第三回


 少女は本物の取調べ室に通され、狭い室内を見回していた。目の前には二人の刑事——早見の部下の鈴木裕也すずきゆうや巡査部長と白石志保しらいししほ巡査部長が、パイプ椅子に座っている。

「あの……私、悪いこと、しましたか?」

 緊張が伝わる口調で少女は鈴木に尋ねた。本人の予想は会議室などのまた別の部屋だったようで、ここに案内されるとは思いもしなかったらしい。


「この部屋は被疑者の取調べ以外にも、事件関係者や似顔絵作りにも使われてます。なので、少し楽にしてもらっても大丈夫ですよ」

 志保が安心させるように言った。


 聴取が始まった。早見はモニター室という別室でその様子をモニター越しにモニタリングしている。取調べ室にカメラを設置したのは、取調べの可視化のためで、近年急速に進められている。


「名乗り出てくれたのは、舟橋歩夢さん、十四歳。江戸川区立松江第一中学校の生徒です」

 早見の隣に腰掛ける羽根田が目撃者について説明した。歩夢は眼鏡をかけた女の子で、モニター越しであるが「大人しい」といった印象を感じる。


「いくつか質問しますので、正直に答えてください。もちろん、思い出せないことがあれば無理に思い出そうとしなくても大丈夫ですよ」

 鈴木は注意事項を話すと、最初の質問をした。「あなたが目撃したのは、どの場面ですか?」

「被害者の方が犯人に殴られるところです」

「犯行の瞬間ですね?」

「はい」

「ちなみにそれは、最初から見たんですか?」

 歩夢は首を一回、縦に振った。「灰色のスーツを着た人が歩いていて、その後ろを付けていた犯人が頭を鈍器のようなもので殴りました。殴られた男性はその場に倒れて動かなくなっていました」


 横から志保が現場の航空写真を取り出し、歩夢の前に置いた。

「ちなみに男性が倒れたのは、この地図の中でどこですか?」

「この辺りです」歩夢が橋の中央を指差した。彼女の喋った通り、被害者の男性はその場所で倒れていた。彼女は嘘をついていない。


「じゃあ、あなたがいた場所は?」

 志保は続けて訊いた。

「ここです」

「間違いないですか?」 

 歩夢は頷く。彼女は橋のスロープを指差していた。縦向きに印刷された航空写真で言えば、都営地下鉄新宿線船堀駅側となる。

「私、駅前の塾に通ってるんです。普段ならお母さんに送ってもらっているんですけど、時々両親が仕事で遅くなる時があるんです。そういう時は自転車で塾に行っています。あの日もそうでした」


「男の特徴は?」志保は訊いた。

「黒っぽい服装で、フードを被っていました。身長はたぶん、百七十センチぐらいだと思います」


「なぜ警察に通報しなかったんですか」鈴木は少女に疑問を投げかけた。「橋を渡る際に倒れた男性を見ることになりますよね。普通なら通報するはずですが」


「……それは」

 歩夢の話が弱々しくなった。「突然のことで動揺して、男の人が亡くなったと思って怖かったんです。通報しようという考えはその時はありませんでした」

 中学生とはいえ、まだどこかに幼さが残る子供だ。しかも女の子だから、大きなショックを受けやすい。早見は画面を見ながら、歩夢に同情した。


「男性はどっちに向かって歩いていたんですか?」

 メモをとりながら鈴木は質問を続けると「この方向でした」女子中学生は地図を上の方向へなぞった。


 歩夢の指の先には、被害にあったサラリーマンの男性の自宅がある。被害者は自宅へ向かって歩いていたのだ。


「この子の証言は、事件の流れをかなり変えることになりますね」

 モニターを見ながら早見の横で羽根田は安堵の表情を浮かべていた。「朝は『このヤマ、長引くな』と思ってたんですけど、早期に幕引き出来そうな感じになって良かった」

 早見も無駄足になる確率の高かった聞き込みの必要性がなくなると思うと、自然と吐息が漏れた。さっきの聞き込みは本当にきつかった。


「犯人の顔は見たんですか?」志保が尋ねた。「もし、見たんだったら、今から似顔絵を作成させて欲しいんですが」


 志保は似顔絵が描ける。本人の話だと、中学校の頃の美術の成績は、五段階評価で五をもらっていたらしい。なので、第二強行犯捜査第一係内の似顔絵作成担当は志保が選ばれている。


 志保の言葉に歩夢は、

「えっと………」

 言葉を濁した。


「どうかしましたか?」

「…………」

「覚えていないのかな?」

「無理に思い出さなくても大丈夫ですよ」鈴木が促すと、

「……言いたくありません!」

 歩夢は声を大にして言った。大人しい雰囲気の女の子が突然声を張り上げたので、目の前にいる鈴木と白石、さらにその様子をモニタニングしている早見、羽根田、向井も呆気にとられてしまった。


