第17話 化け物
「なんだあ? 誰かと思えば、味方殺しのガキじゃねえか」
巨大な氷塊の隙間から、赤髪の男が姿を表した。黒い衣装は神父の
「……リディアだ」
「名前なんざ知ったことか。おれはいま忙しいんだ」
赤髪の神父は長大な剣を引き摺りながら近づいてくる。その剣の刃から、冷気が白い靄となって立ち上っている。この冷気。そして、この氷を生み出しているのは、この剣、そして、この男だ。
「ああ、ただ、前にも言ったが、お前には感謝しているんだ。死にたいなら殺してやる。死にたくないなら、勝手に逃げろ。選ばせてやるよ」
「……貴様に感謝されるような覚えはない」
「あるさ。おれにはなかった選択肢をくれた。お前の方が合理的で現実的な方法だ」
何のことを話しているのか。リディアは訝る目を向けながら、いつでも紅い剣を抜けるように深く腰を落とした構えを取った。
「敵や味方じゃねえ、ってことさ。おれとしたことが、大事なことを忘れてたんだよ」
リディアは首を捻る。その瞬間、赤髪の神父が飛び掛かってきた。一息で間合いを詰めると、擦り付け様の横薙ぎ一刀でリディアを寸断するつもりだったのだろう。太く、筋ばった右腕一歩で、軽々と長大な剣を振り回し、その通りに振るわれた軌道を、リディアは見落とさなかった。その刃が自分の身体に触れるより一瞬速く、鞘から抜き放った紅い剣の刃を立てて、リディアは神父の剣を逸らした。
「ほう、やるな」
すぐ間近で声がした。顔を上げると、赤髪に縁取られた偉丈夫が笑っていた。端正な顔立ちであるが、その笑みには禍々しさがある。その目には人間離れした感性を持つものの、異常な熱が宿っていた。
こいつは、危ない。
リディアはすぐにそう判断し、抜き掛けの紅い剣を抜いた。その反動で相手の刃を弾くと、自身は大きく後方に跳躍して退いた。
「お前のその紅い刃、それも、魔剣か? まあ、なんでもいいわ。お前もおれの糧となるか?」
「……糧、だと?」
「そう。おれは糧を得るために傭兵になった。そして、大事なことを忘れてたのさ。お前に教わるまで。敵味方で区別される傭兵では、おれには窮屈過ぎる。おれは……」
そこで男は剣を振った。その場で横薙ぎに払っただけだったが、剣から立ち上る冷気が、その動きに合わせて飛び出し、リディアと男の周囲で逃げ惑うリグ家兵士たちを襲った。
冷気に打たれた複数のリグ家兵士が、突然口から血を吐いて倒れた。一瞬、何が起こったのか、リディアにはわからなかったが、そう間を置かずに理解した。兵士たちは、その口から冷気を吸い込んだのだ。そして、恐らくは、体内を冷気に……微細な氷に破られて絶命した。
「ぶっ殺せれば、それでいいだけの男なんでなあ!」
「……それが、お前の『糧』か?」
「その通りだ。どうする? おれとやるか?」
リディアは無言のまま、紅い剣を構えた。
「お前が魔剣を握っている以上、そうだ。死んでもらうぞ、シャーリン・ティネット」
「はっ、ガキが、できると思ってんのかよ!?」
「リディア!」
横合いから別の声が飛び込んだ。誰のもの、と理解するよりも速く、声の主の得物である
身体の大きさに似合わない素早さで、長大な剣を旋回させて両手剣を弾いたシャーリンが、リディアとの間合いを広く取る。得物を弾かれた男もまた、動じることなく再び両手剣を構え直した。
「ゴドウィン……騎士団は」
「こいつが暴れたおかげもあって、さっさと逃げ出し始めたよ。いまはイシスの追っ手を抑えている」
「なら、ゴドウィンも……」
「いや、お前が退け、リディア。こいつは、危険だ」
その言葉はある程度予想していた。事実、リディアはシャーリンが危険なことを感じていたし、いままでの発言を考えても、まともな思考で動いていないことがわかる。
「この男の噂……ある日突然、自身が神父を勤めていた教会の信徒を皆殺しにし、それだけでは飽きたらず、血と断末魔の叫びを求めて傭兵になった、という噂、本当だったらしい。こいつは、人の枠を外れた、化け物だ」
確証の取れない噂。それがいまの話だったのか。確かに、聞いただけでは噂の域を出ない、信じがたい殺人鬼の話だ、とリディアは背筋に寒いものを覚える。だが、ならば尚更、である。
「ならば尚更、おれはここから退けない」
「なんだと?」
「そんなやつが魔剣を持ったなら、こいつをここから出すわけには行かない」
リディアは石床を蹴った。シャーリンの持つ氷の魔剣の冷気が強まったのか、石床さえも凍り付き、霜を踏んだような音を立てた。
「シャーリン!」
リディアは叫び、凍り付いた床を滑るように低い姿勢で踏み込むと、紅い剣を振った。
「おお!」
返事をするように叫んだシャーリンが、リディアの一刀を魔剣で受ける。だが、リディアは受け止められた剣に、更に力を込めて振り切った。シャーリンの身体が足を床に着けたまま滑り、退いた。
「ほう、まだまだ底がありそうだな?」
「魔剣を持ったお前を、見過ごすわけにはいかない」
リディアは紅い剣を、切っ先を下に向けたまま、油断なく構えた。
「それは、リディアが望まない」
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