第2話 父

 フログウェル諸公連合。

 アヴァロニア大陸最北の半島であるこの地域は、千々に分かれた所領地を無数の貴族たちが奪い合う、争いの絶えない土地であった。

 五大貴族と呼ばれる五つの代表貴族からなる議会による分割統治を基礎としているが、その下に連なる小家たちの制御はできず、小競り合いを繰り返している有り様で、その上、五大貴族とは関わりを持たず、神聖王国カレリアやファラ王国、ニヴェルセン王国といった大国から、直接爵位を取得し、それら大国の後ろ楯を持って分割地としての領地を主張するもの、果ては貴族を自称し、統治権を叫ぶ輩まで存在する混沌たる土地柄で、事実上、諸公連合としての統治は崩壊していた。

 それ故に、この地では常に戦力が求められてきた。貴族たちが、常設する各家々の騎士団だけでは戦に勝てない、と見越せば、すぐに金を出して兵力を募った。戦闘経験のある剣や槍、木こりの斧から農夫の鋤、鍬まで、戦えるものは即、戦力として雇い入れた。

 争いが絶えず、土地は痩せ、また、北方特有の厳しい気候条件に晒された、生きていくのも困難な土地。それがフログウェル諸公連合の現実であった。だが、視線を転じれば、戦い、殺すことを生業とする、流れの傭兵にとって、フログウェル諸公連合は楽園のような土地とも言うことができた。




「……本当なんだろうな」


 腫れた頬の痛みが、言葉を紡ぎにくくする。その事にまた苛立ちながら、リディア・クレイは窓の外に視線を向けたままで問い掛けた。薄い硝子の填まった窓から見える空は低く、重苦しい暗灰色の雲に覆われ、いまはそこから白いものが落ち始めていた。

 窓、木製の壁、いずれも薄い安宿の部屋は寒い。だが、戦乱が常の状況にあるこの土地では、これでもまともな人の営みなのだと言う。寒村に暮らす小作人等は家畜と同義で、飼葉の干し草で暖を取って眠るのだと聞いた。


「何のことだ」


 窓からは正反対にある壁に設けられた暖炉に火を起こしながら、禿頭の熟練戦士が低い声で応える。その堂々たる態度はいつも通りだが、いまのリディアにはその態度が妙に腹立たしかった。


、この土地にあるんだろう。本当なんだろうな」


 熟練戦士は先ほどリディアを殴り飛ばした拳を広げ、燃え始めた火の熱で温めている。岩のように厳つい顔に、温まった片手を持っていくと、蓄えた髭を撫で下ろし、大きくため息を吐いた。


「知らんな」

「何だと……!?」


 窓際に置いた木製の椅子を蹴って、リディアは立ち上がった。簡素な作りの椅子がリディアの心情を反映したように激しい音を立てて床に転がる。


「それはフィッフスの話だろう。おれには答えられん」

「いや、だが……」

「そういう噂話でもないのか、そう言いたいのか?」

「そうだ。魔剣があるというなら……」


 リディアの脳裏に、断片的な記憶が甦った。紅い光に照らされた草原。斬り飛ばされた手足。頭を割られた子ども。そして、血溜まりに倒れた、あの人。

 余りの凄惨さに、リディアは垂れ下がった長い黒髪ごと顔を片手で抑えて俯いた。そんな様子を見ても、熟練戦士は取り乱すことはない。いや、、いまのリディアが頭の中で見ているものを理解しているのだ。だから慌てることはない。


「……確かにここでは、長く戦っている。それなりに名前も通る。だが、お前やフィッフスがいうところの魔剣や、その力に遭遇したことはない」


 それなりに名前が通る、どころではない。このフログウェル諸公連合の地に集う傭兵で、『将軍』もしくは『閣下』で知られる傭兵を知らないものはいない。かつては五大貴族の所有する騎士団で、将軍を務めていたという経歴からそう呼ばれるこの男は、その経歴に恥じない強さから、傭兵となったいまでも畏怖と敬意を込めて『閣下』と呼ばれているのだという。


「それでもフィッフスが言うのなら、間違いはない。あいつは『魔女』だからな」

「それは妻に対する信頼か?」


『閣下』ゴドウィン・イフスはの言葉を鼻で笑った。


「小僧が、どこでそんな言葉を覚えた。まあ、そうだな。信頼といえばそうだ。評価、とも言えるな。おれはあいつの『魔女』としての知識を正しく評価している」


 かつて、このアヴァロニア大陸を、剣と魔法の力を持って統一した王国があった。

 王国の栄華は太古のことで、その崩壊の原因は伝わっていない。大陸各地には王国の遺跡が残り、その遺跡を調査し、遺物を研究し、過去の姿を明らかにしようとする学者たちが『魔人』『魔女』と呼ばれている。

 リディアの育ての親である女性、フィッフス・イフスは、その『魔女』であった。それ故に、旧統一王国最大の謎にして、最高の力を宿した遺物とされる『魔剣』について、非常に高度な知識を持っていた。その高度な知識を持っていて、尚且つ、リディアが胸の内に宿すものと同じ、強く暗い感情を共有する唯一の人物だった。

 ゴドウィンはその夫であり、流れの傭兵で、リディアはゴドウィンから戦い方の手解きを受けた。初めはそんなつもりはなかった。ある出来事があり、フィッフスと共に暮らすことになってからは暫くは、どうにかして死のうと考えていた。自分の犯した罪の深さに、取り返しの付かなさに、リディアは毎日、自らの生命を絶とう試みた。ある理由からそれに失敗し、別の生き方を模索したとき、リディアが出した答えは、最強の傭兵の呼び声高いゴドウィンから、剣の手解きを受けることだった。


「フログウェルの地も、広いのでな。さすがのおれでも、こんなに奥地の募集に乗ったことはない。だから知らんだけなのかもしれん。結果はお前が確かめるんだな」


 そう言うと、ゴドウィンは部屋を出ていった。この安宿には酒場が併設されている。この街唯一のもので、傭兵相手の店である。自他共に認める酒好きであるゴドウィンのことだ。おそらく酒場に向かったのだろう。


「……言われなくても、そのつもりだ」


 リディアは倒れた椅子を起こして、座り直した。視線は自然と、また窓の外に向いた。

 分厚い雲から降り注ぐ白い雪は、見る間に量を増やしている。寒さを感じたが、父が点していった暖炉の炎のお陰で、先ほどまでの寒さは感じなかった。

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