第12話 不気味な気配

 騎兵の馬を逃がし、天幕を燃やし、攻城兵器を破壊した。

 リグ家の傭兵たちは、実に手際よく立ち回った。夜半から同時に始まった四つの陣への襲撃は、傭兵団側にひとりの損害も出すことなく、『手間のかかる騒ぎを起こす』という目的において、大きな成果を残した。

 明け方頃に、バラバラに砦に戻ったのは、イシス家に別動隊がいるものと思わせるため、砦に直帰せず、わざとどの班も遠回りをしたからである。ミルダが従える班が戻ったのは、全体で三番目で、前二班のものたちは既に短い睡眠を取り始めていた。眠ることができるときに少しでも眠る、休むことができるときに少しでも休むのは、傭兵の処世術であり、特性でもある。それができるから動くことができ、いつでも万全の体勢を整えることができる。

 リディアも夜明けまで少しでも休もうと、傭兵たちが雑魚寝する砦一階の大広間に入った。先客たちが思い思いの場所に陣取り、早い者はもう寝息を立てていた。


「お前、どういうつもりだ!」


 リディアも広い部屋の、人のまだいない一角を見つけ、腰の剣と背中の剣を下ろし、壁に背中を預けて座り込んだ。その矢先だった。たったいま、リディアが入ってきた大広間の出入口の外から、そんな怒鳴り声が聞こえたのは。


「……ではない。……ではないか」

「ふざけるな、同じ雇い主に雇われているんだ。その間だけでも、味方としての認識を持て!」


 ひとりの声は、立っている位置のせいか、どこか籠って聞こえるので、はっきりとしない。初めに聞こえた声は、強い怒りを示していて、リディア以外にも、声を聞いた傭兵の何人かが腰を上げて出入口に近づいた。


「金で雇われただけ、ただその時、その陣営にいるだけの間柄だろう」

「そうだとしても、作戦中に喧嘩を吹っ掛けるような真似はするな。仲良くしろ、とは言わない。お前もお前が生き残るために最善を尽くせ」


 大声で怒りを露にしているのは、若い男の傭兵だった。確か、第四班の長に、ゴドウィンが指名した男だ。その男に相対しているのは、昨日の夕刻、リディアに不可解な言葉を投げた、あの『牧師』だった。


「生き残るために最善を、ねえ……」


 若い男の言葉は、まるで傭兵とは思えない、正義感に満ちた言葉だった。赤髪の傭兵はそれを鼻で嗤うと、突然、腰の剣を抜いた。


「なら、これが、『最善』だなぁ!」


 若い男は武装を持っていなかった。おそらく砦に戻った直後に手放していたのだろう。『牧師』……ゴドウィンの話ではシャーリン・ティネットと言う名の男は、がっしりとした長身によく似合う長剣を振り上げて、無手の男に斬りかかった。

 考えてしたことではなかった。リディアは気がつけば砦の石床を蹴っていた。長靴の底が硬質な音を立て、リディア以外の人間が息を飲んで身動きを止める中、若い男とシャーリンの間に割って入った。

 剣を打ち出しながら、リディアの存在に気づいたのであろうシャーリンが、目を見開くのが見えた。髪と同じ、燃える炎のような色をした瞳が驚愕の感情を示し、リディアはその瞳を睨み付けながら、振り下ろされて来た刃を、刃先は見ずにいなした。

 刃を払われたシャーリンが、自分の腕の力に引かれてお辞儀をするような格好になる。リディアはその一瞬を見逃さず、もう一歩踏み込むと、前のめりになったシャーリンの身体の側面に、自身の身体を浴びせた。重心を欠いていたシャーリンの身体は、いとも簡単に宙を舞った。浮き上がるように飛んだ一瞬後に、硬い石床に受け身も取ることができずに、そのまま叩き付けられた。


「……止めておけ」

「……おうおう、誰かと思えば……貴様こそ味方殺しの坊っちゃんだろうが」


 倒れたシャーリンが、手をつかずに身体のバネだけで飛び上がって立つ。リディアは無手ではあったが、油断なく徒手空拳の構えを取った。


「お前にだけは邪魔されたくないもんだな」

「……そんなに戦いたいなら、後数時間、我慢しろ。嫌でも相手が向かってくるぞ」


 リディアはシャーリンの目を真っ直ぐ見据えてそう言った。とてもそんな説得に乗るような目には見えなかった。しかし、暫くのにらみ合いを先にほどいたのは、シャーリンの方だった。


「……なるほど、まあ、そうだな」


 なんだこいつは。

 言葉にこそ出さなかったが、リディアは率直にそう思った。

 どういう訳かはわからなかったが、とにかく剣を抜いて相手を殺そうとした……そう、先ほどのシャーリンの剣は、脅しではなかった。リディアが間に入って軌道を逸らさなければ、対面した若い傭兵は、間違いなく死んでいた。シャーリンの剣は、そういう膂力で振り下ろされていた。人を殺そうとしたほどの衝動を、こうもあっさりと引く。その直前までは、譲るようには思えない目をしていたにも関わらず。

 感情が安定していない。いや、それよりも、寧ろ……


「またお前には教えられた。感謝しなけりゃあなぁ」


 シャーリンがリディアに背を向け、離れていく。リディアはシャーリンの言動に、不気味さを感じていた。感情が安定していない、というよりも、もっと深化して、感情そのものが、複数に分かたれているような、不気味な気配だった。

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