第3話 下界の日常
「わっせ……! わっせ……! ふう……だいぶ片付いたかな?」
収穫を終えたニンジン畑を眺めながら、私は額の汗を拭う。
「いや~トキちゃん、いつもありがとうね。今日はもう上がっていいから。あっ、これ今日の分のお給料六千ダロスと……余ったニンジン、ちょっとだけど持って帰ってね」
「うわあ……! ありがとうございます! 助かります!」
私は農家のおじさんからお給料の入った封筒に加え、ニンジンが溢れんばかり詰め込まれた袋を受け取った。
これだけの量があれば二、三日はニンジンだけで食べていく事も出来るはずだ。思わず、笑みがこぼれる。
「じゃあ、お先に失礼します! お疲れさまでした!」
「はい、お疲れ様。臨時のバイトはいつでも募集してるから、またきてね~」
私は農家のおじさんに挨拶を済ませて畑を後にした。
今日の仕事も無事終了。
天界にいた頃は事務労働ばかりだったため、最初はどうなる事かと不安に思ったけど、やってみると畑仕事も案外悪くない。
私はそのまま近くの大衆浴場に寄り、汗を流す。
お風呂から上がると、今度は私服に着替えて商店街へ。
そこで、今日の夕食と明日の朝食用のパンを購入して宿へと戻った。
――そう、これが現在の私の日常。
アカシアと呼ばれるこの街へ駆け込んでから一か月、ひたすら畑と宿を往復する毎日。
信じて待っていた天界からの迎えは一向に来ず、私は下界で農家としての経験値をひたすらため続けていた。
ああ、早く天界に帰りたい……。
借りている部屋の前までやってきた私は、内側から鍵を開けてもらうためにドアをノックする。
数秒後、鍵の開く音を確認して部屋の中へ。
「ただいま。いや~、今日も疲れたなあ。さて、後はご飯を食べて寝るだけ――」
そこで私を出迎えたのは、酒瓶を抱えて顔を赤くしたシドだった。
「お疲れさ~ん! 今日の稼ぎはどうだった~?」
呑気に話しかけてくるシドの姿を見て、上げることすら億劫だった腕に力が戻ってくるのを感じる。
シドは返事をしない私の顔を覗き込んで、尋ねてきた。
「……ん? どうした? なんだか元気がないみてえだが、嫌な事でもされたのか?」
「嫌な事……ね。うん、されてるよ。……現在進行形でね」
宿で共同生活を始めてからしばらく経ち、気付けば私はシドとタメ口で話す仲になっていた。
「ほ~ん? あっ、そんなことより今日のパンは?」
「……パンならそこの袋に入ってるよ」
「なんだ、それなら早く出してくれよ。ちょうど、つまみがなくなって困ってたああああ!?」
私の苦労も知らず、舐めた事を抜かすシドにアイアンクローを食らわせる。
「おつまみが……なんだって? シド、もう一回言ってみてよ。ほら、ちゃんと聞いてあげるから。続きを言ってみて」
「いや……お前が毎日、夕方になったらパンを持って帰ってくるから、今日もあるかなって。あったら酒のつまみにしたいな~……なんて」
「こ・れ・は! 私が必死に働いて買ったパンなの! 働きもせず、ずっとお酒ばっか飲んでるあなたのおつまみなんかじゃない!!」
「ご、ごめんなさい、許してください! ……って、なんで俺がこんなに怒られてるんだ!? 俺は神様だぞ! そのくらいお供え物として、タダでくれてもいいじゃねえか!」
開き直ったシドの言葉に、私の中で何かが切れる音がした。
「うるさいよ! どうして、私が一生懸命働いてるのに、あなたは遊んでばっかりなの!? ていうか、そんなお金あるんだったら早く別の部屋に移ってよ! 異性と同部屋なんて、女性への配慮が足りてないよ!」
シドは本気でキレた私の姿に一瞬狼狽えるも、その後、自身を指差しながら尋ねてきた。
「ん? 異性って俺の事か? おいおい冗談キツいぜ、俺が男に見えるってのかよ?」
「え? シドって男の神様なんじゃないの?」
まさか……女?
