第二回
三
第一回目の捜査会議が終わると、すぐに小野田管理官の前に集合されられた。捜査担当決めと本部と所轄の顔合わせを行うためだ。
主任の早見は、彼より十五歳若い葛西署の
「よろしくお願いします」
緊張した様子で向井が挨拶をした。長身でひょろっとした体形の彼の額には汗が浮かんでいる。膝も小刻みに震えていた。
「彼は新人なんです」葛西署署長が早見に近付いて話した。「半年前に刑事講習を済ませた新参者なんで、色々と教えてやってくださいね」
向井によると、彼が警視庁に入庁したのは、今から五年前のことだという。一年前は交番で勤務していた。その後、副本部長の署長に推薦されて、同署の強行犯係の刑事になったらしい。
「向井、そんなに固くならなくても、大丈夫」
捜査一課主任に声をかけられ、硬い顔が上げられた。顔合わせが終わり、それぞれの捜査員が出発して行くなか、向井は丁寧に鞄の中を確認していた。「すいません。特捜の帳場は今回が初めてで……」
「経験が少ないと誰でも失敗する」
早見は若手刑事の肩を叩く。「それぐらい確認すれば大丈夫だろう」
謙虚な男。朝、捜査本部にやって来た際、警務係と一緒に向井はお茶を出していて、帳場にいる人全員に自ら挨拶をしていた。気取らない性格の向井に早見は一定の信頼を置くことに決めた。
「聞き込みに行くぞ」
時刻は朝の十時過ぎ。二人は会議室を出ると、駐車場に行き、捜査車両に乗り込んだ。行き先は船堀二丁目。現場近くの住宅街で、七組のコンビが二丁目担当となっている。早見と向井は郵便局周辺を命じられていた。
警察署を出た車は環七通りを進み、左折し住宅街の中を抜けると、新川に沿って走る。それから十分もかからず車はコインパーキングに停車していた。
車を降車し、二人は最初に聞き込みする住居へと歩き出した。
住宅街を歩く中で早見は朝の捜査会議のことを振り返った。初動捜査で機動捜査隊は、成果を挙げられなかった。捜査範囲は広げられたが、有力な情報が掴められるか正直不安だ。早見はこれまでに何度も地取りは経験してきた。朝から晩まで、靴底を擦り減らして仕事することにやり甲斐は感じるが、手応えがない場合、その体力が無駄に感じてしまう。今回、まさにそういう結果になった。担当地域に到着し、早速聞き込みを開始したが、一時間経過しても二人の手帳は真っ白のままだった。
「なんでこんなに目撃情報が取れないんだ?」
歩きながら早見は、頭の後ろを掻いた。
「こんなに手応えの無いことはよくあるんですか?」
「マンションとかなら、近所付き合いが少なくて、被害者の人物像が浮かばないなんて事が時々あるけど、今回のようなケースは本当に稀だ」
この状況を言葉にするならば、運が悪い。
「ここら辺は治安が良いんです」向井はこの地区の交番に勤務した際に感じたことを口にした。「二年前から昨年までですけど、この地区はパトロールでしか来たことはありませんでした。実際、葛西署管轄内でも事件が少ない地域として有名ですから」
「それじゃあ、目撃情報の見つかる確率は絶望的かな」
途中、別の班と遭遇することがあった。
「どうですか、おいしいネタはありましたか?」
それ挑発かよ、ベテランの刑事が苦笑いし、首を横へ二度振った。「ダメだ。一件もまだ掴めてない」
話を聞く限り、どの班も上手くいっていない様子だ。自分らだけでは無いことに安堵したが、今後の捜査が心配になった。
それからさらに一時間が経過し、時刻もお昼時になった。休みなく歩き回ったので、身体が食べ物を求める時間帯だ。午前の捜査は終了し、向井と相談し食事を取ることにした。
土地勘のある向井の勧めで、近くのラーメン屋に入った。口コミで調べると、かなり高い評価を受けているラーメン屋で、店内はかなりの人が入っていて、十分以上待たされるぐらいの混み具合だ。
カウンター席が空き、二人はそこに座った。注文は早見が醤油ラーメンで向井が豚骨ラーメンを頼んだ。
「足が痛いな」
店員が忙しく動いている厨房を前に、早見はふくらはぎを軽く揉んだ。
「大丈夫ですか?」
「結構歩いたからね」
腹底から重い息を吐き出した。「……疲れた」
この頃、早見は疲れが溜まりやすくなっていることを感じていた。体力も若い頃と比べると確実に低下してしまっている。
自分も老いてきたな、隣でスマホを操作している向井を見て早見は、年を取ったことを覚えた。
ラーメンが差し出された。二人は箸を持ち、麺をすすり始める。
「上手い」
一口食べると、零れるように早見は呟いた。頼んだ醤油ラーメンは、さっぱりとした味で海鮮で取った出汁がよく引き立っている。
「うちの署では結構、ここから出前を取っているんです」豚骨の味噌煮をすする向井が言った。「一昨日も取りましたから」
「いつもありがとうございます」
初老の店長が帽子を取って頭を下げてきた。「向井君にはねぇ、いつもひいきにしてもらってるですよ」
「いえいえ。店長のお店を気に入っているのは刑事組対課の全員ですから」
嬉しいこと言ってくれるね、店長は満面の笑みを浮かべている。人気店でありながら向井一人をきちんと覚えているのは、店長の人の良さと信頼関係が築かれているからだろう。所轄署のよさはこのように地域との繋がりがあるところだと思う。
食事を終え、レジへ向かった。向井が払うと言ってきたが、
「大丈夫。自分が払うよ」
カバンの中から財布を取り出し、千円札と百円玉七枚をトレーに出した。
会計が済み、店員からお釣りと領収書を受け取る。さぁ、午後も聞き込みするか。店の外へ出たその時だった。
早見のスーツの内ポケットが震え出した。急いで取り出し確認する。スマホの画面の表示は、捜査本部で情報の裏付け捜査を担当している羽根田となっていた。
「もしもし」
「早見さん、今どちらですか?」
「向井と一緒に近くのラーメン屋。今から午後の外回りに行くところだけど」
「目撃者が見つかりました」
少し唐突に羽根田は報告する。
「本当か」
「さっき、出頭して来たんです。目撃者は中学生の女の子で、母親と一緒に捜査本部に出頭しました」
これから聴取ですけど、どうしますか、そう尋ねられた。返事はすぐに決まった。
「分かった。今から戻る」
「どうしましたか?」電話を切ると、向井が話しかけてきた。
「目撃者が見つかった」
「本当ですか」
「帳場に戻るぞ」
早見は向井に呼びかけた。
「聞き込みは大丈夫なんですか?」
「一旦戻るだけ。管理官には俺から話しておくから」
二人は駐車場へと急いだ。
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