最終回


 チャイムが鳴り、クラスにいる全員が箸を置き、手を合わせる。給食委員が「ごちそうさま」の挨拶をした。

「校庭でサッカーしようぜ」

 空の皿を指定の場所に片付けた男子たちは、一斉に教室を飛び出していく。中学校では給食時間と五時限目との間に、三十分の昼休みを設けているのだ。


 歩夢も食器を片付けると、

「ねぇねぇ、昨日のアニメ見た?」

 仲の良い子の席の前に来て話しかけた。

「見たよ!昨日の回も良かった。とくに主人公が師匠に殴られたシーン、師匠の言葉が最高だった!」

「ホントそれ! もうテレビの前で『師匠!』って叫んじゃった」

 ウフフ、二人で笑い合う。トイレから戻ってきた他の友達らも話に参加してきた。


 休み時間に友達とお喋りして笑顔になるのはとても楽しい。

「推しさんはマジで尊い!」

 お喋りの話題がアニメやマンガだと徐々に興奮度が上がってしまい、歩夢の“アニメオタク”の一面が出てきてしまう。話しているメンバーは全員、アニメが好きなので引かれる心配はないが、初対面の人には引かれてしまうのではないかと思う程の熱量だ。


 話で盛り上がっていると、

「舟橋さん、ちょっと」

 歩夢のクラスの担任、高岡七瀬たかおか ななせに呼ばれた。「一緒に来てくれる?」

「なに? 歩夢、なんかやらかした?」

 右隣りに立っている友人がニヤニヤ笑う。

「ちがうよー。何もしてないって」

「何か心当たりある?」

 一緒の部活に所属している友達に尋ねられた。「次の大会がもうすぐだから、そのこととか?」


 それだったら顧問の先生が来るはず、女子卓球部の顧問は一年で国語担当をしている教師だ。部活内での話は必ず顧問が来て話す。なので、友達が言った内容では無さそうだ。歩夢は思い当たること全て挙げてみたが、これといった出来事は無かった。

 

 高岡先生を待たせている。

「じゃあ、ちょっと行ってくる」

 集っていたメンバーに告げて歩夢は教室を出た。

 高岡先生の横を歩く。階段を下り、職員室の前を横切る。奥にある部屋——会議室の前で先生は足を止め、扉をノックした。「失礼します。舟橋さんを連れてきました」


 高岡先生が扉を開ける。中に入ると、椅子に座って待っていたYシャツ姿の二人の男性が起立し、歩夢に頭を下げてきた。

「こんにちは」

 歩夢から見て右側に立っている男性が挨拶をした。知らない相手だったので、緊張して会釈だけで返してしまった。


「こちらは刑事さん。舟橋さんから聞きたいことがあるそうなの」

 高岡先生が歩夢に言った。

 呼び出された案件がようやく分かった。四日前に歩夢が関わった事件のことだ。疑問だった呼び出しの理由はスッキリしたが、今から刑事と話さなければならないと考えると、自然に緊張で震えが出てきた。


 円卓テーブルを挟んで座り、刑事二人と向かい合った。

「警視庁捜査一課の早見と申します」

 さっき挨拶をしてきた方が警察手帳を歩夢に示してきた。

 早見は警部補という階級だった。警察のことはあまり知らないが、そこそこ偉い人なのだろうか。再び歩夢は軽く頭を下げた。


「すいません。舟橋さんとだけで話したいのですが?」

 ポケットに身分証明書を仕舞いながら早見は高岡先生に退室を要求した。

「しかし、舟橋さんはあの事件のことをかなりショックに感じていると聞いています。私が付き添っていた方が……」


「分かっています。この三人だけにしてほしい。捜査のためですので、ご協力ください」

 分かりました、高岡先生は一礼すると、会議室を出て行ってしまった。

 

