第8話 単純な答え

 眠れぬ一夜が明けた。

 携行用に粉末にした小麦を焼き固めたものだけだったが、騎士団からは朝食が支給された。リディアは配られたそれを手に、天幕の群れから外れた場所で木の切り株に腰を掛け、焦点の定まらない目をぼんやりと正面に向けていた。


「おお、息子殿。いい顔になったな」


 ここ、いいか、と続けた声の主は、リディアの返答を待たずに、すぐ隣の切り株に腰を掛けた。昨夜の酒の臭いはもうしなかった。


「初めてだったんだってな。どうだ、人を斬った感想は」


 リディアは相手の横顔に顔を向け、焦点の合わせた。薄汚れた髭を吊り上げて、ミルダが笑っていた。


「……昔を、思い出した」

「昔? 前世か?」


 ミルダは支給された食料にかじりつく。簡単には噛み千切れない程度まで固められているが、ミルダの丈夫な太い顎と歯の前には、問題にならない様子だった。


「いや……幼い頃だ。おれは、幼い頃に、人を殺している」

「そうかそうか。そりゃあ大変だ」


 ミルダはさして興味がない様子だった。或いは、そうした人間を見慣れすぎているのか。

 ふと、リディアはその横顔に疑問を抱いた。


「……あんた、元山賊なんだよな」

「ああ、そうだ」

「なら、昨日、おれやゴドウィンが殺した傭兵たちと同じようなことも、やってきたのだろう?」

「村を襲って、女子どもに手を掛けて、ってか? ああ、そうだな。なんだ、何でそんな野郎が『閣下』に従ってるのか、って言いたい顔だな」


 自分がどんな顔をしているのかはわからなかったが、確かにリディアが気になったのはその事だった。ゴドウィンはリディアを襲った傭兵が属した傭兵団の長を、犬畜生にも劣る、と頭をかち割った。だが、そのゴドウィンを慕うミルダもまた、犬畜生にも劣る行為をし続けてきた罪人ではなかったか。


「……恥ずべき過去だと思っている。例え、そうしなければ生きていけなかったとしても。いまのおれで、おれの行いで、やって来たことが償えるとも思っちゃあいない。そんなに軽い罪じゃあない」


 出会ってからいままで、聞いたことがない声音でミルダが言う。


「……女子どもを、守ったんだ」

「……何?」

「おれは山賊の頭として、ひとつの村にも相当する部下たちの面倒を見ていた。その中には女子どももいてな。食わせなけりゃならなかった。だが派手にやり過ぎてな。五大貴族の連合騎士団が、おれらを討伐しに来た。

 奴ら、そりゃあひどいもんでな。おれたちを徹底的に殺して回った。女子ども、年寄りも容赦なく、だ。

 だが、奴らの中に、おれたちを武装解除するだけの一団があった。疑問には思ったが、とにかく、そいつらが、逃げようとしていた女子どもの退路をふさいだんだ。

 おれは残った部下たちと、必死に抵抗した。だが、その一団は強かった。おそらく、連合騎士団の中でも、最強の部隊だった。ひとり、またひとり、戦えなくされていった。殺すんじゃねえ。戦闘不能にされるんだ。武器を取り上げられたり、拘束されたりしてな。

 いよいよおれひとりになった。その前に現れたのが、『閣下』だよ。『閣下』がその騎士団の将だった」


 ミルダがそこで食料に食いついた。力強い噛み千切り、咀嚼する。


「『閣下』は他の連合騎士団を指して、おれに言った。弱いものを守ろうとする、お前の方が守るべき矜持を持っている。そんなお前なら、奪い続けて生きることの罪の深さがわかるはずだ、ってな。そうして、『閣下』はおれを騎士団の入れたのさ。お前と、お前の部下の面倒は、おれが見ると言って」


 リディアは静かに聞いていた。ゴドウィンという男の姿を、初めて正しく聞いた気がした。


「お前の親父殿は、すげえ人間だ。そして、お前を襲った野郎も、その野郎を野放しにしていた傭兵団も、屑だ。それでいいんじゃねえか?」


 ミルダが恐ろしく単純な答えを口にして笑った。矜持、という言葉がリディアの胸の奥に落ちて、波紋を残す。守るべき矜持。それを失えば、犬畜生にも劣る。ゴドウィンの言葉が、血の流れに乗って全身に行き渡るようだった。


「罪は……」

「あ?」

「罪は、償えているか、ミルダ」

「言ったじゃねえか。そんなに軽い罪じゃなえ。ちょっと何人か、命懸けで助けたからって、帳消しにできる罪なんてものはねえ」


 リディアは自分の過去に起こった、自らの罪を思い起こした。紅い光に染まった草原。横たわる死体の山。その死体を、何度も切り刻むように紅い剣を振るう、幼子。それを止めようとして、黒い外套を纏った女性が飛び出し、紅い刃を受けて、倒れた。


「だが。だが、よ。生きていくなら、償い続けることはできる。死んだらそれまでだ。おれは生きている。だから、まだ先がある。それでいいんじゃねえか?」


 ミルダが残りの食料を口に放り込んで立ち上がり、去り際、リディアの肩に手を置いた。ごつごつとした、岩のように強固な、男の掌だった。

 去っていくミルダの背中を見つめながら、リディアは小さく頷き、そして微かに笑った。手にして口をつけていなかった、携行用の食料を口に運ぶ。焼き固められた食料は固く、食べ終わるには長い時間がかかりそうだった。

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