第千二百十七話・意地と選択
Side:千種忠治
尾張から戻った婿殿から仔細を聞いたわしは、六角か織田に降ると家中に知らせた。ところが幾人かの者が納得がいかぬ、六角と手切れにすると絶縁状を寄越した。これはわしへの謀叛と呼んでも差し支えないものだ。
「愚か者が……」
他は表立っては動いておらぬが、家中の主立った者が密かに助力しているのであろう。領内におった一揆勢の罪人どもや北伊勢の元国人や土豪にも声を掛けて一戦交えるつもりやもしれぬ。
最早、是非もなしか。
「いかがされまするか?」
問うてきた一族の重鎮は懐柔するのだろうと言いたげな顔だな。すでに主立った者で話が出来ておる様子だ。知らぬのはわしと婿殿くらいか?
「討伐するしかあるまい。梅戸殿にも後詰めを請う」
「大殿!!」
わしの言葉が信じられぬと居並ぶ一族と重臣らが驚いた。愚かな。今、六角から離れてなんとする。婿殿は帰ればいいが、我らには帰る場所などないのだぞ?
「父上、某はいかがすればよろしゅうございますか?」
家中の者との戦などあり得ぬと騒ぐ者らを尻目に、養子として迎えた婿殿、三郎左衛門が口を開いた。居並ぶ者の中には己のせいだと睨む者もおるが、婿殿はまるで眼中になく気にする様子もない。
「わしは六角に従い、六角か織田のいずれかに降る。梅戸殿と織田に知らせろ。謀叛が起きたので騒がせるかもしれぬが、すぐに討伐の兵を挙げるゆえ心配ご無用とな」
「大殿!」
わしを担いで婿殿を追い出す。意地を見せて譲歩を迫る。相手が北伊勢の者であれば、それでよかったのだ。されど、六角がそこまで甘いとは思えぬ。
「恥じるべきは一揆を治められなんだ己らだ。死にたいならば勝手に死ぬがいい」
まだ納得せぬ者らもおるが、婿殿は無言のまま頭を下げると出ていった。わしも好かぬ男だが、梅戸を潰す気などない。あの男はあの男なりに六角と千種のことを考えておるのだ。
無論、父祖伝来の所領を召し上げられることには思うところもある。されど梅戸とて同じと聞くと、世の流れなのだろうと思うしかない。さらにこの件には病の公方様も動かれておるのだ。一介の国人風情にいかにせよと言うのだ。
考えてみると北勢四十八家が一揆を抑えられずに所領を失うたときに、我ら千種家もまた所領を失うたも同然なのだ。
織田や久遠が恨めしいと思うところもあるが、あの者らとて敵はおるのであろう。強くならねばならぬのは皆同じこと。
「さあ、千種家最後の戦だ。我らの意地と覚悟を愚か者どもに見せてやるのだ」
我ながら詭弁だな。家中も治められぬ者の意地や覚悟など誰が見ようか。とはいえ、詭弁でも言わねば誰も従わぬ。長いこと共に歩んできた者たちが相手なのだからな。
悔しさも悲しさもすべて飲み込み戦うしかない。戦うしかないのだ。
Side:久遠一馬
武尊丸の初宮参りも終わった。行ったのはもちろん熱田神社だ。シンディと武尊丸は熱田に住んでいるので、当然のことだろう。
例によって餅や酒を領民に振る舞った。なんか最近、振る舞うことが多い気がするけど、そういう立場になったんだなと改めて実感する。
織田家では今年の春祭りの検討と準備が少しずつ始まっている。祭りは毎年拡大しているので、その対応と昨年までの反省から今年の春祭りをどう運営するか。考えることは多い。
また義信君の上洛の準備も進んでいる。上洛メンバーとルートの選定、宿泊場所の確保に根回しで、こちらも忙しい。
「殿! 千種家にて謀叛でございます!」
少しずつ暖かくなっていて、気分よく仕事をしていたんだけど。そんな気分をぶち壊しにする報告が入った。
「詳細は?」
「はっ、千種殿によると謀叛を起こしたのは僅かな家臣だとのことでございます」
千種さんに家督を譲った先代は動かなかったのか? 随分とあちこちから誘いや嘆願があったはずなんだけど。北伊勢を取り戻せ。そんな夢を抱いている者たちが千種家にも集まっていたはずだ。
「セレス」
「はい、千種家と無量寿院と北伊勢の末寺との領境に警備兵を増員します」
戦国時代だなと痛感する。セレスに声を掛けると、オレが命じる前に理解してくれた。頼もしい限りだ。
「念のため援軍の兵を送る支度も必要でしょう」
「そうだね。広がらなきゃいいけど」
エルも声を掛ける前に進言してくれて、家臣が各所に知らせに走った。
千種家の先代の忠治さんが裏で謀叛人と繋がっていると、面倒なことになるんだよな。北伊勢にある無量寿院の末寺には、織田によって領地を奪われたと主張する連中が入っている。そこがこれを好機だと考えて蜂起する事態も考えなくてはならない。
史実の伊達政宗じゃないけど、謀叛人と繋がっていて無量寿院もそこに絡んでいるとひと騒動あるかもしれない。まあ、そうなったら無量寿院ごと潰すしかないけどね。
懸念するべき中伊勢の長野家は動かないはずだ。先日の海祭りで稙藤さんが来ていて、無量寿院の一件などをいろいろと話している。稙藤さんいわく、話の出来るお坊さんがいなくなったと愚痴っていたくらいだ。
無量寿院とすると自分たちが動かないで、千種と北伊勢の残党で一揆でも起こしたいのかもしれない。応じる領民がどこまでいるか分からないけど。
「これから田仕事の頃でございますからな。大きな騒ぎにはならぬと思いまするが」
「懸念は北伊勢の無量寿院の末寺なんだよね。飢えているから」
先年のような一揆にはならないだろうと資清さんも言う通りで、千種の謀叛は恐らく梅戸か六角が動いて鎮圧するはずだ。懸念するのはむしろ北伊勢の織田領内の方なんだよね。
無量寿院の末寺に関しては、明け渡し前に昨年秋の収穫を全部持ち出しているし、麦を植えていた乾田も育たないようにと耕して出ている。織田ではそこまで指示を出していないけど、末寺のお坊さんや領民が無量寿院憎しで明け渡しの前に自発的にやったことなんだ。
その結果、そろそろ山菜とか育つ季節なんで今までよりはマシだろうけど、まともな収穫は今年の秋まで待たないといけない。そもそも春に田んぼに撒く種籾すらない状況だ。おそらく無量寿院が高利で貸し付けるのだろうけど。
末寺とその寺領の現状はとにかく酷い。無量寿院が自分たちの寺領で田んぼを持たない小作人とか集めて送り込んだものの、末寺にいるのは反織田で威張る牢人どもだし、なにより食べ物がない。結果として末寺から逃げ出してしまうんだ。
長い目で見て、各地の寺に対して北伊勢に人と物資を送るようにと指示も出したようだけど、人や物資を送るのだって費用がかかるし、すぐにとはいかないだろう。それらが到着する前に、末寺に入った領民が飢えてどうしようもならなくなりそうなんだよね。
現在、織田と近隣とは史実にはない経済格差がある。この時代だと武士の領地よりは寺社の領地のほうが信頼もされたし、暮らしが楽だったところすらある。
ところが無量寿院では武士の治める領地より貧しくなるという、史実とは正反対の状況になっているんだ。今のところ無量寿院の寺領は信頼までは失っていないようだけど、これからいったいどうなるんだろうね。
この辺りは史実にはない状況なだけに気を付けなくてはならないな。
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