第17話 虚ろに呟く

「はァ…!ああああああああああッッ!!」


 よろめきながら立ち上がった勇者。滴る血。歩み寄る獅子。腹部に大きな損傷を受けた勇者が、獅子に狩られるのも、時間の問題であるように見えた。


 折れた骨が体内を食い破る。深い裂傷が、勇者には刻まれていた。


「はァ…はァ…!ク…ククッッ…!!クハハハハハハハハハハッッ!!!」


 意外。深手を負った勇者は、勝利を確信したかのように高笑いを始めた。天を衝いて、不敵な笑い声は揚々と響き渡る。


 大きく開かれた口からは未だ、鮮血が止めどなく溢れ出ている。それをも意に介さず、勇者は笑い続ける。


 ただならぬ気配を察知したムントは暫し歩みを止め、剣を構えた。


「貴様…遂に狂ったか…。だがそれが免罪符になるなどと思うな…。自らの意識を手放して、戦闘を回避できるなどと思うな…。貴様が狂おうが…私は部下の雪辱を晴らすのみ…!遠慮なく斬り捨てさせてもらう…!」


 再び歩み出す獅子。捕食者にとって、獲物の状態など関係がない。獲物の側がどんな理由を持っていようが、狩る。そういった厳然たる意志を持って、一歩を重く踏みしめる。


 だが、そのようなムントの態度を嘲笑うかのように、勇者は振る舞う。ムントの存在など、眼中に無いように、一人。ただ一人だけで、戦場という舞台で笑う。


「ハハハッッ…さっきは…さっきは僕も確かに…少しばかりはイラついてしまった…。予想外の結果…想定外の事象…それらに対して過敏になりすぎてしまった…。これは反省すべきことだ…。僕というものが取り乱して…目の前の獲物と楽しむことを忘れてしまうなんてねェ…」


 やれやれと、勇者は肩を落とす。先程までの激情は今となっては何処へ消えたかわからない。霧散。跡形もなく消えて、面影すら残らない。急激な感情の転換は、潔さを遥か彼方に置いて、「不気味」の相貌だけを張り付けてムントの前へ現れた。


「いやァ~一旦落ち着こう…。落ち着いて考えてみれば、僕が負ける要素なんて何処にも無いことに気がつける筈さ…。そうだ…僕はいつだって『攻』の側…。守りに転じて…そのままズルズルと敗北の道を辿るなんてことはあり得ないんだ…」


 勇者は、にじりよるムントを全く無視して、一人思想に耽ってしまった。ぶつぶつとうわ言のように自らを肯定する言葉を並べていく。


「そうさ僕は神…いわばこの世界の支配者で主宰者…奪う者だ…。今僕が置かれているこの状況も戯曲の一幕に過ぎない…。最後は僕が笑って穢れた魔族を足蹴にする勧善懲悪の物語…。そうだ…そうだよ…。ヒーローには…舞台の主役にはピンチが必要なんだ…。そうじゃないと観衆が盛り上がらない…。この最悪の状況が転じて…僕は真の英雄トナルンダ…」


「貴様…何を…」


 空を見上げて呪文のように何かを呟き続ける勇者に、ムントは迫る。剣閃の射程距離、そこまで、ムントは迫っていた。


 勇者の様子は、明らかにおかしかった。うわ言は詠唱のように、何かただならぬ気配を孕

 んでいる。目は虚ろになって、自分を鼓舞する言葉とは裏腹に、この世を諦めたような絶望の色に染まっていた。


 ムントは一時躊躇した。


 だが、斬り捨ててしまえば何も出来まい。思考を振り切って、剣を掲げた。


「…狂った臆病者には用は無い…。殺した者共に懺悔しながら…この世界から失せるがいい…」


 剣を引く。獅子の腕が鞭のようにしなる。銀色の閃きが、弧状の軌跡を描く。勇者に対して振り下ろされた鋭い雷は、鮮血を中空に煌めかせる。


「終わったな…魔軍の怒りを思い知れ…!そしてッッ!!地獄の底でッッ!!我らの同胞にッッ!!八つ裂きにされるがいいわァッッ!!!」


 勇者の肩にめり込んだムントの剣は、鈍い音を立てて勇者の体内を食い破っていく。開かれた傷口から激しい血飛沫が迸り、獅子の身体を赤く染めていく。


「ぐるァッッ!!!」


 猛獣のような唸り声を上げて、ムントは勇者を両断した。右肩から左腿の付け根まで、ムントの剣が食い破る。


 虚ろな目をした勇者の上半身は剣撃の威力に撥ね飛ばされ、飛沫を上げて空を舞った。


 力を失った哀れな下半身は、ぼとんと湿った音を立てて平原に崩れ落ちた。


 渾身の力で勇者を両断したムントは一つ息を吐いて、目を閉じた。


「魔王軍麾下きか獣騎士団長ムント…侵入者を排除…。死んでいった獣騎士の同胞たちの仇…確かに討ち取った…」


 未だ血が滴る剣を振り下ろした姿勢のまま、ムントは眼を閉ざしている。黙祷のように、ただただ沈む。










「…………………。……………………」


 暫しの沈黙の後。


 剣を収めてムントは立ち上がった。死を忌み嫌った勇者の無惨な死骸を背に、歩き始めた。


「…貴様は死を嫌った…。だが、それは死の運命から目を背けているだけのこと…。恐れているだけのことだ…。死から逃げ惑う貴様は…死を直視する者には敵わぬ…」


 ムントは死骸を背に語った。


「ただただ懺悔せよ…勇者を騙る冒涜の申し子よ…」


 ムントは、背後にある勇者の死骸に、一瞬振り返った。







 だが振り返ったそこには、死骸など、なかった。


 刹那、ムントの本能が、警告した。


 ここは危険だと。


 ムントはすぐさま剣を引き抜き、構えた。


 だが、遅かった。






「僕ハ…英雄トナルンダ…」









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