第11話 夜襲

 リグ山岳砦は、リグ家とイシス家の支配域を隔てる、小高い山の上にある。山岳とは言うが実際のところ高さはなく、険しくもない。ただ、なぜか大きな木々が育たず、背の低い草も疎らにしか生えていない、不思議な岩山だった。その荒涼とした景観ゆえに、誰もがそこを、自然と『山岳』と呼んだのである。

 砦に着いた日の夜更け。リディアたち傭兵は物音を立てることなく砦を出た。総勢四十人からなる傭兵部隊を四等分に分け、一班十人体制で各々目的地へと向かった。

 リディアはミルダと共に移動した。この班の長はミルダだ。ゴドウィンは別の班の長を務めていた。

 何故班を四つ作ったかと言えば、イシス家の陣が四つあることがわかったからである。ゴドウィンが指示し、ミルダの部下で元山賊である男たちが偵察を行い、持ち帰った情報だった。イシス家は山岳砦を取り囲むように、四ヶ所に陣を張り、どの方向からでも攻城でき、またどの方向から攻められても容易に反撃できる体勢を整えていた。その総数、およそ二千。五百と少しであるリグ家の総力で相手できる数を越えていた。

 ゴドウィンが傭兵たちを集め、提案したのは、夜襲だった。しかし、ただの夜襲ではない。


「一場所五百の兵力を、十人で相手になんぞできるわけがない。かといって、放って置けば、明日の朝、その全てを相手にさせられのはおれたちだ」


 岩だらけの暗闇を、リディアはミルダと並んで走りながら、ゴドウィンの言葉を思い出した。


「そこで夜襲をかける。但し、おれらが狙うのは、奴らの馬や、攻城兵器、上手くやれるやつは指揮官だけだな。とにかく、明日の朝、動揺が残っているくらいの騒ぎを起こせればそれでいい」


 誰かがゴドウィンに訊いた。それでは明日の朝、リグ家が攻めてくると警戒されるのでは? と。

 ゴドウィンは頷いて、応えた。


「騒ぎになれば、そうだ。だが、そうなると、イシス家の連中には疑問が生まれる。砦とは別動隊がいるのではないか、と。必然、全兵力を砦からの騎士団に向けられなくなるし、騒ぎに対応するために兵力を割く」


 これは、おれたちが上手く立ち回るための、根回しだ。そう応えたゴドウィンに、別の声が訊いた。だが、少なくとも、砦からの攻撃を警戒はするだろう。寧ろ危険になるのではないか、と。

 ゴドウィンは笑って応じた。


「その時は、リグ家騎士団に頑張ってもらおうじゃないか」


 傭兵たちから、どっ、と笑い声が上がった。


「引き際を間違えるな。金のために死ぬなんつう馬鹿らしい真似はするな」

「坊主」


 ふいに声をかけられて、リディアは隣を走るミルダを見た。ミルダは顔に泥を塗って夜に溶け込むように装飾をしているので、目だけが闇の中でぎらりとリディアを見た。


「『閣下』が五大貴族連合騎士団の将を辞めた理由は、聞いたことがあるか?」


 リディアは小さく首を横に振った。二人は手近な巨石の影に身を隠す。域を潜めながら巨石の裏側に視線をやると、そこはなだらかな坂になっていて、その先で火の粉が舞っているのが見えた。陣を張ったイシス家の騎士団が灯している篝火だ。


「このフログウェルでは、貴族は死なないんだとよ」

「……これだけ争いをしているのに、か?」

「実際に命掛けてんのは、おれらみたいな傭兵か、食えなくなった領民か、だそうだ。『閣下』はその状況に嫌気が差した、らしい。自分が行動したくらいで、状況が変わるわけではない。だが、守るべき矜持のために、貴族であることを捨てたんだとさ」


 ゴドウィンなら、やりそうな気がした。自分が貴族の暴政に虐げられる人々を救える、などとは思っていない。彼はそんな夢想家ではない。現実主義者として、できることをしたかった。ただ、それだけだろう。


「だから、『閣下』はいつも傭兵に言うのさ。無駄に死ぬな、ってな。坊主、お前もこんな下らねえ戦で、死ぬんじゃねえぞ」


 言うが早いか、ミルダはその見た目からは想像もつかない身軽さで巨石の裏へ回ると、闇を纏って坂を駆け上り、瞬く間に敵陣の中へと忍び込んで行った。

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