第千二百十八話・悩み多き六角家

Side:六角義賢


 わしの求めのままに動こうとしておった千種で謀叛との知らせが届いた。事前にその気配ありと聞いておったものの、ため息しか出ぬ。


「隠居殿は動かぬのか?」


「恐らくは……。勢い次第では加担するやもしれぬとは思いまするが、そこまで愚かな男ではありませぬ」


 蒲生下野守が懸念しておるのは千種の先代か。家督を譲り形の上では隠居してはおるが、未だ千種を動かしておるのはあの男であろう。後藤但馬守は、それはないと考えておるようだな。はてさて……。


「御屋形様、いかほどの兵を送りましょう」


 また北伊勢かとうんざりした顔をする重臣らに同意したくなる。千や二千では足りまい。あそこには罪人どもが大勢おる。さらに近隣の真宗の寺社は飢えておる。梅戸と千種でいつまで抑えられるか怪しいほどだ。


「いっそ、北伊勢は織田にくれてやってはいかがでございましょう」


 誰もが言いにくいことを平然と口にしたのは、やはり蒲生下野守だ。あそこに数千もの兵を送り、一昨年のような一揆となるかもしれぬ謀叛人らを討つなど面倒でしかない。あれとて織田がおらねばいかがなっておったか分からぬほどだからな。


「致し方あるまい。織田に出陣を求める。対価は梅戸と千種の所領でよかろう」


 ふと尾張におる時に久遠殿と話したことを思い出した。いかに物事を見ておるのかと試しに問うてみたのだ。


 『事の損得、得るものと失うものを考えます。ただし今は損であっても長い目で見て得するものもあります。あとは世評や世の流れも見ますね。六角家の立場で考えると梅戸領の扱いは難しいですよ。ただ織田は同じような時に北近江をあえて取りませんでした。負担が大きすぎましたので』


 難しい。その一言に尽きる。あそこのために頭を下げて、銭も使い兵も出した。伊勢に出る八風街道と千種街道がある故にと我慢をしたが、すでに伊勢は織田と北畠のもので手が出せるところではない。


 『今ある銭と人と時をいかに有効に使うか。なるべくなら利になるところにまとめて多く使うのが見返りは多いと思います』


 家伝であろうことを惜しげもなく答えてくれた。教えを請うたのはこちらだが、そこまで教えても良いのかと問いたくなるほどであった。


「とはいえ、我らも兵を出さねばなるまい。但馬守、二千の兵をもって伊勢にゆけ」


「はっ、畏まりました」


 最後の損切りか。六角と後藤の面目がある。政とはなんと難しきことか。




Side:久遠一馬


「要請が早いですね」


 六角からの援軍要請が早かった。謀叛発生からまだ一週間も過ぎていないし、情勢がはっきりしていないにもかかわらずに要請を出すとは。


「ぼやを大火にはしたくないからな。六角にすればやはり山越えが面倒でしかなかろう」


 信秀さんが言うことがすべてなんだろう。八風街道と千種街道。共にこの時代だと近江商人が主に使うルートになる。オレの感覚でいえば峠の山道は獣道に毛が生えた程度の細い街道だが、この時代としては価値が高い。


 当然ながら大軍を迅速に送るルートには向かないけどね。


 肝心の近江商人も以前ほどの力はない。商業はすでにこちらが圧倒的に有利なんだ。両街道をこちらと争ってまで維持する利益はないはずだ。


「梅戸、千種領にて働かせておった罪人が謀叛人に合流しつつありまする。また付近の無量寿院の末寺からも飢えた者が集まっておる様子」


 報告者は神戸さんだ。北伊勢の元国人で北畠家の血縁でもある。現在は北伊勢の織田領にて働いている人なんだ。代官のひとりで相応に身分もある。


 こちらの忍び衆の報告でも神戸さんの報告とほぼ同じ。


 元の謀叛人はそこまでの力がある者ではない。なりふり構わず人を集めても百か二百かというレベルだけど、総勢ではすでに五百人を超えているという情報が入っている。千種家の先代当主の忠治さんは動いていないようだけど、千種家でいえば家臣の大半が密かに謀叛人と通じているようでもある。


