第7話 傭兵の矜持

「どうした、リディア!」


 天幕の入口が開き、仄明るい星灯りが大きく差し込んだ。外の明かりを背に、声の主と、それが引き連れた傭兵たちが天幕に雪崩れ込んで来る。


「血の臭いだな……」

「あの叫びはリディアと……誰だ?」


 最初に駆け込んできたのはゴドウィンだ。声と人影の輪郭でわかった。そのあとに続いたのは、ミルダとその部下たちだろう。ミルダが部下たちに、燭台に火を点すように命じている。

 程無くして燭台に火が点り、天幕の中が少しずつ明るくなった。だが、いま、リディアがいる天幕の隅まではその燭台の明かりさえも届かず、リディアは剣を握ったまま、踞って動かなかった。


「こいつは……」


 ミルダとゴドウィンが歩み寄り、リディアの目の前で絶命している全裸の巨漢の脇に膝をついた。男から流れ出た血で、二人の靴と膝が染まる。


「おーおー、こいつはこいつは……」


 何があったのかを悟ったらしいミルダが呟く。元々、ミルダはこうした輩がいることを案じていたし、予想していた。だから、察するのも早かったのだろう。


「……リディアがやったのか」

「だろうな。首を横からひと突き。その後、骨のない喉の側へ刃を回してる。もう少し傷口を開いて喉に空気を入れれば、あんなみっともない叫び声を出さすこともなく殺れただろうが、ここが暗闇だったことを考えれば、まあ、悪くない腕だ。さすがは『閣下』直伝、ってところか」


 ゴドウィンの問いに、ミルダは死体を冷静に観察して答える。そのミルダからも酒の臭いが漂っていたが、恐ろしく冷静な様子だった。


「……リディア」


 ゴドウィンがこちらを見た。倒れた男の奥、天幕の角に背を預け、剣を突き出し座り込んだリディアを見つけたゴドウィンが、歩み寄って来る。


「……確か、、だったな」


 リディアは突き出した剣の切っ先を、反射的にゴドウィンに向けた。その剣は血塗れで、切っ先がカタカタと音を立てて震えていた。


「あーあー、だから言ったじゃねえか、『閣下』のガキは止めとけって」


 天幕の入口で声がした。を繰り返しながら、片手に持った酒の瓶を煽る男は、覚束ない足取りで天幕に入ってきた。明らかに酩酊している。


「……キサマ、この男の連れか?」

「うちの傭兵団の一員でなぁ。その体格の見た目通り、力自慢で頼りになるんだが、どうにも性欲が抑えられんやつでな」


 酔っ払いの男が、下卑た笑みを浮かべる。無精髭が生えた赤ら顔は、薄汚れている。ゴドウィンの側まで歩み寄り、その肩に手を置いて、男は鼻からげっぷをすかした。酒臭い空気が、リディアにまで届く。


「村を襲えば、女、子どもを襲える。だから傭兵やってる、っていう野郎だ。まあ、おれも、うちの傭兵団も、似たようなもんだから、使ってたんだけどな」

「……ミルダ」


 ゴドウィンが静かに元山賊頭を呼んだ。膝をついていたミルダが立ち上がり、腰の手斧を掴むと、ゴドウィンに投げた。

 ゴドウィンはミルダの動作を確認はせず、酔っ払いの手を払う。よろめいた酔いどれの傭兵は、数歩後退し、ゴドウィンから離れる。

 払った手に、ミルダの手斧が収まった。酔っ払いが目を見開くのが見えたが、次の瞬間には、その眼球自体が男の顔から飛び出していた。ゴドウィンが振るった手斧が、男の頭部を頂点から叩き割った。


「犬畜生にも劣る」


 倒れた男から斧を抜き取り、血を払うと、ゴドウィンはミルダに斧を投げ返した。そして振り返ると、再びこちらに近づいた。その姿が、滲んで見えた。ミルダの姿も、天幕に灯った明かりも。全ての輪郭が曖昧に滲んでいた。リディアは、自分が泣いていることに漸く気がついた。


「……おれたちは、傭兵だ。金のために人を殺す。自分たちの生活のために、人を殺す。だが、だからこそ、失ってはならないものがある。リディア」


 リディアはびくり、と身体を震わせた。音を立てて震えていた剣の刃を、ゴドウィンが掴んだ。その瞬間、力が抜け、剣が自然と手から離れた。


「こいつらを放ったらかしにしたら、何人もの犠牲が出ただろう。おれは人殺しだが、人殺しを肯定はせん。しかし、お前の初めての人殺しが、人を守ったことは肯定する。よくやったな、リディア」


 リディアに細かい言葉の意味合いはわからなかった。だがなぜか、ゴドウィンにそう言われた瞬間に、リディアは声を上げて泣いた。人を斬ったのは、これが初めてだった。自分を守るためだった。相手は理性の箍が外れた異常者だった。だが、リディアの中で、そんな言葉で肯定されるようなものではない不快感が残った。その不快感が、ゴドウィンの言葉で洗い流されていった気がした。

 酒と男臭いゴドウィンの胸に抱かれて、リディアは初めて、ゴドウィンに父親という感情を抱いた。

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