第36話 ♀バレンタインの少女


 三学期になり、進級が近づいてきた。


 日が進むにつれて不安が大きくなっている。

 ずっとこの日常が続いてほしいのに、時は無情にも進んでしまう。


 進級してクラス替えが行われたら、七渡と離れ離れにになる可能性がある。

 別のクラスになれば一緒にいられる時間も少なくなるし、七渡の行動を監視できなくなってしまう。


 七渡は別のクラスになってもお互いに会いに行けばいいじゃんと言っているが、私の知らない七渡の時間が増えるのは嫌だ。


「育美ちゃん、明日はバレンタインだよ」


「そうね」


 隣にいる美波がバレンタインの日を心待ちにしている。


 今までバレンタインは兄さんにしかチョコをあげたことがない。

 でも今年は七渡に渡す。

 それが楽しみでもある。


「七渡君にはあげるの?」


「もちろんよ」


「やっぱり好きなんだね」


 七渡のことは好き。

 でも、別に告白という意味でチョコを渡すわけではない。


「廣瀬にも渡すけど」


「……あたしにはくれないの?」


 寂しそうな目で見つめてくる美波。

 可愛い顔をしているつもりなのだろうけど、何故かイライラしてしまうわね。


「用意しているに決まってるじゃない」


「えっ!? あたしのこと好きなの?」


「好きよ」


 私の言葉を聞いた美波が、顔を真っ赤にしている。

 こんなに嬉しそうにしている顔は初めて見たわね。


「あなたはくれるの?」


「もちろん! めっちゃ愛情を込めたやつをね」


 私に抱き着き、お尻を振っている美波。

 妹が欲しいなと思ったことがあったけど、妹がいたら今の美波みたいな感じだったのだろうか……


 隣にいた女子二人組もチョコの話題で盛り上がっていた。

 その声が大きくて、私達にも聞こえてくる。


「……あいつ、男にチョコあげるんだ。ブスなのに勇気あるなぁ」


 最低な言葉を紡いでいる美波。

 こんな性格の悪い妹は欲しくないわね。


 七渡が教室へ入ってくると、段差に足を引っかけて転びそうになっていた。


「ダサっ」


「ふふっ、可愛いじゃない」


「あたしの方が可愛いから」


 美波は何故か七渡と張り合っている。

 七渡の可愛さは、きっと私にしか理解できないものなのよ。


「もうエッチとかしたの?」


「す、するわけないじゃないっ」


「キスも?」


「まだ付き合ってすらないのだけど」


 七渡と付き合えば、そういう行為をするのかもしれない。


 でも、焦ってはいない。

 まだ中学生だし、これからゆっくりとそういう行為を済ましていけばいい。


「いつか育美ちゃんが七渡君と裸で抱き合うの想像したら、めっちゃ憂鬱だなぁ」


 七渡の裸を想像すると、クリスマスの出来事を思い出してしまう。


 七渡がトナカイの衣装に着替える様子を私の目の前にあったモニターが鏡のように映してしまっていた。

 だから、七渡がズボンを脱いだ所を見てしまったわけで……


「育美ちゃん顔真っ赤だよ!? 何想像してるの?」


 あれはグロいよと話は聞いていたけど、彼のはかわいいという印象だった。

 そう、まだまだ七渡の可愛いところがあったのよ。


 いつか、弄り回してあげたいわね――



     ▲



 バレンタインの日になった。


 生憎の土曜日であり、学校が休みだ。

 でも、個人的には休みの方が渡しやすい。

 他の人に見られることなく渡せるし、七渡を独り占めできる。


 七渡と会う前に美波と会い、チョコを渡した。

 美波からのチョコは手作りの大きなハート型だった。


 待ち合わせの場所の公園へ向かうと七渡が待っていた。


 いつも私より早く来ている七渡。

 少しでも早く私に会いたいと思ってくれているのかしら?


