第千二百二十一話・価値観の違い

Side:ウルザ


「いずこかに兵糧を集めてそこを奪わせるのだ。千人ほどならすぐに集まろう。謀叛人もろくに兵糧がないのであろう? あとは逃げぬように討てばいい」


 力があるとはこういうことなのね。誰もが織田を恐れているわ。孫三郎様が今回の策を説明すると、軍議に出ている者たちは皆、絶句した。


「なんと……」


「待たれよ。謀叛人に兵糧を与えると申されるのか!?」


 食べ物がなくて暴れている者たちを、食べ物を囮にしておびき寄せる。信じられないのも無理はないわ。私たちは食べ物に不自由していないし、織田もそれは同じ。だからこそ言える策ね。


 梅戸も千草も食糧が余っているわけではない。馬鹿にしているのかと怒りだす者がいてもおかしくないわ。


「このままだと散り散りになって多くの者が山に逃げるぞ。八風街道や千種街道にでも逃げられたらいかがするのだ? 山狩りに幾月も掛けることを思えば兵糧など安いものだ」


「仰ることは分かりまするが、武士としていかがなものか……」


 費用対効果は悪くない。ただ、食料が貴重なだけに感情的に理屈として理解しても納得出来ないというところかしら。


 降伏を促して一戦交える。そのあとは敗者を屈服させて蜂起した者たちを罰する。この時代のセオリーとしてはそうなる。それでいいというのが彼らの意見なんでしょうね。


 ただ、それだと争いはなくならない。慣例重視というべきかしら? 形から外れることを好まない風潮はいつの時代もあるわね。


「それでよいのではあるまいか。囮とする兵糧と銭は六角が出しても構わぬ」


 千種殿に視線が集まっていた中、代わりに答えたのは後藤殿だった。


「兄上!」


「隠居殿、いかがだ? 謀叛を起こしたとはいえ家臣だ。命を救けたくば早々に降伏させればよい。それで従わぬならば、さっさと戦を終わらせたほうがよかろう」


 驚く千種殿をあえて無視する形で、後藤殿は千種の隠居殿に直に声を掛けた。


「皆も聞け。織田ではすでに所領を家臣に与えておらぬ。六角もいずれそうなるやもしれぬ。当主ひとりを隠居させることで許されるような謀叛を起こす者などに先はない。それで納得せぬというのならば、わしは近江に戻り、造酒権正殿にも六角で礼をして戻っていただく。あとは勝手にするがいい」


 隠居殿は目を閉じたまま答えない。その答えを聞く前に後藤殿は千種ばかりか梅戸の者たちも突き放すように冷たく語りかけた。


 ごく一部の者の面目を守り、国人衆の所領は認めて当たり前。そんな常識がここでは通用しなくなりつつある。


「されど我らは……」


「一切、承知致しました」


 まさか自分たちがそんな立場になると思ってもおらず戸惑う梅戸と千種の者たちを黙らせたのは、隠居殿だわ。


「隠居殿、よいのか?」


「千種は村上源氏の名門ぞ。もう少し配慮を……」


 先ほどまで非難していた者たちが、今度は戸惑いつつも配慮を求めると言いたげで庇い始めた。自分たちにも火の粉が掛かると知り、千種が新しいことをすることも望まないようね。


「すべては某の不徳の致すところ。皆様がたにはご迷惑をおかけして申し訳ございませぬ」


 彼らの価値観がこの時代のものとしては普通でしょう。少し同情してしまうわね。彼らが知らないところで世の中を変えてしまった身としては。


「千種の家を残すことは許されよう。生きるしかないのだ。今の世をな」


 後藤殿は最後の最後で配慮を見せた。家を残せる。それを示唆したことで、千種の者たちは黙った。


 千種は確かに名門なのよね。ただし現在の所領を俸禄にしたところで大きな脅威はない。あとは当人たちの努力次第ということかしら。




Side:梅戸高実


 後藤殿には辛い役回りをさせてしまったな。申し訳ない。


「思うところはあろう。わしとて所領をすべて手放した。今は一門衆であろうと己では一切兵を集められぬ。されどな、この荒れた世を変えるには致し方ないと思うておる」


 なんと、造酒権正殿は内匠頭様の弟のはず。にもかかわらず所領がないというのか?


 皆、あまりに厳しき沙汰に静まり返ってしまったが、造酒権正殿が話し出すと信じられぬと言わんばかりに見ておる。


「荒れた世を変えると……?」


 世を変えるなどと口にするとは思わなかったのであろう。皆、唖然としておる。天下は天子様の下で公方様が治め、領国は守護が治めるものだ。そして我らは代々受け継ぐ地を治める。それが鎌倉の世からの当然のことわり故、それしか知らぬのだ。


「左様、今のままでは誰が治めたところで太平の世など訪れぬ。此度のこととて、早う片付けねば田仕事が出来まい。飢えるぞ。今は六角殿から頼まれた故に飢えぬように織田が配慮をしておるのだ。それがなくなれば、米も雑穀も塩も数年前のように高くなるぞ」


 考えてみれば織田が北伊勢を制して以降、あらゆる品の値が一気に下がった。それ故に昨年は我らは飢えずに済んだのだ。


 まさか織田に配慮されておったとは誰も思わなんだのであろう。居並ぶ者らが唖然としておる。


 商人を軽んじておる者ばかりだからな。売らぬなどと言うものなら無礼者と騒ぎ立ててしまうはずだ。もとより家臣らでは大店の商人と会うこともあるまい。故に商人の力と厄介さを理解しておらぬ者すらおろう。


「異論がなくば策について話を致そう」


 静まり返った者らは最早、異を唱えることはなかった。あとで後藤殿と造酒権正殿には謝罪せねばなるまいな。家中の説得までさせてしまうとは。


「ああ、そうだな。さて、いずこがいいのだ?」


 造酒権正殿が声を掛けたのは、ずっと控えていたふたりの女のうちのひとりだった。共に肌の色が黒く焼けておる女だ。噂に聞く久遠の女であろうな。


「それは梅戸殿と千種殿次第となります。どこかの城に集めてそこを奪わせるほうがいいでしょう。謀叛方が集まり籠城したところを一気に片付けられます。別に用意してもいいのですが、城のほうが謀叛人どもは容易く逃げられませんので」


 女が答えると、誰だと言いたげで皆が思案する顔をした。


「城は某の領内の城をお使いくだされ。いずこなりとも開けさせまする」


「だそうだ。ウルザ、いずこがいいのだ?」


 隠居殿が覚悟を決めたように答えると造酒権正殿が女の名を口にした。ウルザだと! まさか……。


「もしや三河本證寺を相手に差配したという噂の……」


 皆がざわついた。あの一向衆の一揆を食い止め、織田を大勝に導いたと噂の久遠殿の奥方か? 通り名は確か……夜の方。


「差配したのは私ではありませんよ。織田図書権頭様です」


「策を考えたのはそなたらであろう。兄上が言うておったわ。伊勢でも知らぬ者はおるまい。退き戦ほど難しいものはないからな」


「そうやって皆様がたに面白おかしく持ち上げられ過ぎて、困っておりますわ」


 笑いながら話す造酒権正殿と夜の方の様子に、某の背筋に冷たいものが流れた気がした。


 北伊勢を平定した織田造酒権正殿と、本證寺を廃寺に追い込んだ久遠殿の奥方を寄越したというのか? 織田はたかが国人の謀叛人相手にかような者たちを出してくるとは。


 なにを考えておる? 北伊勢を己がものとしてしまう気か?




◆◆

織田図書権頭=織田信康


織田造酒権正=織田信光


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