第千二百二十話・追い詰められた千種

Side:千種三郎左衛門


 織田が兵を挙げる。そんな話が伝わり家臣どもが右往左往しておる中、養父殿に呼ばれた。


 明日には梅戸家に出向かねばならぬ。梅戸家にて六角と織田の兵を交えて軍議をすることになっておるのだ。まさか……。


 呼ばれた先に養父殿以外は誰もおらぬ。謀られたかと頭をよぎるが、この期に及んで逃げるわけにもいかぬ。覚悟を決めて座った。


「そなた、後藤の家に帰れるのか?」


「はっ?」


 いつどこから仕掛けてくるのかと様子を窺っておると、養父殿は思うてもおらぬことを口にされた。


「万が一の折には女子供は連れていってはくれまいか?」


 思わず安堵してしまった。そうであったな。わしとは合わぬままであったが、そこまで愚かな御方ではなかったな。


「それは構いませぬが、やはり義父上が……?」


「そのようなことをしていかがなると言うのだ。されど誰も信じまい」


 覚悟を決めたような顔にわしも腹を割って話すことにした。動いておらなんだのか。さもありなんとは思うが……。


「そなたとわしが互いに疑うておる隙を突かれた。そなたを追い出し、誰ぞ養子としてしまえばいい。その程度の謀であろう」


 分からんでもない。数年前ならそれで良かったのであろう。


「六角家と北畠家は無量寿院の味方など致しませぬぞ。これは公にはしておりませぬが、織田内匠頭様の娘が北畠家の大御所様の養女となり、斯波武衛様の嫡男に嫁ぐことになっておりまする。見届け人は六角の御屋形様でございます。つまり六角家と北畠家は斯波家と織田家と盟を結ぶということ」


 もともと隠しておったわけではない。婚礼は義父殿も知っておることだ。ただし、御屋形様が見届け人となる話は知るまい。


「なんと……、じゃが六角と北畠は織田に隠れて禁制の品を無量寿院に流しておろう?」


「言いにくくございますが、それは謀でございます」


 この件は、やはり知らなんだか。これは秘中の秘だ。当然ではあるがな。禁制の品を流しておると、坊主がわしにまで自慢げに語っておったからな。勘違いするのも無理はない。


「何故……」


「坊主どもは信じられぬほど高い値で僅かな品を買いまする。無量寿院から銭を奪い、その利を皆で分けておるのでございます」


 謀叛人どもが信じたのも坊主が禁制である久遠の品を見せたからに他ならぬ。わしとて、先日尾張で兄上に聞くまでは知らなんだことだ。


「神仏を欺いておるのか? 祟られるぞ」


「欺いてはおりません。皆、余計なことを言わず黙っておるのみ。それをいかに受け取るかは坊主の勝手というもの」


 神仏の祟りを恐れる養父殿に、この御仁がまことに謀叛と関わりがないと悟った。思えば家を大きうしようなどと考えることもない。今のままが良かっただけであろうな。


 この一件、誰も欺いてなどおらぬのだ。皆、余計なことを言わず、頼まれるままに売っておるに過ぎぬ。それを無量寿院は己の味方だと勝手に思うておるだけ。誰が考えたか知らぬが、恐ろしい謀をするものよ。


「わしの首のみで済むか?」


 世の恐ろしさを知り、諦めたような顔をする義父殿を見捨てるわけにはいかぬな。


 やはり千種の家だけは残したいらしいな。わしも養子として入った家が滅ぶなど御免だ。御屋形様の心中までは分からぬが、戦をする前の今ならば養父殿の命ばかりはお許しいただけるはず。


「それには及ばぬかと存じます。ただ、所領は諦めてくださいませ。六角なり織田なり、お好きなほうに大人しゅう俸禄にて仕えるならば、お許しいただけるはずでございます。及ばずながら某が御屋形様に願い出ます故、どうか共に千種の家を残しましょうぞ」