容姿はともかく、言葉が荒っぽいので勝手に男だと思っていた。
疑問を浮かべる私に、シドは腰に手を当てて言った。
「神に性別は関係ねえ。男でもあり女でもある、それが神だ。とりあえず異性ではない。まあ、仮に俺が男だとしてもお前みたいな貧相な体の女、タイプじゃねえから安心してくれていいぞ」
こいつ、いちいち腹立つな。
でも、そういう事なら仕方ない。お金に余裕がある訳でもないし、同部屋なことは我慢しよう。
話が逸れて、怒る気が失せた私は呆れながらシドに告げる。
「とにかく、おつまみくらい自分で稼いで買えるようにして。分かった?」
「はいはい分かったよ。じゃあ俺も、明日からはニンジン掘り手伝うから。だから、今日だけはパンを分けてくれ」
そう言って、シドはパンの入った袋に手を伸ばし――
「ちょい待ち」
と、私はパンを取ろうと伸ばすシドの腕を掴んだ。
「……なんだよ、まだ怒ってんのか? 明日からはちゃんと働くって言ってんじゃん」
「いやいや、そうじゃなくてさ……。その、本当にいいの? バイトなんかしてて」
「はあ? だって、そうしなきゃ酒だって飲ませてもらえないんだろ? まったく、さっきお前が言ったことじゃねえか」
「そうなんだけど、そうじゃなくて! 本当にそれでいいの? これから先も日雇いバイトで、その日暮らしを続けていくつもり? 天界へ帰るために何か行動とかしないの?」
……私が思うに、天界の者が下界で生きていくことは非常に難しい。
その理由として、まず文化のレベルに大きな隔たりがある。
これは過去に聞いた話だけど、天界は下界が力を持ちすぎないようにするため、文化の発展をある程度コントロールしているという。
その結果、下界は天界に比べ文明や倫理観など、あらゆる点でおよそ三千年ほど遅れているのだそうだ。
ある日突然、三千年前の環境で生活しろと言われても、多くの生物には不可能だろう。
特に、シドは神様。天使以上に好き勝手暮らしていただろうに、今からこの環境に適応できるはずがない。
また、下界は何かと物騒だ。
街の外には狂暴なモンスターが溢れているし、倫理観の欠如から他人を傷付けることに戸惑いのない者も数多く存在する。
神様としての能力をすべて失ったシドでは、そんな存在に太刀打ちできない。
天界とは何もかもが違うのだ。
世界を裏で操る悪の親玉に、そんな状況を打破しようと革命を志す人々……そんな、鼻で笑いたくなるような連中が実在しているのがこの世界。
下界とはそういう所だ。
「そんな事言ったって仕方ないだろ。一度、下界に落とされた神が、再び天界に帰るなんて、まず不可能なんだよ。俺はもう、下界で酒とギャンブルを楽しみながら生きていく事に決めたんだ」
当の本人にそう言い切られると、返す言葉が見つからない。
いずれ天界から迎えが来るであろう私と違い、シドは天界に戻れる見込みがほとんどないのだ。自暴自棄になるのも理解できなくはない。
「まあ、シドがそれで構わないって言うなら止めはしないけど……。でも、あなただって今までずっと努力して、神の位にまで上り詰めたんでしょ? それが、たった一回悪事を働いたからってこの先、下界で生きていくことを強制されるなんて悔しくないの? もし、少しでも天界に帰れる可能性があるなら……道を探ってみる価値はあると思う」
私の言葉を聞いて顎に手を当てたシドは、しばらく考え込んでから口を開く。
「……なるほど、確かに言われてみりゃその通りだな。……よし、じゃあ決めた! 俺も天界に帰るために行動を起こす! 下界に降りてきている天使どもを片っ端からシバいて、無理矢理にでも俺を天界に連れ帰らせてやる!」
思い付きで物騒な事を口にしたシドを見て、こいつ本当に神様なのかと疑わしくなる。
「いや、やる気になったのはいいけど、なんでそんなに暴力的なの? もっとこう、穏便にいこうよ。……例えば、善行を積んで他の神様に認めて貰うとかさ」
「そんな回りくどいやり方、絶対に嫌だね!俺は今をもって、復讐の鬼と化したんだ!」
私がなだめようとするも、シドは首を横に振って拒否を示した。
なるほど、何としても私の言う事は聞きたくないと。……ならば、私にも考えがある。
「はあ……分かったよ。そんなに天界と揉めたければ好きにすればいい。でもその場合、味方はできないからね。私は天界と敵対関係になるつもりはないから、これからは一人で頑張ってよ。……とりあえず、この部屋からは出ていって」
私の言葉に、シドの表情に焦りが出る。
「わ、分かったよ! 大人しく善行を積めばいいんだろ! 明日、遊びに行くついでに街で困ってる奴がいないか聞いてみるから、追い出すのは待ってくれ!」
「遊びに行くついでっていうのが気になるけど……。そうだね、頑張ってみて。良い結果を期待してるよ」
「おう、任せとけ!」
そう言って胸を張るシドを横目で見ながら、私はパンを一口かじった。
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