 歩夢は声を出して目の前に座る二人に尋ねた。

「あの……、今日は何の御用でこちらにいらしたのですか?」

 歩夢の質問に、早見が即答で、

「君が四日前に犯行の瞬間を目撃した櫓橋の事件、その時のことを詳しく聞きたくてね」

「そのことなら一昨日、警察署でお話ししましたが……」

 承知してますよ、左側の刑事–––––羽根田と名乗った–––––の眼球に歩夢の顔が写る。反射的に唾を飲み込んだ。


 本当は警察になんて行きたくなかった。事件を目撃した翌日、歩夢は学校へ行くのを拒んだ。「今日は行きたくない」

 当然、母は心配した。今までにそのようなことを口に出したことは無く、すぐに何かあったのではないかと察した。

「正直に言って。何かあったの?」

 部屋に閉じこもっていた歩夢に母は、何度も問いかけた。「嫌なことでもあった?」


 最初は「何でもない。一人にして」抵抗していた。だが、時間が経つにつれて辛くなった。三十分程して、泣きながら、

「昨日ねぇ–––––」目撃者になったことを打ち明けた。


 母は酷く驚いていたようだ。友人関係で悩んでいる、てっきりそう思っていたそうだが、まさか事件を目撃したとは頭の片隅にも無かったと後で聞いた。


 学校は休んだ。流石に事件を目撃したとは伝えられず、体調不良で通してもらった。

 それから、

「歩夢、警察行こう」

 昼食を家のリビングで食べていると、母は出かける準備をした。「昨日見たこと、全部話しなさい」

「でも……」

「警察は必ず犯人を逮捕してくれる」母は両肩を掴んだ。「だから正直に話して、事件の捜査に協力しよう」

 拒否するのはおかしいので、本音を言えない。そして、三十分後、歩夢は警察署で聴取を受けたのだった。


「疑っているんですか?」

 歩夢が二人に尋ねると、

「疑っていると言われれば……ねぇ」

 苦笑いだ。


「先日お話ししました。もう、話すことはありません」

「いえ、あるはずです」

 少々強気な言動をとると、早見のはっきりとした言葉がそれを砕いた。「君はあの時、見たありのままを話してくれた。しかし、あれはほんの一部。まだ、隠していることがあるんじゃないんですか?」


 首を横に振る。早見は身を乗り出すと、歩夢に言い放った。「じゃあなぜ、この間、犯人の顔を見ていないか聞かれた際に、『言いたくありません』なんて言ったのですか?」

「………」

 歩夢は頭を下げた。目線を二人から避けるためだ。


 ––––––○○○○○○○○。


 脳裏に浮かんだ文字が歩夢の心拍数を上げた。

 刑事たちはプロだ。この様子を見て、歩夢が何か隠していることを確信に変えた。

「君、犯人の顔を、見たんだよね……」


 歩夢は犯人の顔を何としてでも秘密にしておきたい。秘密にしなければ大変なことになってしまう。

「い、いいえ」

 変な声が出てしまう。身体の震えは声にまで移ったようだった。


 犯人の顔を見たなら正直に話せば良い。隠すメリットなど、どこにも無い。分かっている。分かっている、だけど……。


 会議室内に沈黙が訪れた。双方、喋ることを止めている。

「正直に話してください」

 やがて早見が口を開いた。ゴツっ、と音もした。目の前を見てみると、早見は額を机につけていた。そして、面を上げ、歩夢にこう語りかけた。


「舟橋歩夢さん。我々警察官は市民の安全を第一に職務を真っ当しています。被害者が泣いていたら手を差し伸べ、傷付いた心の傷を犯人を検挙することで少しでも癒す。それが私たちの貫く信念です。しかし、私たち刑事だけの捜査では事件の分からない所は沢山あります。なので、事件を目撃した人など事件関係者には全部、隠し事なく話して欲しいんです」


