第3話 出立の朝

 ゴドウィンは流れの傭兵であり、フィッフスも旅から旅へ、大陸中の遺跡から遺跡へ流れる学者であった。二人がどのように出会って夫婦となったのか、リディアは知らなかったが、フィッフスと暮らすようになってから、フィッフスの元にゴドウィンが現れたのは、両手の指で数えるほどしかない。それも数日一緒に過ごすと、またいなくなるという生活であるから、果たして夫婦と呼べるのかどうか、リディアにはよくわからなかった。ただ、ではこの二人をどう呼べばいいのか、と考えると、二人でいる姿は、紛れもなく夫婦で、やはりリディアには理解し難い関係性であった。そんな関係性であるから、リディアはフィッフスのことを『育ての母親』と認識していても、ゴドウィンのことは父親とは認識していなかった。強いて言えば剣の師であり、その点にだけは恩を感じていた。


「打ち込みが軽いな。紙でも斬るつもりか?」


 フログウェル諸公連合の西端。山深い地域のある貴族一門に傭兵登録を済ませた翌朝。毎日の常である早朝の稽古を、リディアはゴドウィン相手に行っていた。

 昨晩降った雪が積もり、足元は凍り、もしくはぬかるみ、非常に足場が悪い。ゴドウィンに指摘された通り、ここでは満足な打ち込みができない。


「そんな剣では死ぬぞ。試してみるか?」


 言うが早いか、ゴドウィンは手にした大きな剣を翻した。リディアの手にした片手剣とは刃渡りも刃の厚さも桁違いの、両手剣トゥハンデットを軽々と振り回し、威力を増した横薙ぎの一刀は、剣を立てて受け流さなければ、本当にリディアの身体を寸断していた。強い衝撃に、リディアはよろめいて、その場に背中から倒れる。自分と同じ条件の足場で、これ程重い一刀を放つ、その重心の取り方が、リディアにはわからなかった。


「しっかり踏み込めと教えただろう。腕で振るな。全身で振るんだよ」

「この足場で……」

「この足場だから踏むんだ。踏んだら、滑らん」


 そんな簡単なことのようには思えなかったが、ひとまずリディアは立ち上がって剣を腰の鞘に納めた。今回、ゴドウィンに付いて傭兵として出立する前、フィッフスが旧王国時代の遺物から仕立ててくれた黒い外套の背中が、ひどく汚れてしまった。


「……その格好で、その名を背負って、は使わないのか?」


 剣を納めていた手が止まる。リディアの意識は、背中に背負ったもう一本の剣に向いた。


「お前が魔剣と戦うのであれば、紅い剣を使わざるを得ない、と聞いた。怖いのか?」


 リディアは旧王国時代の遺物である魔剣を追っている。それは、この外套と同じ仕立ての衣服を身に纏っていた女性の復讐の為だ。そして、その魔剣に対して、有効な手段となるのが紅い剣……リディアの背にある剣であり、同時にその女性の命を奪った剣でもある。リディアが握ったことによって。


「……覚悟は出来ている」


 ゴドウィンへの答えとしては曖昧な言葉を口にしたリディアは、剣を鞘に納めて外套の前を閉じた。


「なら使え。いざというときに、使えないというわけには行かんだろう」

「決まっている、もちろん、そうする!」


 リディアはいちいち尤もなゴドウィンの言葉に苛立ちを覚える。

 紅い剣もまた、魔剣である。魔剣に意識を乗っ取られ、誰よりも守りたいと思っていた女性の命を奪った。その罪の意識は、後に他にも存在するという魔剣全体に向いた。もちろん、誰よりも許せないのは自分自身のことであるし、この背の紅い剣であるが、同じ過ちがこの世界に無数に……百魔剣と言われる通り、百近く存在するということを、リディアは許すことができなかった。


「やれやれ……」


 おそらくわざとだろう、ゴドウィンが大きなため息を吐いた。リディアは舌打ちをして不快感を示す。ゴドウィンとのやり取りはいつもこのようなもので、態度ほどの不快感をリディアは抱いていなかった。

 ちょうどその時である。召集を示す笛の音が、甲高い音で北国の寂れた街中に響いたのは。


「召集か。出立だな。おい、いくぞ」

「わかってる」


 ぶっきらぼうに答えて、リディアはゴドウィンの前に立って歩き出した。

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