第10話 ひとときの喚声

「…魔王様…侵入者は排除いたしました…が…しかし…」


 翠勇者の死骸の前に立つ魔軍の将、アルダシール。勇者との戦闘で、彼の体には大きなダメージが残っていた。


「私は…しばらく…」


 魔軍の将は片膝を突き、その場から動かなくなった。体に走ったひびの中を、草原の風が吹き抜けた。


 破壊魔法は、やはり堪えた。アルダシールの体は、軋みながらゆっくりと倒れ込んだ。


「暫しの休息を…どうか…お許…し…くださ…い」


 アルダシールは眠った。閉じる瞼など無かったが、死んだように眠った。離脱。アルダシール、戦場より離脱。


 しかし、タダでは倒れなかった。魔物。魔王の『すてごま』としての本分を果たした魔物が、そこには倒れていた。魔王の首を狙う不届き者を排除して、一匹の魔物は静かに眠った。










 アルダシールの勝利に少し遅れて、骸骨馬の集団。アルダシールの副官、マルテル指揮の下、彼ら死霊部隊は翠勇者が率いていた軍、指揮官を失った軍を蹴散らし、撹乱していた。


「よし!指揮官を失った勇者軍は弱体!我ら死霊部隊が奴等を踏み潰すのだッ!いけッ!総崩れになった勇者軍に突撃するのだッ!」


 騎馬隊の指揮の最中に、マルテルは、アルダシールを回顧した。


「アルダシール将軍…果たしてご無事でおられるのか…」


 マルテルは、自身の魂を宿した骸骨馬を操り、勇者軍を追跡する。遊撃部隊でありながら、圧倒的多数の翠勇者軍の指揮系統をかき乱したことは、大きかった。遊撃部隊のはたらきは、魔王軍が勢いを盛り返す契機となった。


「マルテル将軍!右翼の軍にどうやらジギス将軍が帰って来たようです!彼の軍隊…右翼側の竜兵団が勇者軍を側面から激しく攻撃しておりますッ!」


「ああ…!どうやらな…!ジギス将軍…!全くなんてお方だ…!一度右翼の竜兵団を散開させ、あたかも右翼が壊滅したように見せかけるとは…!私達遊撃部隊に翠勇者軍の注意を引かせ、その間に側面に回るとは…!初めからアルダシール将軍が翠勇者と一騎討ちを行い、将軍が勝利することを前提にしていたというのか…?フフ…これではアルダシール将軍を信頼しているのか酷使したいのかわからないな…」


 マルテルは一瞬微笑んだが、すぐに厳しい表情に戻って、崩れゆく勇者軍を見つめた。


「よしッ!我々の役目は終わったッ!撹乱は十分だッ!後の処理は左翼より迫るムント将軍の獣騎士団に任せるぞッ!右翼と左翼から迫る兵たちに挟み込まれぬよう、速やかに戦場から退却せよッ!」


 魔王軍は、勇者軍を挟み打ちにした。及び腰になった勇者軍の兵隊は、もはや戦える状態ではない。戦場の隙間から次々と流れだし、勇者軍は潰走していった。魔王軍は追撃せず、ただ退却する勇者軍を見つめていた。


 勇者軍は逃げた。力の限り。指揮官であった翠勇者を失い、士気を失ってただ呆然と逃げ惑った。


「我々の勝利だ…!魔王軍の勝利だッ!!」


 魔王軍の兵卒一人が叫んだ。彼が叫ぶと、他の者もせきを切ったようにして口々に勝利を声高に宣言した。戦場は魔族の喚声で満ち溢れ、乾いた風が死体の血生臭さを運んだ。ここに一つの、たった一つの小さな戦争が終わりを告げた。


 人間の王が治める諸国からは、引き続き魔王討伐軍が送られてくる。そんなことは、皆わかっていたが、今は勝利を喜んだ。ただ一つの勝利を。
























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