第49話 吐き捨てた時に

 前のめりで、突撃する。後などない。未来などない。ここで、全ては終わったのだから。


 ギルバートは、まだ背中を見せている。接近に気がついていないかのように。


 馬鹿な奴だ。偽善者は……幸福にはなれない。


 勇者は渾身の力を振り絞って、ギルバートの肩に短剣をうち下ろした。


「死ぬェええええええ!!!ギルバートォおおおおおおお!!お前も………!!!他の魔族のように……………………」


「………あ………?」


 勇者は、短剣をうち下ろした。


 だが、ギルバートの身体に、それを刺すことが出来ない。


 刺せないのではない。刺したくとも、身体が………動かない。


 邪悪な気。とてつもなくどす黒い殺意が、勇者の周りを渦巻いている。


(な………なんだ………?こいつ………さっきまでと雰囲気が………!!!)


 ギルバートは、立ち止まった。背中を向けたまま。その背から立ち上る禍々しい気に、勇者は圧倒されていた。


「あ………あああ……」


「俺を刺すか……?やってみろよ………」


 ギルバートは、勇者に振り返った。その顔は、憎悪と憤怒で、醜く引きつっていた。


 その顔は、悪魔そのもの。鋭い牙を剥き出しにして、ひどく目を吊り上げている。顔をぐしゃぐしゃに歪めているギルバート。まるで、獲物を前にして、笑っているようだった。


「俺も…力を失った貴様をいたぶり、なぶって……」


「……ィ………」


「今までの俺は……ムント将軍の代理人として貴様と相対していた………。だから………貴様を殺さなかった……。高潔なムント将軍だ…。いくら魔族とはいえ…丸腰同然の素人を殺す程残虐ではないだろうからな…」


 ギルバートは、背中越しに勇者を見た。いや、睨んでいた。凍てつくような殺気で。


「だが貴様が俺を刺してくれれば……話は別だ……。魔族と…それに歯向かう人間…。貴様と俺との勝負が始まる…。俺はゴブリン………。卑怯で残虐な魔族…。自ら死を懇願するまで…貴様をいたぶる…。俺は………貴様を殺したくて殺したくてたまらなかった……」


 魔族。ただの人間に成り下がった勇者は、己の肌で、感覚で、初めてこの言葉が意味するところを知った。


 勇者であった時は、感じられなかった殺気。強者であった時、弱者をいたぶる側だった時には、感じることなどできなかった危険信号が、肌を貫き、骨の髄まで冷たく染み渡ってくる。


 そうだ。ただの人間にとって、『魔族』は………。


「……ひ………ひィ………ッッ………!!」


 天敵以外の何者でもない。


「うッわァああああああッッ!!」


 凍てつく殺気にあてられて、かつての『勇者』は、踵を返して走り出した。ただ必死に。獲物が狩人から逃れるように、死に物狂いで、駆けた。


「………」


 ギルバートは、必死に逃げていく人間の後ろ姿を見ていた。


 奴はもう…再起など出来ないだろう。魔族の敵たる勇者としては。


 魔族の兵士を何体も手にかけ、ムントをも葬り去った殺意の刃。それはもう、こぼれて使い物にならなくなってしまった。


 俺は魔族として…奴を殺すべきだったろうか…。


 ギルバートは、よろめき、息を切らし、何度も転びながら逃げる哀れな男を見た。


 神の気紛れか。


 たった一人のか弱い人間に突如与えられた理不尽な力が、何度も死地をくぐり抜け、何度も仲間を失い、果てしない怨嗟と血の涙を無様に垂れ流しながらも、必死で生き延びた一魔族を殺したのだ。


 ギルバートは、踵を返した。


 だが、奴もまた犠牲者なのだろう。神の手遊び、暇潰しのために、手に負えぬ力に魅入られた犠牲者。


 ムント将軍は、ただ黙って、丸腰の人間の後ろ姿を見送るだろう。だから、俺もそうする。


 同胞を虐殺された恨みを忘れたわけではない。奴が勇者として、魔族に仇なしたことを水に流そうと言うのではない。俺は奴を許すことなど出来ない。


 だがムント将軍は、奴を逃がすだろう。


 奴はもう一度この世界で、生きていかなければならない。今度は矮小な人間として。


 奴が己の力で、己だけの力で何かを為し、何かを掴み取った時こそ、俺たちの復讐は成就するのだ。


 奴が溺れ、崇め、心酔していた出鱈目な力チート。それを、奴自身が下らぬものであったと吐き捨てた時、俺たちは戦士として死ねるのだ。


















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