「お待たせ。お察しの通り、チョコを渡しに来たわ」


「……今日も堂々としてるな。普通はみんな緊張して、もじもじするものだけど」


「別に特別な想いとかあるわけじゃなくて、日頃の感謝としてのチョコだから」


 私が渡すチョコは本命でも義理でもない。

 いつも私の傍にいてくれる七渡へのご褒美なのよ。


「まず先に美波からのチョコね」


「おっ、まじか」


「休日にまで七渡君に会うのダルいからって、渡すのを任されたわ」


 美波は廣瀬に会いに行くと言っていた。

 だから、廣瀬の分は美波に渡して七渡の分は私が受けとる形になった。


「二個も貰えるとか、俺は幸せ者だな」


「他には貰ってないの?」


「うん。一樹はいくつか貰ったみたいだけど」


 七渡の言葉を聞いて安心した。

 どこのだれかも知らない女のチョコを七渡には口にしてもらいたくない。


 他の誰かから貰っていたら、回収して叩き割るつもりだった。


「安心しなさい。私は六つのチョコを作ってきたから」


「えっ、そんなにチョコ食べれるの?」


「ええ。でも、できればこの場で食べてほしいのだけど……」


 お家に帰ってから食べるのは許せない。

 ちゃんと私の作ったチョコを食べている七渡を見たい。


「わかった。お腹も少し空いてたし、今ここで食べるよ」


「ありがとう。助かるわ」


 チョコの入った紙袋を手渡す。

 六つ作ったといっても、一つ一つがそこまで大きいわけじゃない。

 せいぜいみんなが渡すようなチョコの三つ分の量なはず。


「めっちゃ美味しそうな手作りチョコだね」


「……残念ながら、それはただのチョコじゃないの」


「えっ!?」


 私の言葉を聞いて驚いている七渡。

 普通なことができない私でごめんなさい。


「じゃあこれは何なのさ? 見た目は普通のチョコに見えるけど」


「デスチョコよ」


「デスチョコ!? 食ったら死んだりするの?」


 ネーミングは今考えたので適当だ。

 みんな美味しいチョコなので死ぬことはない……はず。


「六個中五個は普通のチョコよ」


「おいおい、ロシアンルーレット的な仕様なのか?」


「もちろんよ。ただであげるわけないじゃない」


 七渡は困惑した顔を見せる。

 その顔を想像しながら楽しくチョコ作りをしていた。


「一個には何が入ってんだ? 大量のワサビか?」


「私の大量の血よ」


「血!?」


 もちろん、それはただの冗談。

 七渡が嫌がりそうなものを言っただけ。


「まじかよ……流石は育美、予想の斜め上を行く女」


 七渡は単純だから本当に血だと信じている。

 私はそんなにヤバいことする女ではないわよ?


「デスチョコを残して普通のチョコだけを奇跡的に食べることができたら、最後のチョコは代わりに私が食べるわ。これも一つの勝負ってこと」


「相変わらず刺激を欲してるな。でも、楽しそうだから受けて立つよ」


 思いのほか嫌がらなかった七渡。

 逃げられちゃうよりかは良いけど、何か少し拍子抜けね。


 七渡は恐る恐るチョコを食べ始める。

 一個目も二個目も普通のチョコだったみたいだ。


「というか、チョコめっちゃ美味しいよ。料理得意なの?」


「お菓子作りはお母さんから教わってたから、少し得意ね」


「そっか。俺もお菓子作り好きだから、いつかスイーツ作りのバイトでもしたいな」


「そうなの。その時は私と一緒にバイトをしなさい」


「うん。育美と一緒なら絶対に楽しいよ」


 高校生になるまでアルバイトはできないから、それは先の話だ。

 でも、七渡とアルバイトをするのはきっと楽しいはず。


「おいおい、これも問題無いぞ」


 まさかの四つ連続で普通のチョコを食べた七渡。

 そういえば七渡は無駄なところで運の良さを発揮する傾向があるのを忘れていたわね……


「次がラスト。まさに生か死よ」


「別に死にはしないって」


 七渡は恐る恐る五個目のチョコを一口で頬張った。

 すると、口から赤いドロッとした液体が口からこぼれだした。


「ん! んんん!?」


 最後の最後で外れを引いてしまい焦っている七渡。

 口を手で抑えて、頑張って飲み込もうとしている。


「ふ、ふぅ……」


 七渡はちゃんと全て食べ終え、一呼吸している。

 そして、褒めて褒めてと言わんばかりの顔で私を見ている。


 この子、仮に本当に私の血だったとしても、ちゃんと全部食べるのね……

 それはそれで嬉しいけども。


「よく頑張って完食できたわね」


「めっちゃ甘かったけど、もしかしてただのイチゴソースか?」


「そうよ」


「なんだ、脅かすなよなぁ……」


 七渡を物理的に苦しめたくはない。


 ただ辛いだけの仕打ちはしない。

 私は七渡の可愛い反応が見たいだけだから。


「正直、吐き出すぐらい嫌かと思ったのだけど、そこまで辛そうじゃなかったわね。もっと嫌がる顔が見たかったのに……」


「育美のだったら別にそこまで嫌じゃないしな。他の人のだったら絶対に嫌だけど」


「……あなた変態なの?」


 私の血を口いっぱい飲み込んでも嫌じゃないと答える七渡。


 七渡の意外な言葉に私の身体は少し痺れた。

 ここまで平気なら、もう私がどんなことをしても受け入れてくれそうね。


 もしかしたら、私のアレもアレしてくれるかもしれないわね……


「私は変態なの?」


「いきなり自問自答してどうしたんだ? 顔も真っ赤だぞ」


 妄想をして自爆してしまった。

 七渡が変態じゃなくて、私が変態だと気づいてしまったわ。


「七渡は、変態さんは好きじゃない?」


「好きな人が変態なら、それも含めて好きになっちゃうんじゃないかな?」


 七渡の言葉が嬉しくて、そっと寄り添う。

 やっぱり、こんな私にはこの人しかいないわね――

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