第千二百十六話・春を待つ頃

Side:久遠一馬


 この日、評定では寺社奉行である千秋さんから、願証寺との話し合いの経過報告があった。尾張、美濃などにある末寺と寺領について、今後のことを話したいというので応じた結果だ。


 願証寺に限らず、各宗派ともに末寺の寺領は個々の寺に任せているのが現状だ。主要な街道沿いや河川の関所は手放しているものの、寺領はそれこそ千差万別になる。割と早く手放したところは、あまり税が取れなかったりするところが多い。


「願証寺は臣従するつもりか?」


「さて、それは明言しておりませぬな。ただ、こちらの決まりには合わせると言うておりまする」


 内容はこちらの統治に合わせるというもの。交渉というより全面降伏に近い。信長さんはその内容に臣従という言葉を用いたけど、寺社であるため、その言葉を避けているようだ。


 願証寺そのものは観音寺城と朝廷への献上品を年に四度ほど運んでいて、その時の交易と礼金で相応の利を得ている。寺領に関しても綿花が順調で領民の暮らしもさほど悪くはない。


「はっきり申せば、己らの知らぬところで物事が決まることが懸念となっておるのでしょう。これは大湊も同じと聞き及びまする」


 なんで今ごろになってこんなことを言い出したのか。評定衆の疑問に単刀直入に答えたのは、同じく寺社奉行である津島神社の大宮司の堀田さんだ。


 こちらとしては願証寺には気を使っているし、困っているといえば手助けもしている。ただし、無量寿院の件では自分たちの知らないうちに絶縁までいったことが相当ショックだったのだろう。


 細かいことを逐一教えているわけじゃないからな。ある意味、当然なんだけど。


「よいのではありませぬか? 多少なりとも配慮が要るでしょうが」


「そうでございますな。無下に出来ませぬ」


 尾張と美濃にある末寺の寺領を神田などを除き譲渡すると、願証寺は配下にある寺がほとんど寺領を失う。その配慮がいる。


 寺社への配慮はこの時代では当然のことだ。寺も神社も人々が敬うべきものであるとされる時代だし。神仏を信じることで人々が幸せになると考えている。また仏罰、祟りなどを恐れるからね。


「輪中の堤を整えるための力添えなどいかがでしょう。願証寺ばかりか民にも見える配慮が要りますし。あとは必要に応じて評定に呼ぶくらいでいいのでは?」


 ある程度意見がまとまったのか、オレに視線が集まったので意見を言う。発言権が高まるのも楽じゃない。


 利益になる場所じゃないから、余計に配慮がいる。賦役のノウハウ込みで資金援助による堤防工事が無難だろう。変わる尾張と変わらない寺領にも不安があるんだろうし。


 本当は川筋の整理と輪中の解消が最善なんだろうが、それはまだ無理だ。


「それにしても、一向衆がこうも変わるとは……」


 今回の一件、向こうが譲歩すると一方的に言い出してきたんだ。おかしなもんだと首を傾げている人も多い。


 現状でも昔より実入りはいいはずなんだ。その辺りは調整しているし、飢えないように食料の販売もしている。無量寿院とは天と地ほどの差があるんだよね。


 本證寺の蜂起の際に、血を流してまで止めようとした願証寺のことを織田家の誰もが評価している。そのため配慮はきちんと続けていた。


 願証寺からすると、織田領の一向宗が独自にまとまる可能性があることを避けたい思惑もあるのかもしれない。無量寿院の高田派がすでに独自に纏まっちゃったからな。


 ああ、無量寿院の元トップの尭慧さん。彼は今も尾張にいるよ。与えられた屋敷にて僧侶として祈る日々を送っているみたい。


 還俗したものの思うところがあるらしい。それにこの時代だと用事がなければ外出しないことも珍しくはない。公卿出身で身分のある人だし粗末に扱えない。織田家の宴とかには誘えば出てくるけど、あとは静かに暮らしている。


 無量寿院からは相変わらず使者が来ているようだけど、特に動きがないところを見ると戻る気はないらしいね。




「ちーち! はーは!」


「ただいま。大武丸、希美」


 屋敷に戻ると大武丸と希美が出迎えてくれた。広い屋敷を玄関まで迎えに来てくれたんだ。こういう何気ないことが嬉しい。


「ワン!」


 おお、ロボとブランカの子であるオスのふうとメスのはなが、オレたちもいるぞと尻尾を振りアピールしているので頭をなでてやる。


 風と花はもうすぐお嫁さんとお婿さんがくる。ロボとブランカは年齢的にもう子供は難しいだろう。ふたりにはたくさん子供を作ってほしいものだ。


「つめたい」


「うふふ、大丈夫ですよ。さあ、中で温まりましょうね」


 一方エルの手を握った希美は手の冷たさに少し驚いた顔をした。まだ寒い季節だからなぁ。清洲から那古野は近いので馬車の中を暖めていないんだ。それでエルの手が冷たかったんだろう。


「武尊丸も来ていたのか。大きくなったかな?」


 屋敷に入ると輝と武尊丸が並んですやすやと寝ていた。ロボとブランカはこちらにいて二人を見守るように尻尾が揺れる。


「数日じゃ変わりませんわ」


 そろそろ武尊丸の初宮参りがあるので、その打ち合わせもあってシンディが連れてきたらしい。


「いろいろ貰ったなぁ。返礼品を考えないと」


 あとシンディからは武尊丸のお祝いの目録を見せてもらう。刀とかもあるし、着物もある。あとは元気に育つようにという御札とかもあるね。


「ん……、これって」


 驚いたのが工業村一同からの贈り物だった。


「ああ、馬車から考えたようですわ。私も驚きました」


 馬の形をした四輪車と書かれている。木馬に車輪を付けたのか? 凄いな。誰が考えたんだろう。武士の子はお馬さんごっこするとか誰かが言っていたけど。それも考慮したのか?


 出来がいいようなので大武丸と希美と輝の分をシンディが頼んでくれたらしい。返礼もするけど、その前にお酒を持ってお礼を言いに行こう。直接会うのも大切なんだよね。


「ちーち、ちーち」


 目録を読んでいると大武丸が膝の上に乗ってきた。絵本も増えたなぁ。


「あれ、この絵本は?」


 大武丸が手にしている絵本に気付いた。メルティや慶次が描いた絵じゃない絵本だ。なんというか和風の絵柄にもかかわらず子供でも見やすい絵になっている。


「それは留吉と雪村殿の贈り物よ」


 作者は誰だろうと思ったらあの二人か。雪村さん、学校で絵を教えながら牧場の孤児院で暮らしているんだ。ウチの客人なんだけどね。最初に泊まって以降、孤児院が気に入ったらしい。


 昨年の末には尾張に長くいるなら屋敷を用意しようかと聞いたんだけど、孤児院で世話になりたいと言われた。


 そういえば鉛筆を気に入って欲しがっていたのであげたとリリーが言ってたっけ。この前は孤児院の子供たちと漬物つけていたとか聞いたな。子供が好きなんだろうか?


 働かせるような立場の人じゃないんだけど、本人が楽しんでいるみたい。


 清洲なんかには武士の屋敷も増えていて、掛軸や襖絵を描くために出向いたりして忙しいらしいね。


 彼もまた、留吉君と会って史実と変わった人だ。




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