第16話 呪いと共に

 幼い日の少年は、自分の無力を呪った。戦火から母を守れなかった無力を。

 戦災孤児として拾われ、同じ様な境遇の子どもたちと共に育った。母親代わりであり、姉のように見守る存在でもあり、そして、少年が生まれて初めて愛しく感じた女性でもある修道女の元で、貧しくも幸せな時間を過ごした。

 その時間を、少年は壊してしまった。

 修道女と孤児たちの生活する古い教会を、野党が襲った。少年は、今度こそ、守ると誓った。愛しいもの全てを。その時、目の前にあったのが、紅い剣だった。

 紅い剣は少年の意識を飲み込む強大な力で、目に見えるあらゆるものを破壊した。愛しい修道女……リディアさえも。

 いや、違う。おれは守ろうとしたのだ。その時、手にとってしまったのだ。この、紅い剣を。


「……いずれにしても、同じことか」


 砦の廊下を走りながら、リディアは少しだけ口元を歪めた。自嘲だった。

 一歩進むごとに、冷気は強くなった。あの巨大な氷の塊に近づけば近づくほど、強くなる。魔剣があの氷の近くにいることは疑いようがなかった。

 魔剣。そう。魔剣だ。

 リディアの表情から、あらゆる感情が消えた。胸に灯ったのは、仄暗い復讐の炎だ。

 保護者であり、愛しい人。そんな存在であった修道女、リディアを手に掛けた少年は、その後、何度も死のうとした。自ら手首を落としたり、首を斬り付けたり、あらゆる方法を試した。しかし、少年は死ぬことができなかった。

 紅い剣のせいだった。

 魔剣である紅い剣は、自分を呼び起こした少年を主と認めた。認めた代わりに、少年が死に瀕すると、その都度蘇生させた。それはさも、剣こそが肉体の所有者であるかのように、紅い剣は少年の生き死にを支配した。

 あの古びた教会での惨劇の後、自分を育ててくれたのは、魔女と呼ばれる女性だった。彼女はその豊富な知識から、少年にある教えを授けた。

 即ち、この大陸には、百振りの魔剣がある、と。

 そして、紅い剣には、それは百振りの魔剣を統べる義務が課せられている、と。

 そのことを聞いてから、少年は自ら死を選ぶことを辞めた。自分に呪いを掛け、大切なものを奪いもした魔剣を全て、この世から消し去ることを目的として、生きていくことを選んだ。それは紅い剣に課せられた義務にも合致し、少年の復讐心とも合致する生き方だった。

 その生き方を選んだ時、少年はもうひとつ、自分に呪いを掛けた。大切な人の笑顔を、奪われた憎しみを、悲しみを、消して忘れないための呪いだった。

 少年の名は、アルバという。

 アルバ・クレイ。

 いまの、おれだ。


「……魔剣は、全て破壊する。ひと振りたりとも残しはしない」


 自分と同じ境遇の子どもを、女性を、大人を、年寄りを、二度と作り出させないために。

 リディア・クレイは押し寄せる濃厚な冷気を掻き分けて走った。


「見ろ、砦の外だ!」

「イシスの兵団だ! 攻めてきたぞ!」

「夜襲!? いや、だめ押しで陥落させる気か!」

「だが、この氷は違うぞ!」


 リディアが走る廊下が、より広い廊下に当たる。混乱する砦内を、右往左往する兵士たちが、口々に叫んでいる。斥候がいたのか、リグ家側で撤退が始まったことを悟られたらしい。そこにイシス家は騎士団を送り込んで来た。何と言う間の悪さか。このままでは、魔剣の被害が、リグ家だけに留まらない。

 急がなければ。リディアが更に走る足に力を込めた瞬間だった。広く天井の高い廊下の、リディアが向き合った壁が、突然崩れた。

 何かに殴り付けられたように、壁の向こう側から弾け飛んだ壁の瓦礫が、リディアを、そして、周囲にいた兵士たちを襲った。リディアは咄嗟に退くことで回避したが、ほとんどの者が大きな石の塊を受けて、負傷したり、中には頭を潰されて命を落としているものもあった。

 さながら爆発のようだったが、やはり炎は上がらず、煙もなかった。石壁が崩れた粉塵はすぐに収まり、粉塵の向こうから姿を現したのは、やはり氷塊であった。

 リディアが腰を落とし、紅い剣に手を掛けた。氷塊の向こうから、高笑いが聞こえたからだ。

 その声には、聞き覚えがあった。

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