第15話 獅子王ムント

「どけろ」


 勇者の後ろで、獣が短くえた。氷のように刺すような冷気が、後方から雪崩れ込んでくる。しかし、その冷たさの中に、焼き尽くすような怒りの熱。それがあった。


「は…ハハッ…!これはこれは…!気配からしてただ者ではないと思っていたけど…これは思わぬ幸運だ…!」


 勇者は振り返ることなく、後ろの魔獣に相対す。この気配。この声。これは。


「僕はなんて幸運なんだ…!獣騎士団長ムント…!こいつ一匹を殺して釣れるなんて…」


 勇者は背筋に氷柱を突き刺されるような感覚を味わいながら、強者とまみえた興奮の熱を同時に感じていた。額に流れた冷たい汗。恐怖が垂らした一滴ひとしずくは、蒸気した体を伝って、熱情の結晶となって地面に流れ落ちた。


「どけろ」


 怒りの獣、ムントは短く唸り続ける。勇者を威嚇するためか。違う。これは相手を降伏させる示威行為ではない。


「はははッ!さっきからどうしたの?何をどけると言うのだい?僕は君を早く切り裂きたい…!無駄話は極力控えていこうね?」


「無駄話だと…?」


 鋭い殺気が空気を凍りつかせた。そうだ。これは威嚇なんて、ぬるいものではない。


「その薄汚い足を我が同胞からどけろと言っているのだッッ!!!」


 これは、宣戦布告だ。ぶっ殺してやる。そんな憎悪に満ちた決意表明である。


「ああ!これかァ!いや、僕は死体には興味が無くてね!生きているものにしか価値を見いだせないんだよォッッ!!!」


 紫勇者は足蹴にしていたヘリクスの死骸を思い切り蹴っ飛ばした。その勢いで勢いよく反転し、携えた短剣をひらめかせて一気にムントへと襲いかかった。


「貴様のような酷薄な人間が勇者を名乗れると思うなよッ…!!勇者は自らが殺した魔物に対しても敬意を払い…足蹴にしたことなど一度もなかったのだッ!!貴様ら転生勇者が現れるまでの勇者はなァッッ!!!」


 獣騎士団長にして獣魔族の王ムント。その威風と、騎士団の証である真紅の外套マントをはためかせ、遂に姿を現した。獅子の魔族。獣たちの王。勇者の臓腑を喰らいつくさんと牙を剥き、眼を見開く。獅子の装飾をあしらう剣と盾を手に、勇者の一撃を迎え撃った。


「ヘリクス…すまない…!私があの時目を離したばかりに…!だが…謝罪はここまでだ。言葉だけでは薄っぺらい。私がこいつを斬り捨て…お前の墓前に首を供えることがッ!!私にできる…お前への最大の償いであるッッ!!!」

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