第15話 魔剣の覚醒

 リグ山岳砦に雪が降っていた。冷気を感じたリディアは、手近の窓に駆け寄って外の様子を見た。宵闇に閉ざされようとしている砦の周囲が、白く染められつつあった。

 どうしたんだ、とゴドウィンの声を背中に聞いた。砦の窓に扉はなく、組み上げた岩と岩の隙間から、雪を降らせる冷たい空気が入り込んでいる。

 


「……そうか」


 リディアは呟いた。その声はゴドウィンの耳にも届いたようで、なに、と問い質す声が近づいてくる。


「この山、高くも険しくもない。なのに、周囲の山と比べても、植物が極端に少ない」

「……珍しくもねえだろ。ここは大陸最北端の半島だぞ? 風の当たり方ひとつで、動植物の生態なんてもんは……」

「この山に原因があるとしたら、どうだ」


 リディアは背中で、再び紅い剣が熱を放つのを感じた。高温である。堪らずリディアは外套の中から鞘ごと剣を外して置いた。


「おい、どうした」

「魔剣だ」


 リディアは鞘から紅い剣を抜いた。刀身が血を塗り付けたように紅い剣。実際には、刀身そのものが紅い剣。それが金属なのか、金属だとしたら、いったい何と言う鉱石を使えばそうなるのか、現代を生きる誰にもわからない。かつて存在した大陸統一王朝が生み出した、魔剣。その魔剣が、同じ様に作られた魔剣に反応し、共鳴している。強烈な冷気だった。植物や動物が嫌うほどの、荒涼たる山ができあがるには十分と思える、冷気。


「……いる。力を解放した」

「なんだと?」


 リディアは紅い剣を持ち上げる。かつて自分を飲み込み、破壊と殺戮の限りを尽くさせた紅い剣が、その強い冷気に引かれる形で、力を示そうとしている。


「撤退は、明日の朝か?」

「ああ、そう聞いている」

「ゴドウィン、頼む。今すぐ撤退を始めるように騎士団伝えてくれ。さもないと……」


 紅い剣おれがどうなるか、わからない。そうリディアが伝えようとした瞬間だ。轟音が、砦のリグ家領側で起こった。

 音そのものは、爆発に似ていた。だが、炎も爆風もなかった。砦を成していた一部の石組が宙に舞う様子が、窓から見えた。

 何かに力任せに破壊されたようだった。子どもの積み木遊びのように、砦が壊された。だが、いったい、何に?

 答えを求めて窓から身を乗り出したリディアは、そこに不可思議な光景を見た。

 夕日の、最後の一筋の光。橙色の光線を受けて、それを乱反射させる巨大な塊が、砦の基礎部分を押し退けて、地面から生えていた。あれは……


「氷……?」

「なんだ、あのばかでかい氷は」


 リディアの隣でゴドウィンも驚愕する。大きい。砦と大差ない大きさの塊だった。透明度が高く、美しい。だが、そこに現れた異様が、いまは美しささえも不気味に感じさせた。


「あれが、魔剣、か?」

「……ゴドウィン、急いでくれ。騎士団に撤退を」


 わかった、と言い置いて、ゴドウィンは走り去った。リディアは使いなれた腰の剣を外して、そこに鞘に戻した紅い剣を佩いた。

 おそらく、あの氷を生み出した魔剣は、この山に元々あったのだ。それを誰かが呼び起こした。力を解放させた。あの日の自分と同じ様に。


「……『統制者』よ」


 リディアは紅い剣の名を呼んだ。百魔剣と同時期に生み出され、『百魔剣を統べる』目的を持った紅い剣は、呼吸をしているかのように、放つ熱に強弱を付けている。

 遠くから、人が争う音が聞こえ始めた。剣戟。怒号。強い冷気。悲鳴。そして、高笑い。

 

 リディアはその笑い声を聞き逃さなかった。声の聞こえた方向に向かって、走り出す一歩目を踏み出した。


「『統制者』よ。お前が百魔剣を統べることを目的としているのなら……今度はおれに、おれの復讐に、手を貸せ」


 腰に佩いた紅い剣は、何も答えない。

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