 これは、敵味方の選別が難しくて厄介だね。


「領境は封鎖しています。さらに現地で必要とあらば黒鍬兵の徴集を許してあります。今のところ領内に侵入されてはいません」


 今回は警備兵の動きも早い。前回の一揆の教訓を生かしていて、現地での即応体制をある程度決めていた。セレスの読みではこの体制で領内に侵入される前に援軍を送れるようだ。


 尾張から送る援軍は、武官と警備兵、それと雷鳥部隊を送る。一般兵は北伊勢の賦役の領民から集めることになる。彼らは黒鍬隊として定期訓練をしているので、領民兵としては悪くはない。


 武官を指揮官として警備兵は治安維持と後方での支援活動を、雷鳥部隊は医師が行なっていた衛生兵として医療活動を行う。三河の矢作川の氾濫後に創設したレスキューのような部隊だ。総数は三千から四千くらいになるだろう。


「孫三郎、敵となるところがあれば遠慮は要らぬ。たとえ坊主であろうが叩き潰せ」


「ははっ、畏まりました」


 将は今回も信光さんになった。前回一揆勢を蹴散らしたこともあるし、血縁や身分も手ごろだ。ただし今回は信勝君が副将として同行するほか、若い武士たちも同行するようだ。


 初陣組や初陣を終えても実戦経験が乏しい若い世代が結構いるんだ。オレもそんなに経験豊富じゃないけどさ。今回は実戦経験を積むにはリスクも少なくてちょうどいい機会だと判断したようだね。


 ウチは太郎左衛門さんにしようかな。北畠と長野との戦の援軍として出たけど、春たちが活躍したのであまり目立てなかったんだよね。本人は気にしていないようだけど、武功はいくらあっても困るものじゃないからね。




「一馬、なにか策はないか? また逃げ回られると面倒でならん」


 評定が終わると信光さんに声を掛けられた。


 その懸念はオレたちもしているんだよね。ゲリラ戦をされると困る。この時代でもやることだ。甲賀衆とか得意でやっているので、千種の謀叛人も知っているだろう。千種街道辺りでゲリラ戦をされたらちょっと面倒になる。


「孫三郎様、良い策がありますわ。それならば敵を一か所に集めて一網打尽にしてしまえばいいと思います」


 さてどうしようかなと思っていると、エルと顔を見合わせたメルティが口を開いた。


「集めると言うがな……」


「謀叛人が欲しがるものを与えて誘き寄せましょう。北伊勢には罪人に与える食料があるはず。あれをどこかに集めて、わざと奪うように仕向けるのはどうかしら?」


 信光さんがキョトンとした顔をした。まあ敵に兵糧を与えるとか普通考えないからなぁ。そもそも兵糧を兵站としてきちんと運用出来ているのは織田家だけだし。


 罪人の食料、この時代からしても質の悪い雑穀とかだ。それでも飢えている者にとっては喉から手が出るほど欲しいものになる。


「ただし、千種家は謀が漏れるかもしれないから気を付けてください」


 多少罠を疑っても集まるだろうな。千種家も一昨年の一揆の被害が甚大で傷が癒えていない。兵糧の蓄えは多少あるのだろうが、忠治さんが協力しない以上は出さないだろう。その下の家臣レベルだと春に植える種籾以外に蓄えがなくても驚かない。


 そう考えると、五百も集まった連中を食わせる食べ物が要るはずなんだ。


 集める場所は梅戸家と相談したほうがいいか。まさか領境の織田軍を襲うほど愚かだとは思えないし、襲うなら長年対立関係にあった隣の梅戸領だろう。


「飯を罠とするとは……」


「長々と戦をするよりいいはずよ」


 気持ちのいい笑顔を見せるメルティに信光さんが驚いている。食料が貴重なこの時代ではなかなか考えつかない策なんだろう。ただし、費用対効果で考えれば悪くはないんだけどね。




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