第2話 いざ、下界へ!

「……本当に追い出されてしまった」


 私は目の前に広がる景色を眺めながら、無気力に呟いた。


 そこは、果てしなく続く草原。

 周囲に人工物は見当たらず、所々に木が生えている程度だ。


 少し前まで雨が降っていたのか、足元にはいくつもの水たまり。

 そこに映し出されているのは、黄みがかった淡い桃色のショートヘアを揺らす少女――人間の基準で言えば、おそらく十代半ばくらいの年齢であろう私の姿。


 下界に降りるにあたっての配慮だろうか。

 服装は白のシャツにピンクのスカートという、下界でも目立たないシンプルなものに変わっていた。

 一方、堕天の影響により背中に生えていた羽は無くなっている。




 さて、これからどうしよう。

 とりあえず、疑いが晴れるまでは下界で生活しなきゃダメなんだよね……。となると、最低限必要なのは寝床と収入源かな。

 現状を把握した私は、隣で頭を抱えたまましゃがみ込んでいるシドの方へと振り向いた。


「あの……シド様はこれからどうするんですか? どこか行くあてとかって――」

「あああああ!! ちくしょおおお!! 覚えてやがれえええ!!」


 私が声をかけた瞬間、シドは急に立ち上がり天に向かって叫んだ。


「うわっ! びっくりした! 急にどうしたんですか?」


 突然の豹変に驚いた私は、一歩後ずさる。

 そんな私に、シドは充血させた目で睨みつけてきた。


「どうもこうもあるか! 俺は神の座を失ったんだぞ!? そんでもって天界まで追い出されて……。俺はこれからどうやって生きていけばいいんだよ!」


 シドは私の肩を掴んで、大きく前後に揺らす。

 涙やらなんやらで顔を汁まみれにし目と鼻の先で叫び倒すその姿は、夢に出てきそうだ。正直、一刻も早く離れたい。


「ちょっ、シド様落ち着いて! そんな事、私に言われても困ります! まずは冷静になりましょう?」

「冷静でなんかいられるか! もういい、俺はここで死ぬ!」


 シドはそう言うと、地面に寝転がってバタバタと暴れだした。


 ……参ったな、非常に面倒な事になった。

 置いていきたい所だけど相手は一応、神様だし……そういう訳にもいかないよね。

 私は寝転がったままのシドの隣に膝をついて、優しく声をかける。


「とりあえず、安全なところまで歩きましょう? こんな所にいたら、いつモンスターに襲われるかも分からないですし……。どこか近くの街とか知りませんか?」

「はあ? 俺は神様だぞ? 下界の……しかもこんな田舎の地理なんか知ってる訳ねえだろ」


 なんだこいつ。偉そうな割に、全然役に立たないじゃん。


「神様なのにそんな事も知らないんですか?」

「……お前だって、天使の中では一番偉かったくせに知らねえだろうが」

「……まあ、それもそうですけど」


 特にかける言葉も思いつかず私が黙っていると、シドが何かを思い出したように手をポンと叩いた。


「あっ、でも下界で有名な酒場と賭博場なら、一通り調べてあるぜ。いつか下界に下りる事があれば行ってみたかったんだよなあ……。今度、案内してやろうか?」

「結構です」


 結局、二人とも地理的な位置がまったく分からないため、適当な方角に向けて出発した。




 ――途中、話題もないので気になった点を質問する事に。


「そういえば、シド様って横領の罪で追放されたんですよね? 神の位を追放って、一体どれくらいの額を使い込んだんですか?」

「ん? まあ、そんな大した額じゃねえよ。天界の年間予算のうち、ほんの三分の二程度だ」


 私の質問に、シドがさらりと返す。

 いや、三分の二って……それえらい額なのでは? 私の疑いなんかより、よっぽど天界を危機に晒している気がする。


「それはまた……結構、大胆な使い方をしましたね」

「……今、心の中で俺のことクズだとか思っただろ?」

「別に、そんな事は思ってないですよ? ただ、こんな人に敬語使うのも馬鹿らしいなって思っただけ……って、ちょっとやめてください! 叩かないで!」


 私の言葉に腹を立てたシドが横から叩いてくるが、それをなだめて道なき道を進んでいく。



◆ ◆ ◆



 ――私がそれに気づいたのは、歩き始めてから二時間ほど経った頃だった。

 代わり映えのない景色に飽き、遠くをぼーっと眺めていた私の目に飛び込んできたのは、草原の遠く離れた場所にいた一匹の巨大イノシシの姿。


 あれは……確か下界で「マンモスボア」と呼ばれていたモンスターだったはず。

 そのイノシシは、こちらに向かって突進してきていた。


「シド様、遠くからイノシシが突っ込んできてます。確認できる限り一匹だけのようですが、どうしますか?」

「天界の教えに後退の文字はねえ! 迎え撃つぞ!」


 ストレスによる影響か、はたまた元からなのか……やけにハイテンションなシドが仁王立ちで私に指示を出す。


「迎え撃つって、どうやってですか? 私、武器なんか持ってませんよ? あと、そんな教え聞いたことないです」

「お前にはまだ、天使の力が残ってるはずだ! 『天使の矢』とか出せるだろ? それでどうにかしろ!」


 言われてはっとした。

 そうだ、堕天したとはいえ私はまだ天使。下界のモンスター程度に遅れを取ることなんてないはずだ!


「なるほど、その手がありましたね……分かりました!」


 私は目を閉じて意識を集中させる……。

 次に目を開けた時、私の手には身長の半分ほどの大きさがある白い弓が握られ、背中には天界製の矢が詰まった矢筒が背負われていた。


 よし、これで戦える……!

 私は弓を引き絞り、五十メートルほどの距離まで近づいてきていたイノシシの頭に向けて狙いを定めた。


「……食らえ!」


 草原の中を一筋の紫電が駆け抜ける。

 声と同時に放った矢は、衝撃波を生み出しながら一直線にイノシシの頭を捉えると……!

 勢いのままにイノシシを貫通し、そのまま遥か彼方へと消えていった。


 やはり、天界と下界とでは勝手が違うみたいだ。

 自分で放ったにも関わらず、その衝撃の大きさに思わず尻餅をついてしまう。

 矢が通った後の地面は草が吹き飛び、二十センチほどの溝が残った。


「ふう……何とか無事に片付いたね。よかった、よかった」


 一段落着いた事に、私がほっと胸を撫で下ろしたその時――

 雲の隙間から、小高い丘の上に風車が回っているのが見えた。


 どうやら、気付かないうちに人が住んでいる街に近づいていたらしい。

 あの距離なら、ここから三十分も歩けば到着できるだろう。


「シド様! 街ですよ、街! あそこまで行けば、もう安全――」


 言いながらシドの方へ振り向いて、私は動きを止める。

 そこには、背後から迫ってきていたらしい別のイノシシに、腕をかじられているシドの姿があった。


「……どうやら俺、追放された時にすべての能力を剥奪されてたみたいだ。戦闘手段が何一つねえわ。すまん……ちょっと手を貸してくれねえか?」

「シ、シド様ーーー!!」




 私はイノシシからシドを引き離すと、再び矢を放って撃退。

 どうにか無事だったシドを引きずって、街へと駆け込んだ。

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