第28話 [番外編] 侯爵令嬢クロエ・ドゥモン (後)

 ある日、アデル様だけでなく、トリスタン様とその婚約者のオリビア様が一緒にいつものベンチにいらした。


 アデル様とオリビア様は仲が良ろしくて、連れ立って歩くと大変目立つ。うっとり遠巻きに見つめている女子生徒も多い。私もその一人だ。


 何やら、激昂するオリビア様にご兄妹が話をされているようだ。

 オリビア様と例の男爵令嬢の対立は噂で聞いている。その件かもしれない。

 殿下と男爵令嬢だけで隔離されていればいいものを、巻き込まれてお気の毒なことだ。


 …一番気の毒と思われているのは私だろうが。

 盗み聞きするようで気が引けるので部屋を出た。


 それにしても、美しい三人が並んだ画像は素晴らしかった。

 戦乙女の左右に女神の使いが並ぶ構図が頭に浮かぶ。記憶が薄れないうちに描き上げたくて、棟を出て少し離れたベンチに座り、夢中になって紙に鉛筆を走らせる。


 集中していて人の足音に気付かなかった。

「すげえ!」

(イーサン様!)

 見られてしまった。この辺りは人の通りが少ないので油断していた。


 挨拶しかしたことがないが、同学年のイーサン様はアデル様達のいとこだ。勝手にモデルにした事が伝われば不快に思われるのではないだろうか。


「上手いな! こっちはトリスタンで、こっちはアデルがモデルだろ。似た顔なのにちゃんと描き分けられてる。真ん中はオリビアだな。すげえ上手い!」


 二属性持ち以外のことを褒められたのは、乳母が亡くなってからは初めてかもしれない。

 顔が熱くなる。嬉しくて落ち着かない。


「これ売ってくんない?」

「えっ⁉ こんな稚拙なデッサンなど」

「いや、テグペリ領じゃこれより下手なやつでもそこそこの値段で売れてるって。いっつも俺が選ぶトリスタンの姿絵はアデルにダメ出しされんだよ。でもこの絵なら大満足だろ」


 私が描いた絵を売る…?

 そんなの、考えたこともなかった。


 もし、殿下に婚約を破棄されたら。

 王家に婚約破棄された美しくもない女に縁談など来ないだろう。来ても条件の悪い相手に違いない。

 将来兄の世話になるのも嫌なので、修道院に入るしかないと思っていた。

 でも…私でも画家としてやっていけるだろうか?


「アデルとオリビアなら買うぞ。あいつらトリスタン大好きだからな。他にも絵あんの? 見せて。隣座っていい?」

「えっ、ええ」

 斜め後ろから絵を見ていたイーサン様が隣に座った。

 断れずにスケッチブックを渡したが、すごく恥ずかしい。自分の好きなように描いているだけで、人に見せるなんて初めてだから。


「……」

 土人形の絵を見てイーサン様が固まった。

「アデルのやつ、学院でもやってんのか…」

「休み時間も魔法の研鑽に充てるなんて、頭が下がります。素晴らしい土魔法でした」

「……」

「魔法だけでなく、格闘技にも造詣が深くていらっしゃる。アデル様が操っていることを忘れて観戦に熱が入りました」

「…とにかく、絵をアデル達にも見せたいんだけど。この絵がダメなら、新しくトリスタンの絵を描いてくんない? 見たらあいつら絶対気に入る」


 私が描いた絵をそこまで評価してくれるなんて。私の絵で喜んでもらえるなら私も嬉しい。


「絵を差し上げるのは構いませんが、描いたのが私ということは秘密にしていただけますか?」

「あー、オリビアに知られたら次から次に注文されそうだもんな。あいつトリスタンに関してはアデル以上におかしいからな」

「え? いえそういうことではなく、本来貴族は描かれる側ですから」

「そんなもんなの? じゃあ、雅号を付けたら?」

「雅号」

 素敵。

「よろしければ、記念にイーサン様が付けてくださいませんか?」

「えっ俺が?」


 普段の私なら考えられない厚かましさだが、願いを口にした。

 初めて絵を褒めてもらった記念に、褒めてくれた方に付けてもらえたら嬉しい。


「じゃあ…『デブセン』ってどう? 格闘家のことを東の国でそう言うらしい。男の名前っぽい響きだし、偽名としてはいいんじゃね?」

「ありがとうございます。では『デブセン』にします」


 イーサン様はトリスタン様を探していたようだ。場所を教え、後日トリスタン様の絵をお渡しすることを約束してその日は別れた。



 ◇◇◇


 翌朝、私を待ち構えていたらしいイーサン様に「『デブ専』の意味を間違えてた。頼むから雅号を変えてくれ」と言われた。


 イーサン様がそうおっしゃるなら変えて構わない。代わりの雅号はイーサン様が「今度はちゃんと考える」とのことで、お言葉に甘えた。楽しみだ。


 でも、初めて褒めていただいた絵には『デブセン』と雅号を入れた。

 どんな意味でもいい。この絵はずっと持っていよう。私だけの宝物だ。


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