第14話 怒りの魔獣

 立ちすくむ魔族たち。悪魔と呼ばれ、重く冷たい地獄の門をくぐって人間界に現れた彼らでさえも、経験したことのない邪悪。


「くそッ…!何故動かぬッ…!」


 標的にされた左翼側の獣騎士の一団。その隊長の一人、からす魔族のヘリクスが声を挙げた。漆黒の体に二つ輝くその瞳に写っているのは、狂った殺戮者。


「こ…ここまでか…」


 眼前に迫る血まみれの勇者を前に、鎧を着たカラスの目が閉じられた。固く閉じられた嘴が軋む。


「おまたせェ…君からだね…」


 紫勇者が品定めでもするかのように、動かないヘリクスを凝視する。逞しい筋肉を鎧の中に発見した勇者は、歓喜の声を挙げた。


「おォ~~ッ!いいねェこれは…。切り開く甲斐がある…美しい肉…!硬い…硬くて強靭な肉…!柔肌を切り裂くのもいいけどォ…それは人間で事足りる…!柔弱な人間よりも!鍛え抜かれた魔族の軍人の筋肉を裂くのは!どんなに心地いいのかなァーーーッッ!!」


 狂気の笑みとともに、勇者がまだ血の乾ききっていない短剣を振り上げた。ヘリクスは死の覚悟とともに眼をかっと見開いた。死ぬ前に、最期に現世の風景を。そう思って、眼を開けた。


 ナイフを振り上げたその腕の隙間から、蒼い空がのぞいていた。故郷とは違う色の天。その色を惜しんだ。


『地獄』から生まれた魔族といえども、死んで帰る場所は、虚無だ。地獄には帰れない。死ねばおしまいだ。転生なんて、都合の良い奇跡なんて、起こるはずがない。


 ヘリクスは、再び眼を閉ざした。地獄より出でて、連日押し寄せる王国軍との抗争の日々に、自らが将軍として獣騎士団の一つの隊を任されたあの日。そして、命を預かった将軍でありながら、部下を守ることなく無様に犬死にしそうな現在に至るまでの記憶が、奔流のように脳内を駆け巡った。


 最期に思うことは、あの『将軍』のようになりたかった。平魔族であった自分を将軍として認めたあの『将軍』。獣騎士団長ムントのように。


 ナイフが鉄槌のように振り落とされ、ヘリクスの体は切り裂かれた。激しい血飛沫を上げてヘリクスは倒れる。その目には涙が浮かんでいた。


「ムント将…ッ軍…」


 か細く最後の思いを絞りだし、仰向けに倒れたヘリクスの死体の前で紫勇者は悦楽に浸っていた。


「やっぱり筋肉は最高だ…!圧迫された血液が…勢いよく吹き出るこの感触ッ…!替えがたいッ…!何にも替えがたいものだァーーーーーーッッ!!ひッ!!へへへへへッ!!」


 不気味な高笑いが響く。静寂の中に、あっけなく死んだ将軍を嘆く声も許さずに響き続ける。


「きひィッ!!次は誰かなァ…さっきの奴よりも僕を悦ばせる肉体…!生き生きとした『生』が感じられる肉体はどこだァッッ!!」


 勇者が不意に形相を変えて怒鳴る。


「ああああッッ!!我慢できないッッ!!早くッ寄越せよッッ!!!次の『生』を!生を生を生を生を生を生を生を生をォ!!」

 

 限界を超えた欲望が、遂に勇者の中で暴発した。足下に死体を踏み、天に向かって生物を渇望する。勇者の叫びは乾いた戦場に轟き、天を貫くようだった。


「殺したいッッ!!!殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺し

 たい殺したいィーーーーッッ!!」

 

 良質の『生』を仕留め、昂るたぎりを抑えきれなくなった勇者は激しく頭部を降って、狂乱した。『殺害』中毒。そんなおぞましい表現が、最も似合う。


 だが。


 そんな勇者の狂乱は、ある気配にかき消されてしまった。


「ーーーーーーッッ!!!」


 踊り狂う勇者は、身体からだを貫き、精神こころを刺すような、冷たく、強大な『生』の気配を瞬間。感じ取った。


 おぞましい勇者の過熱した狂想をも凍らせる冷たい気配。それは、後ろから。


 何だ。この気配は。


 勇者は思った。冷徹な『生』。それが、すぐ後ろに。振り返れば、そこにいる。


 強力な『生』。渇望していたその対象が、振り向けばそこにいる、というのに。


 振り向けなかった。


 後ろには、怒れる獣がいたから。


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