 ハッとなった。言葉が深く秘めていた何かに刺さった。またあの言葉が浮かぶ。


 ––––––話したら殺される。


 それは歩夢を支配していた鎖のような言葉だ。

 歩夢は自然と四日前の櫓橋での出来事が鮮明に思い出した。

 あの時––––––自転車を倒した時、その音に気付き歩夢に近付いて来た若い男。

 男はポケットから何かを取り出した。それは街灯の光を受け危険な輝きを放ち、歩夢に牙を剥いた。

「お前、今見たことを誰にも言うんじゃねぇぞ」

 怯える目で見た不気味な笑み––––––。それは悪魔に似ていた。


 ついに歩夢は堪えきれなかった。目から溢れ出る熱い涙。嗚咽も出てきた。

 会議室に歩夢の鳴き声だけが響いた。



 事件が発生してから一週間が経過したこの日、捜査一課は舟橋歩夢から聞き出した証言を基に似顔絵を作成。それをマスコミ、捜査第一課公式のツイッターで発表・公開した。


 反響は大きかった。なにより、ツイッターでの検索ランキングで、最高世界第三位にまで浮上した程だ。

 捜査本部に寄せられた情報の数は、公開後わずか三時間で前の週の四倍になった。捜査員の数も三十人増員され、一つ一つ確認していった。


 有力な情報が届けられたのは、公開した日の翌日朝のことだ。

「最近アルバイトを辞めた大学生に似ている」

 ファーストフード店で働く女性が葛西署を訪ねて来たのだ。この女性は飲み会の席で撮影した写真を見せてきた。

「入ったのは良かったんですけど、結構遅刻はするし、平気で無断欠勤するは––––––無茶苦茶だったんですよ。それでクビ同然という形で辞めました」


 捜査員に女性はそう語った。

 すぐに身元確認が行われた。運転免許証の照会からその日のうちに身元が判明した。

 名前は犬山航大いぬやま こうだい。二十一歳。都内にある私立慶明大学に通う大学生と判明した。

 最初に聴取を担当した鈴木と白石志保が歩夢本人に確認したところ、この犬山航大に間違いないと話してくれた。


 捜査本部は犬山航大を黒と断定。逮捕へ向けてラストスパートだ。

 更なる材料を固めるため、早見が入った地取り捜査班が、周辺の防犯カメラ映像の収集に動いた。すると、立ち止まりポケットに入れていた槌を取り出している犬山の姿を捉えた映像が出てきた。犬山の乗り回す車が周辺を走行していたことも特定した。


「犬山航大を傷害容疑でワッパをかけるぞ!」

 似顔絵公開から五日、東京地方裁判所は逮捕状を発行。犬山航大は午前八時三十分、傷害容疑で友人宅で逮捕された。

 自宅の家宅捜索が行われた。犯行時、身に付けていたと思われる服や靴、犬山がホームセンターで金槌を購入したことを示すレシートまで押収された。


 早見と羽根田は犬山の取調べの担当を戸田理事官直々に命じられた。

「ねぇー、解放してくださいよ。僕、何もやってませんけど」

 取調べ室に入って早くも犬山は容疑を否認した。

「こっちは確実な証拠を積み上げてあなたを逮捕をしました。犯罪を犯していなかったら、こんな所に犬山、君を呼び出したりなどしていない」


「なんで俺が犯人なんですか? 他にも怪しい奴、いっぱいいますよね?」

「お前があの日、金槌を持っていたことは既に分かっているんだ。それに現場でお前が人を殴る瞬間を中学生の女の子が目撃している。変なことを言うのはそれぐらいにしろ」

 羽根田は強い口調で犬山を観念させようとする。


「そんなもの、持って歩きませんよ」犬山は余裕のようだ。その証拠に顔には笑みが浮かんでいる。「僕も馬鹿じゃないんで、金槌を持ってウロウロしたら、銃刀法違反で捕まることぐらい分かりますよ」


 それに、犬山は続けざまに言った。

「その僕を目撃したとか言う女の子、きっと嘘付いてるんですよ。本当は見てないくせに」

 犬山は嘲笑うようにとぼけ続ける。


「いい加減にしろ!」早見は机を激しく叩いた。犬山の余裕な態度が一変、怯えた表情になり足をブルブル震わせる。「被害にあった人は意識を失い、生死を彷徨ったんだ。死ぬかもしれなかったんだぞ!」


「ち、違う!お、俺は、やってねぇ!」

 動揺が見られるが犬山は否認し続ける。そんな犬山に、羽根田が鋭い目線で、

「お前、女の子にナイフを向けたそうだな」

「………」

「本人が話した。ナイフで脅されたって。その子、怯えてたんだぞ。外に出るたびお前に会うんじゃないか、そしたら、あのナイフで殺されるんじゃないかって」

「………」

「犬山、お前がやったのは傷害だけじゃない」早見は静かに言った。「刑法222条の脅迫罪、ナイフで人を脅すのも立派な犯罪だ。しかも、中学生の少女に対してだ」

 最低だよ、お前。先ほどまでの犬山の元気さは消え失せ、肩の力を抜いて放心状態になった。

 まもなく、犬山は全面自供を始めた。



            了

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