第14話「何も無かった」
「......くん、翔くん。起きてください、朝ですよ」
翔は桜花に身体をゆっさゆっさと揺らされながら現実世界に意識を浮上させた。まだ半分眠っている頭でどうして桜花が自分を起こしているのだろうかと頓珍漢なことを思う。今の翔の頭には修学旅行に行っていて、カルマと同じ部屋で眠ったのだと勘違いをしているようだった。
「やっと気が付きましたか。起きてくださ......あっ」
翔は目に飛び込んでくる光の量に堪らず目を細めるが、桜花の顔を見た。桜花がホッとしたのも束の間で、桜花が何かを言い終わる前に眠気に負けた翔は再び開けていた瞼を閉じる。
翔の寝起きは相当に悪い。桜花でも手を焼くほどだ。梓が翔を起こすときは大抵一回で通じるのに、桜花が呼びかけても弱いのかすぐにまた眠ってしまおうとするのだ。
桜花はそんな翔に対して、ぷくぅ、と分かりやすいほどに頬を膨らませると、翔の耳元に口を近づけた。
「早く起きてくれないと、悪戯してしまいますよ?」
「んー?......ん〜」
桜花が呼びかけるもやはり返事は生返事でこれはとてもではないが起きているとはいえないだろう。本人がもしも話せる状態であったならばこれは起きている、とでも言ったかもしれないが、桜花の判断からするとこれは完全に眠っている。
あまり気は進まないが、致し方ないだろう。別に桜花がしたいからというわけではなく、翔を起こすために仕方なくするのである。
桜花はそんな建前を心の中で少なくとも三回以上は確認し、眠っている翔にキスをした。最初は単純な軽い、触れるだけのキス。そのとき、ぴたりと翔の動作が止まった。どうやら起きたらしい。
桜花はしてやったり、と内心で喜んでいたものの、このまま離れるのは何となくもったいないような気がしてきてならない。翔に頼めばいくらでもキスぐらいしてくれそうだが、折角、珍しいことに自分から好きな人の唇を奪ったのだから、もう少し堪能したいという欲望が溢れ出てしまうのは仕方のないことだろう。
桜花は更に深く翔の唇を奪うことにした。この時点ではすでに翔は起きていたのだが、桜花の起こす態勢がどうやら翔の行動を防ぐようになっていたので動けない。柔道などでいえば、痛くない寝技を決められているようなものだ。
そして、ぴりっと甘美な衝撃が走った。桜花の舌と翔の舌が、触れ合ったのだ。いつになっても慣れないそれは翔の頭の中を一瞬で真っ白にしてしまう。
今が学校行事の修学旅行中であり、しかも時間帯は朝であるということさえも翔は忘れそうになっていた。
しかし、妙に部屋の外が騒がしい。完全に目覚めた瞳で時計をかろうじて確認すると、時刻はちょうど朝食が始まろうとしているところだった。
翔が誰にも悟られることなく、この部屋を出て、男子の元へと戻るためには朝食に向かう生徒の波を利用するしかない。全員が食堂に向かったところで、あたかも忘れ物をしたかのように見せかけながら、何食わぬ顔でカルマと合流するのだ。合流さえしてしまえ馬、全ての事情を知っているカルマが何とかフォローをしてくれるはずだ。
しかし、問題はすっかりそういう気分になってしまっている桜花である。自分がさせてしまったのだろうという意識は翔の中にあるので、ギブアップの意味を込めて桜花の身体をぽんぽんと叩くも、ふるふると首を横に振って翔の唇を吸ってくる。
気持ちいいかと問われたならば確実に気持ちがいい、と答えるし、このまま溶けてしまいたいか、と問われても迷わずはい、と答えてしまうだろう。しかし、今ではないという翔の根本的にある思いがかろうじて翔の理性と現実世界とを繋ぎ止めていた。
「ちょ......ちょっとストップ」
「いやです。あともう少しだけ」
「......いつもは朝起こすためにキスなんかしないのに。修学旅行だからか?」
「......」
翔が桜花を落ち着かせるように低い声で語る。桜花はその効果にまんまとはまったようで、次第に自分が何をしていて、強引に続けようとしていたのかを察し、みるみるうちに赤面させた。
「あわあわ......」
「今まで好き放題してたのに自覚はなかったのか」
「こ、このことは誰にも言わないでくださいよ?!約束してください」
「誰にもいうなって言われても、僕には話す人がいないし、こんなこと話せないよ」
「カルマくんにも話してはいけませんよ」
「......桜花が普通でいれば大丈夫かと」
カルマは翔では思いもつかないふとした動作や言動からヒントを得て翔を詰めてくるので、翔はカルマの攻撃をかわすので精一杯である。最近は翔自身のヒントは防止できているものの、代わりに桜花がとても分かりやすく反応するので、結局翔が観念することになる。
翔は急にカルマに会うのが怖くなった。
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