことはなかった。

 リディアが蹲り、嗚咽が叫びに変わった。なぜなのか。なぜ自分が魔剣を、『統制者』を握る度に、こうした悲劇が起こるのか。自分がどう生きるべきなのかを見出だしかけたいまなら、上手く使いこなせると思ったのだ。あの幼い日、初めて『統制者』を握った時とは違うと。


「……ふむふむ。なるほどなるほど。シャーリンさんは氷に対する適性がありそう、と」


 場違いに穏やかな声がリディアの耳に届いた。あまりにも場違い過ぎて、自分がおかしくなったのかと思ったほどに穏やかで、優しく、幼い声が、何やら独り言を呟きながら近づいて来て、そして、リディアの背後を通って行った。


「でもなあ……所詮、アイスブリンガーって『兵士』でしょう? 『博士』の計算は信じなくはないけど、実績としては物足りない気がするけどなあ」


 リディアは顔を上げた。上体を起こして、声の方を見た。

 そこにいたのは、不思議な格好をした子どもだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る