 僅かな話をしておる間に、いささか老け込んだように見える養父殿が哀れでならぬ。兄上に頼んで助けてやらねば。


 わしと違い生まれ育った時から共にあった家臣らだ。気心が知れる故に、勝手をしても義父殿に許されるという確証があったはずだ。


 ところが此度はまことに御家が危ういと考えた義父殿は、即座に梅戸家に助けを求めて他家の介入を許した。


 そうでもしなくては収まらぬとお考えであったのであろう。わしがおらねば他に選ぶ道もあったのやもしれぬがな。


 少し申し訳なくなるわ。




Side:織田信光


 梅戸城には後藤殿と六角の一陣の者が到着しておった。わしも千名の兵を連れての入城だ。後藤殿は弟が千種を継いだこともあり、僅かな兵を連れて急ぎ来たようだ。


「この度はまことに申し訳ございませぬ」


 開口一番、千種の先代と当主が揃って深々と頭を下げた。されど、梅戸と六角の者らの様子は芳しくない。家中をまとめられぬ愚か者と思うか、裏で謀っておるのではと疑うか。ふたつにひとつだからな。


「まるで飢えた獣ではないか」


「わしの所領を荒らした責は負うてもらうぞ!」


 現状はいかがなっておるのかと思えば、酷いものであった。誰が将かも分からず、集まった罪人や飢えた者が勝手に千種領と梅戸領を荒らしておる。織田の領地は兵を領境に置いておることもあって近寄らぬらしいがな。


 それもあって、梅戸の者らは怒りが収まらぬらしい。当主が後藤殿の弟でなくば戦になっておったであろう。


「賊軍は恐らく千名もおらぬと思われまする。されど各々が勝手に動く分、こちらが兵を挙げると城に逃げて籠ってしまいまする」


 罵声を浴びても養子である千種三郎左衛門は淡々と答えておる。それしか出来ぬからな。少し可哀想になるわ。


「敵味方をいかにして見極めるのだ?」


「逆らうものは皆、討ち取ってしまえばいい。罪人どもなどもう要らぬわ!」


 後詰めを頼まれたとはいえ、他家のことだ。わしが口を出すことではないが、梅戸の者らは怒りで判断を誤りそうだな。根切りでもする気か? 長いこと近隣で争うていた梅戸がそれをやれば恨まれるぞ。


「皆そのくらいにしておけ。後藤殿、織田殿。情けないことだが我らはご両名を頼るしかございませぬ。いかがすればよいと思われまするか?」


 勝手なことを言い続ける梅戸の者らに苛立ちを覚えたころ、ようやく黙っておった梅戸殿が口を開いた。


 少しばかり言いたいことを言わせねば家中が収まらぬか。家臣にも気を使わねばならぬ立場なのだと察する。所領を持つ身というのは面倒なものだ。梅戸殿を見ておると所領を捨てて清々するわ。


「まずは千種殿と隠居殿の名で降伏を促すべきであろう」


 後藤殿がこちらをちらりと見て定石とも言える策を告げた。それで降伏するならば苦労も要らぬが、罪人どもと無量寿院の末寺から出てきた飢えた者らは今さら降伏などするはずもあるまい。


「織田殿はいかが思われまするか?」


 問われてから気付いた。先に後藤殿と話を合わせておくべきであったな。わしも気が利かぬ男だ。さていかがするかと思い、ちらりと横に控えるウルザを見ると頷いた。久遠家の策だと露見しても構わぬか。


「策と呼ぶほどのものではないが、ひとつある。千種殿の家臣以外は降伏などするまい。罪人は降伏したところで許されぬのだからな。ならば奴らはひとまとめにして捕らえるなり討つなりせねばなるまい」


 周囲が静まり返った。まさか金色砲ですべて吹き飛ばすとでも思うておるまいな?


「ありがたい限りでございますが……、良いのでございましょうか?」


 梅戸殿の顔を見て分かった。皆、金色砲で吹き飛ばすと思うておったらしいな。一馬が三河でやったと知っておるのであろう。


「断わっておくが、金色砲は使わぬぞ。知恵を使うのだ。まずは地図を用意してくれ」


 人のことは言えぬが、その程度の知恵だからこのような事態になったのであろうな。六角に同情するわ。




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