第30話 魂の炎

「ジェネ…レータ…?」


「そう」


 男がギルバートを見る。仮面の中で、瞳が僅かな光を放つ。薙ぎ倒され、燃える木々の炎を反射して、男の眼は濁った光を宿す。瞳の冷徹が、炎の熱をも凍てつかせるようだった。


「あの石があんなところにあったなんて驚きだよ。ゴブリンが棲む、価値なんて微塵も感じねェ山。ゴミ山だ。そんなところにあっていいものじゃないんだよ。あれは」


「石…?俺たちゴブリンが掘り出した…あの…?」


「あれは人間が所有するべきものなんだ。魔族が持ってていいものじゃない。お前らの命運は、あれを掘り出した時、決まってしまったんだ」


「命運だと…!?」


 ギルバートは回顧した。洞窟の中に投げ込まれた布告。殲滅の証明書を。毒の煙が充満し、仲間たちを蝕んでいく光景。苦悶の表情で身体中の穴という穴から体液を垂れ流しながら、出口に向かっていくゴブリンたち。背後から聞こえた断末魔を。


 風が吹いた。眼球も唇も焼き尽くされ、面影や特徴など、生きた証明全てを失った友の死体が揺れた。それは生きた時間の重み、その歴史など、全て否定するかのように軽く、虚しく揺れていた。


「何で…」


「ん?」


「何で俺たちが…!ただ石を掘り出しただけだ…俺たちは!!あれの価値なんて知らない!!悪用しようなんて思ってもいなかったッッ!!人間に反抗しようなんて思ってもみなかったッッ!!それなのに何でここまでする必要があったんだァッッ!!」


「うッさ…」


 男はギルバートの顔面を蹴った。硬い靴の先端が鼻に突き刺さる。


「ぐぶゥッッ!!」


「掘り出したことが問題なんだよ。知らない関係ないは理由にならない。あの石を見つけたのが運の尽き…あの時点でお前らの根絶は決定事項になったってワケだよ。それなのにお前らは…」


 男はギルバートの顔面を蹴り続ける。ギルバートの長い鼻は折れ、ぐしゃぐしゃに形を変えていく。


「何でこう僕たちの手を煩わせるのかな?」


「がぶッッ!!げどッッ!!」


「まあ、君みたいな雑魚をいたぶるのももう飽きたし、もう終わりにしようかな」


 男はギルバートを蹴りあげた。血と泥が、ギルバートと共に宙を舞う。


「はははッッ。汚ェ顔だなぁ。ゴブリンはやっぱり絶滅すべきだ。お前らがあの石を掘り出してくれてよかったよ。この世から…また一つ醜いものが消えるきっかけになったんだから」


 仮面の男は、宙をを舞うギルバートに踵をぶち込んで地面に叩きつけた。


 強打されたギルバートの身体を、地面が撥ね付ける。ギルバートは、口一杯に苦い血の味を感じるとともに、内臓があるべき場所から乖離していく感覚を覚えた。


「来い。『歴史喰いディクテイター』。こいつの存在ごと喰らい尽くしてしまえ」


 放たれたのは黒い陰。


 男の背中から剥がれるようにその姿を表した黒い怪物。


 水のように定まった形を持たないそれは、倒れたギルバートの視界を覆い尽くした。


「さあ」


 男の合図とともに、怪物は液体のような身体から生々しい牙を剥き出した。


「呑め」


 得体の知れない怪物の口が、開かれる。喉の奥は深淵。ただ、口内をびっしりと埋め尽くす牙だけが、沈みかけた夕陽を写していた。


(俺は死ぬのかな)


 ギルバートは思った。


 それは決して死の覚悟などではない。ただぼんやりと思っただけだ。目の前に迫る圧倒的な力、激流を認識できない。


(何もわからないまま、俺は死ぬのか。劣等種と、蔑まれながら死んでいくのか?)


 だが、漠然とした感覚は徐々に熱を帯びていった。走馬灯のように脳内を駆け巡る疑問、その奔流が、諦めつつあるギルバートの魂を掴んで離さなかった。


(何も出来ず…何もわからないままで…死んでいくのか…?)


 怪物の牙が迫る。


 クルグの死に様が、蘇る。自分を庇って、炎に巻かれて儚く散ったその姿を。


(俺のせいで死んだあいつの仇すら取れずに…?あいつを殺してまで生きた俺が…このまま死んでいいのか?)


 死の感覚は、ギルバートの魂を呼び覚ました。枯れた魂。その根本に黒い炎が宿る。魔族として、ゴブリンとして、このままでは終われない。


 だが、現実は残酷だ。決意に目覚めても、怪物の牙はすぐそこに。


 死にたくない。ギルバートは強く思った。


 細い。細い糸にすがるような。微かな願い。


 俺は。


 絶望の中で僅かに輝く魂の炎。


 暗い森を抜け、絶望の夜を切り裂いた光。


 醜く、卑しく。生に執着する信念がもたらした光明が駆け巡って、ある者に届いたのか。偶然か。


「『千刃』」


 残照を照り返して輝く白い刃。


 絶望の色を切り裂き、闇夜に閃いた。



















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