第18話 冷気の場
「リディアはてめえの名前だろ。怖くて頭がおかしくなったか?」
シャーリンが笑う。挑発的なその笑みに、リディアは反応しなかった。この戦が始まった時、傭兵として初めて雇われた時のリディアであれば、すぐに飛び掛かって行っただろう。
しかし、いまのリディアは、自分でも驚くほど冷静だった。ほんの数日、傭兵として生きた時間。その中で得た全ての出来事、その経験が、いまのリディアを作り上げた。単なる復讐に身を焦がす子どもではない。人を斬り、命を奪うことの意味を知った。傭兵という生き方、その中で生きる人々ひとりひとりの矜持を、父親代わりの男の矜持を知った。
人が生きるということの意味を、初めて考えた。
人の生が途絶えるということの意味を、初めて考えた。
自分が抱いた復讐の意味を、初めて考えた。
そうすることが、いまのリディアを作り上げた。
「魔剣は、破壊する」
「てめえにそれが……」
更なる挑発のつもりだったのだろう。シャーリンが何かを吐き出すように言い掛けたが、リディアの踏み込みからの斬撃が言葉を止めた。慌てた様子を隠すことも忘れ、シャーリンが数歩後ろに下がる。リディアは更に追い詰める。シャーリンが動揺した剣を出してくるが、体重の乗り切っていない太刀筋に、恐怖は感じない。
「こいつ、また速く……」
シャーリンが後退する。剣と剣がぶつかり合い、火花が散る。魔剣が生み出した冷たい空気の中で煌めく一瞬の炎が幾度か瞬いた後、ついにシャーリンがリディアとの打ち合いを嫌って、大きく後方へ跳躍した。
その瞬間、シャーリンが跳躍したその背後で、
その扉が、いままさに破られた。打ち破られ、内側に開いた扉から、イシス家の紋章の入った鎧に身を包んだ一団が雪崩れ込む。その人の波の真正面に、シャーリンはいた。
まずい、とリディアが思った時には遅かった。扉を破ったその高揚と勢いに任せ、雪崩れ込んだ兵士たちに分別はなく、すぐ目の前に立っていた黒衣の傭兵は、格好の的となった。それがシャーリンでなければそれまでのことだったが、それがシャーリン……そして、魔剣だった。
シャーリンがどうとも表現し難い、高い音の奇声を上げた。刹那、兵士たちの多くが血を吐いて倒れる、或いは倒れる途中で、シャーリンが振った魔剣に首を、腕を、足を、もぎ取るように切り落とされた。
「なんだ、こいつは!」
「リグの傭兵だ、討ち取れ!」
シャーリンを敵と見なしたイシスの兵団が、シャーリンに集中する。だが、それは死者を増やすだけだ。リディアはシャーリンと兵団の争いに、横合いから割って入った。
「ガキが、いいところなんだぞ、邪魔すんじゃねえ!」
「お前の相手はおれだ」
イシス家の兵士は、リディアの介入に動揺した様子で、攻め手を引いた。その間にリディアはシャーリンを再び追い詰める。
「ふざけやがって……!」
刃が幾度か交錯した後、シャーリンが苛立ちを露に、魔剣を横薙ぎに振るった。それをリディアが目視した時、周囲の冷たい空気がはっきりと濃くなった。
リディアは、自身の体内に痛みを感じた。激痛といって言い痛みだった。何かが喉の奥から競り上がる。熱を帯びた何か。それがリディアの口から大量に吐き出された。
真っ紅な、血。
「てめえも内側から刻まれろ、ガキが!」
ぐらり、と視界が回った。両膝から力が抜ける。リディアは堪らず紅い剣を杖代わりに突き刺して、身体を支えたが、それで身体に起きた異常が治る訳ではなかった。
周囲でも、同じ様にイシス家、リグ家双方の兵士たちが血を吐いて倒れる。厄介な魔剣だった。一瞬の間に、この冷気の場を作り出されてしまえば、シャーリンを追い詰めることはおろか、それ以上の戦闘を困難にする。
だが。
リディアはシャーリンの、冷気を放つ魔剣の能力を理解した上で、その厄介さとは全く異なる考えを持った。
血が、自分の身体から流れてる。
血が、正門前を紅く染める。
血。血。血。
「諦めて膝をつけ、ガキ。てめえの首は、直接跳ねてやる」
「……悪いが、シャーリン」
口の周りを血で汚したリディアは、笑った。身体から大量の血を失い、いまの顔は蒼白であろう。リディアは自身の姿を想像した。白を通り越し、いっそ青に近い顔に、垂れかかる長い黒髪。
あの男は、人の枠を外れた、化け物だ。
ゴドウィンがシャーリンを指して言った言葉を思い出した。
おれも、大して変わらん。
人の枠を外れた、化け物、という点では。
「魔剣は、全て、破壊する」
紅い剣が、光を放った。
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