「ご、ごめんなさい」 

 数秒の沈黙の後、歩夢は頭を下げた。「顔は見ていません……」


 三十分近く行われた聴取が終わった。早見はモニター室を退室し、廊下で今から帰宅する歩夢とすれ違った。



 一日の業務が片付いた三人は、警察署近くの居酒屋で食事を取っていた。

「帳場、活気付いて良かったですね」

 タコの唐揚げを箸で摘みながら、羽根田が早見に言った。「朝は不機嫌そうだった理事官も表情が和らいでいたんで、ホッとしましたよ」

「あとは地取り捜査で固めていけば、ホシを挙げれますからね」向井も肩を撫で下ろしてカツオの叩きを口に放り込んでいる。

 

 二人の会話の通り、二十分前まで開かれていた二回目の捜査会議は、朝とは対称的の雰囲気で、捜査員全員が『解決』というトンネルの出口を目視していた。昼間に出会ったあのベテランの捜査員も吐息をついていた。


 事件は大きな山を越えたのだ。だが、早見は一人、聴取の際に、船橋歩夢が言ったあの一言のことを気にしていた。言葉では表しにくい何かモヤモヤした物が胸に突っかかる。


 なんであの子は「言いたくない」と言ったんだろう……。このことを目の前にいる二人に話さないわけがなかった。

「女の子に顔を覚えているか尋ねた時のあの子の反応、どう思う?」 


「どう思うって……。確かにあの時はびっくりしましたけど、すぐに『顔は見ていない』と話していましたし、特に気には止めませんでした」

 羽根田は腕を組んで意見を述べた。「何か気になるんですか、早見さん」


 早見は頷き、自分の考えていることを伝えた。

「早見警部補の仰る通り、何か隠している可能性はありますね」

 向井はコップを置いて頷いた。「今振り返ると、あの時の『言いたくありません』は拒否しているようにも聞こえます」


「しかし早見さん、例えそうだとしても、女の子にはなんの得も無いんですよ」

 羽根田は言った。「ホシを庇うことはあの子にとって必要の無い行動ですし、それにそうする理由がどこにもありません」


 羽根田の指摘は的を射ていた。船橋歩夢が似顔絵制作を拒むことにメリットなど全くない。上手く説明出来なくても、似顔絵捜査官は忠実に犯人の顔面を再現出来る。あの後、志保が説明しても歩夢は似顔絵作りに応じなかった。


「やっぱり、見えなかっただけじゃないんですかね」やがて、ウーロン茶を飲みながら羽根田が言った。「犯行時間は二十二時頃ですし、現場は暗かったのでは?」

 確かに午後十時頃は灯りが無いと前が見づらい。羽根田の意見は一理あるかもしれない。


 時刻はまもなく午後十時なろうとしていた。

「……そろそろか」

 早見は腕時計の時間を確認する。「二人とも、ちょっと付き合ってくれるかな」

「えっ、二軒目ですか?」食べ物を口に含みながら羽根田は質問した。

 早見は手を横に振る。

「いや、まだ今回のヤマの現場、見ていなかったことを思い出してさ。どうせ見るなら犯行時間と同じ時刻に行こうかなと」

 お勘定、財布から千円札を二枚を取り出し、店員に渡す。店を出て、駐車場に停めた車に乗り込んだ。早見と向井はアルコールが入っているため、運転は酒を摂取していない羽根田が行うことになった。


 ナビをセットし、車は何度か交差点を曲がった後、夜の中川沿いを通る都道450号線を走っている。車の往来は昼間よりも少なく空いていた。ナビに従い、交差点を直進。新川の川沿いを走った。


「ここですね」

 目的地付近に到着しました、ナビの音声案内が終了すると、羽根田はセダンを路肩につけて停める。

 早見は後部座席から降り立ち、すぐ橋のスロープへと駆ける。犯行時刻と同じ状況である現場の様子を荘厳に観察した。


 一足遅れて羽根田と向井も横に並んだ。

「街灯があって結構、明るいですね」

 と、辺りを見渡し羽根田が言った。

 歩道には、灯籠のようなデザインをした街灯が建てられていて、歩道を明るく照らしている。また、車道にも、LEDライトの街灯が設置されていた。


「向井。済まないけど、橋の中央に行ってこっちに手を振ってくれないかな」

 早見は向井に指示をした。すぐに若手はスロープを走って登る。


「ここから橋の上の人物がどんな風に見えるのか、確認してみよう」

 早見と羽根田が立っているのは、昼間、船橋歩夢が犯行の瞬間を目撃したと証言した位置だ。犯行時と同じ状況、そして目撃者のいた位置––––事件発生の時のことを再現することで、様々なことが分かってくる。


 向井が橋の中央で止まった。早見の指示通りこちらに大きく手を振った。


「あっ……!」

 二人は口を揃えて呟いた。   

 橋の上に人が立っているのは確認出来る。着ている服がどんな種類で何色なのかも目視可能だ。しかし、顔は、はっきりと見ることは、出来なかった。


「言いたくありません!」

 取調べ室で彼女は、はっきりとそう言った。しかし、実際に目撃した地点からは、犯人の顔は確認しづらい。つまり、「顔は見えづらかったので、分かりませんでした」と鈴木と志保に話せば良かったのだ。言いたくない、と拒むのは言葉としてもおかしい。


「なんで少女は、あんなことを言ったのでしょう」

 羽根田の問いに、

「本人に質問してみれば分かるかもな」

 欄干に凭れかかり、光が反射する水面を眺めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る