第千二百二十三話・すれ違う千種

Side:千種忠治


「御隠居様! このままではあの者らがあまりに可哀想でございます! 長年忠義を尽くしてきたというのに!!」


「左様! 臣下とはいえ面目は立ててやらねば誰もついてまいりませぬぞ!」


 とうとう情に訴え始めたか。焦りを隠せぬとは。我が家臣は謀も満足に出来ぬのか。


「六角の面目を潰そうとしておる者を庇えというのか?」


「この地は織田と六角の境でございます。両者を上手く渡り、我らの力を見せつけてやればよいではありませぬか! 無量寿院も密かに助力してくれましょうぞ!」


 ああ、本音が出たな。婿殿を見ておると素知らぬ顔をしておるが、呆れて笑いを堪えておるやもしれぬ。


 所領を与えぬ織田と縁を結んだ六角を秤にかけろと? それこそ両者から愚か者と謗りを受けるだけだ。


 無論、家臣らが言うておること、すべて間違うてはおるわけではない。され世情を理解しておらぬ。北勢四十八家は梅戸と千種しか所領を持っておらぬ。従えるべき者らが消えた千種家にいかほどの力があるものか。


 北畠の大御所様でさえ、素直に六角に降れという書状が届いておるというのに。助けなど望めまい。


「降伏の書状は出した。それが最後の慈悲だ。今ならわしがとりなして一族の者は助命してくれるように願い出る。最早、そなたらが望むような世情ではないのだ」


 我が家臣ながら哀れでならぬ。許される前提で己らの意見を通そうとする。それがすでに許されぬと知らぬとは。


「千種家は六角に奪われ、御隠居様は日の当たらぬ身となりましょう!」


「是非もない。従わねば他の北伊勢の国人らと同じくすべてを失う」


 半数以上、いや、ほとんどの者がわしの考えを理解出来ぬか。これはわしの失態だ。婿殿と争うことばかり考え、外を見ておらなんだわしの不徳。


「そのようなことはもういい。すぐに兵を集めて送れ。借り受けた兵糧をこの城に運ばねばならぬ。梅戸の者らが戻ってしまい手薄なのだ。謀叛人どもに気付かれるな!」


 兵糧のことを告げると、幾人かの顔色が変わった。すでに兵糧を借り受けることは教えておったが、わしの話にこのことが使えると思うたのであろう。


 これほど容易く引っかかるとはの。


 苛立つようにさっさと動けと檄を飛ばし人払いをする。残ったのは婿殿だけだ。


「義父上……」


「おそらく我らがこの策を漏らしたとしても織田は困らぬのであろう。いかにするか分からぬがな」


 無理に奪われるようにせずともよい。そう命じられた。ただ、あるがままのことを教えるだけでよいとな。


 六角と織田は、罪人と無法者が山に逃げることを懸念しておる。話してみて分かったことだが、策を考えたのは久遠の女だ。罪人と無法者が領内に留まるならそれでよいと考えておる様子。


 かような策などわしは初めてだ。故に仕損じると厄介だと懸念しておったが、あの様子ではすぐに謀叛人どもに知らせが届くはず。役目は果たせそうだな。


「そなたの兄上には後で礼を言わねばならぬ。織田を動かすならば捻りつぶしたほうが早かろうに」


 後藤殿からは俸禄は本来の年貢を基に考慮するとも言われた。いかに領内が荒れてもわしの実入りは変わらぬとな。


 最早、北伊勢は終わりだ。織田は二度と国人らに所領を戻すまい。あとは梅戸と我らをいかにするか。


 婿殿の話では、我らに織田と六角のいずれに従うか選ばせると言うておったとか。今のままでもよいが、そうなれば双方から見限られる。


 まさに、最後の慈悲じゃろうて。捻りつぶす前のな。


 織田も六角も愚かな謀叛人などを許すことはあり得ぬ。三河では松平の謀叛人が一槍も交えられずに逃げだしたという。そのような恥を晒すなら死したほうがいいと豪語する者もおるが、そういう者に限って真っ先に逃げ出すのであろう。


 すでに臣下の愚か者どもは日和見を始めたのは確かだ。奴らは己が命と家の命運を懸けてまで戦う気はないのだ。


 付き合っておられるか!




Side:千種家家臣


「いかほど集まった?」


「千人には届くまい。我らの民が織田の名に恐れをなして逃げ出しておる。残るはめいを聞かぬ無法者ばかりぞ」


 御隠居様はいかがお考えなのであろうか。梅戸に兵を求めれば家中で収められぬではないか。六角は即座に兵を寄越し、織田にまで助けを求めてしまわれた。


 千種家を潰すおつもりか? それとも長年尽くした我らを見捨てるおつもりか? 誰が千種家をここまで守り支えておったと思うておるのだ。


「わしの城の蔵はもう空だ。種籾しかない」


「わしもだ」


 共に千種家のために立ち上がった皆も戸惑うておる。特に真宗の寺領から出てきた者らは飢えていて所かまわず荒らしておるのだ。御隠居様と一戦交える前に、こちらの領内で村と無法者らが争い血を流しておる始末。


 僅かな蓄えからなんとか飯を食わせて従わせようとしておるが、こちらの命を聞く様子もない。


「おい! 兵糧が手に入るぞ!」


 我らは領内のとある寺にて密談をしておるが、そこに駆けこんできたのは我らに挙兵しろと命じた者の使いだった。


「いずこから手に入れるというのだ。商人は寄り付きもせぬ。無量寿院とて使者を出したが未だに戻らぬではないか」


「梅戸が織田から借り受けた兵糧を千種城に運ぶそうだ!」


 これはいかなる訳だ? 御隠居様からは我らに降伏を促す書状が届いておるというのに。何故、兵糧など借り受ける必要がある。千種城にはそれなりの蓄えがあろう。


 まさか六角と織田の兵が攻めてくるのか!?


「いかん! このままでは我らは根切りにされるぞ!」


 御隠居様は六角に取り入るために我らを売り渡す気だ! そもそも無量寿院と六角とて、そこまで親しいわけではない。北畠と六角は血縁を持っており、それなりに付き合うておるが、誰も無量寿院のために動くなどと言うておらんではないか!


 六角と北畠は、織田と対峙するために我らの蜂起を利用するつもりなのではないのか!? 我らを討つことで織田の疑念を晴らし、付け入る隙を待つのではないのか!?


「なにを言うておる。御隠居様に限って……」


「ええい、分からぬのならば呆けておるがいい。兵糧を奪い籠城せねばならぬ!」


 兵糧は今、領内の城にあるという。領内が荒れておるから城に運ぶために兵を集めておるのであろう。今しかない。降伏するにしても武功を上げねば一族郎党まで累が及んでしまう。


「そう急くな。城から奪うのは難しかろう」


「それが……、運んで参った梅戸の者はさっさと戻ってしまったようで、今は手薄なのだとか。御隠居様がこの件は決して漏らすなとおっしゃられ、早う兵を集めよと命じております」


 我らの立場を理解しておらぬ愚か者が未だ呆けておるが、知らせに参った者の言葉に皆の顔色が変わる。


「好機か?」


「罠ではあるまいな?」


「だが兵に囲まれてからでは遅い。集められるだけ集めて城と兵糧を奪わねば飢えるのを待つだけになる」


 罪人どもと無法者どもを駆り立てて奪うしかないのだ。和睦まではなんとしても持ち込むぞ!






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