第36話 その背に
帯びた剣を解き放ち、輝く刃に指をあてがう。
剣を水平に立て、勇者が怪物との間合いを測る。
「な……何で…俺を……」
満身創痍のギルバートは、眼前に立つ勇者の背中を目だけで追った。
「勘違いするなよ。魔族。俺は今から勇者として任務を遂行するだけだ」
勇者の身体が、白い気を纏う。鋼のように冷たく輝くその闘気は、怪物の唸り声もかき消して、辺りに暫時の静寂をもたらした。
「貴様が黙示録の怪物に挑んだところで、なす術なく犬死にするだけだ。俺は、こいつが民に危害を加える前にここで食い止めねばならない」
奔流。勇者の身体を覆った純白の霧は 、満ち充ちていく気に呼応するように、その身体を駆け巡った。
「これからの闘いに、貴様は不要だ。何処へなりとも失せるがいい」
勇者が右手を挙げる。竜のように駆け巡る白い奔流が手に集中し、やがて、一つの輝く光の球体となる。
「路銀だ。くれてやる」
伏したままのギルバートに向かって、勇者が光の塊を差し出す。
「な……何……?」
光の塊は空中で糸のようにほどけて、何本かの筋となって、ギルバートの身体に吸い込まれていった。
「……ッ…………!……これは……!?」
光がギルバートに飲み込まれた後、彼の麻痺していた体は自由を取り戻した。ギルバートは拳を固く握って、そのことを確かめる。
「過剰な魔力欠乏を起こしていた貴様の身体に…魔力を与えた。身体が動くなら、さっさと消えろ」
勇者は怪物を睨んだまま、動かない。剣の柄にかけた指。地面に屹立する脚。岩石のように沈黙する身体。勇者の全てが、怪物を睨んでいた。
「で……でも俺は……」
ギルバートはためらった。魔族の自分を庇っただけでなくみすみす逃がすのか。勇者として、それは許されるのか。
「俺は魔族だ…!!アンタ…俺をこのまま逃がしていいのか…?」
ギルバートは問う。
勇者は、
「ああそうだ。貴様は魔族で俺は勇者だ。だが、ここでそれを持ち出すことに何の意味がある?今の俺の相手は貴様などではない。目の前の怪物だ」
勇者の姿が揺らめく。勇者から放たれる灼熱の気が、彼の身体を炎に変える。勇者は炎を纏って、標的を狙う。
「次に会った時には容赦はしない…。俺は勇者として貴様を殺す。それまでに精々足掻いて、魔族として俺を苦しめてみろ…。貴様が一介の魔物として俺を苦しめた暁には……俺は貴様を逃がしたことを後悔するかもな」
そう言い終えた刹那、炎に包まれた勇者の体は一本の光に変わり、怪物に突っ込んでいった。
ギルバートは木々が薙ぎ倒された森をまた走り始めた。
隣にもう友の姿はない。
最後のゴブリンとして、ギルバートは夜の闇へと溶けていった。
後方で、凄まじい唸り声が響き渡る。
振り向かず、ギルバートは駆けた。
次に会ったら、容赦はしない。その言葉と、翻る赤い首巻きの姿が、ただ彼の胸中に染み込んでいた。
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