第千二百十五話・共感する者たち

Side:後藤賢豊


 尾張は来る度に変わっておるな。都や畿内に倣えというなら皆も納得するのであろうが、東の尾張に倣えというのは見た者にしか分からぬことだ。


 幾人かの者は、初めて見る学校や病院に理解出来ぬと言わんばかりの顔をしておる。


「お互い苦労しますな」


「まったくでございますな」


 ふと熊野九鬼家の付き添いをしておる九鬼殿と目が合うた。困ったような顔をしておる九鬼殿を見て、わしも同じような顔をして見ておったのだろうと悟る。声を掛けると向こうもそう思うたのだろう。思わず笑うてしまいそうになったわ。


 志摩は織田に呑まれたと言うても良かろう。あの南蛮船と久遠船を見れば争うのが無理なのは童でも分かることだ。


「六角家が羨ましゅうございますな」


「それほど立場は変わりませぬぞ」


 羨ましい。本音であろうな。されど、それが六角家にとって重荷となる。一介の国人や守護代ならば、もっと楽であったろう。佐々木源氏の嫡流にして先代様は管領代となられておった六角家では、そう易々と織田に降れぬ。


 織田方がそこを理解して配慮してくれる故に上手くいっておる。争えばいかがなる? 良くて今川のように数年は対等に争うように見えるであろうな。されど……。


「海には海の悩みがあり、名門には名門の悩みがある。難しゅうございますな」


「まことに……」


 戦も変わることも臆する気はない。とはいえ変わる先になにがあるのか、闇の中を歩くような先が見えぬ恐ろしさはある。


 飢えず争わず。理想であろう。されど、織田が富めば富むほど、近隣は飢えて争うのではなかろうか? 織田はそれをいかがする気なのであろうか。


 北畠や六角のように誼を通じれば配慮しておるようだが、今川のように争えば飢えて滅ぶまでなぶるのか? 戦もせぬうちでは頭も下げられまい。いささか同情してしまうわ。


 しかし、志摩南部の熊野九鬼家が来ておるということは、捨て置いてある志摩南部を織田が押さえるのも遠くあるまいな。紀伊の熊野とて争いを望むまい。


 梅戸と千種はなんとか収まりそうだ。僅かな者が蜂起したとて大勢は変わらぬ。御屋形様は梅戸が織田に臣従をして六角との縁を深めてくれればと願っておられるが、さすがに本人には言えぬ。


 察してくれればよいのだが。




Side:久遠一馬


 後藤さんたちも気になるが、各地の情勢にも気を付けておかないといけない。


「民は素直だね」


「はっ、領境では逃げた民を返せと騒ぐ者もおります。知らぬと言うて追い返しておるようでございますが、それでは納得せぬようでございまして……」


 望月さんから忍び衆が集めた報告を受けるが、東三河に残る今川方の領地と無量寿院の寺領からは今も流民が逃げてきている。もちろん今川自体は動いていない。ただし、逃げ出した流民のいた村は黙っていない。


 ウチの小作人を返せと織田方の関所で騒いだりするらしい。血の気が多いのは領民も同じだからなぁ。人権もない時代。上下関係がすべてと言っても過言じゃないんだ。立場が低く暮らしの苦しい者から逃げ出すのは、失うものがほとんどないから当然の成り行きだろう。


 小作人を家畜か奴隷のように扱っているところがよくある。織田領でも小作人が逃げ出すなんてよくあることだ。ただ、織田領では織田家に逆らえないから逃げられた村も従っているに過ぎない。


 流民は騒ぎになるので生まれ育った領国から移動させている。三河なら美濃か伊勢、伊勢なら三河とか生まれ育ったところから離すと、仮に探しに来ても見つからないからね。


「伊勢のほうが難儀をしておるようでございます」


「坊主は己が特別だと思っているからなぁ」


 東三河は今に始まったことではない。今川が動かない以上は大きな問題はないだろう。今川領で不満が溜まっているだろうけど、こちらには関係ないことだ。


 厄介なのは無量寿院の寺領だ。上層部と末端の意思疎通がそこまできちんとしていない時代なだけに、今までと同じ感覚で大きな顔をしてトラブルを起こしているらしい。


 逃げた民を返せ。さもなくば仏罰が下るぞと、関所の兵を脅すなんて日常茶飯事だ。


 自分たちが神仏の代理人だという認識が強いことから、不満があると仏罰だとか神仏を疎かにするのかと騒ぐんだよね。彼らからすると今までの慣例を破っているのはこっちだという認識が強いのだろう。


 面倒なのは坊主は関所では無税であることから移動が容易なため、近隣にある安濃津で騒ぎを起こすことだ。


 安濃津は織田領なのですべての品物の値段は安い。ところが無量寿院の寺領では数倍から十倍以上の値になるからね。それが不満らしい。安濃津に関しては、今でも自分たちのテリトリーだと考えているようなんだ。


 織田の統治を理解していない人も多い。はっきり言うと争いが起きないほうが不思議な状況だ。


「面白い話ね」


 ただ、話を聞いていたメルティはクスッと笑うと望月さんが驚いた顔をした。まあ、この時代の人であり信心深い望月さんにはすぐに理解出来ないか。


「お方様、それはいかなるわけでございまするか?」


「神仏と坊主は別のものよ。坊主が暴れ理不尽なことをすればするほど、人はそれに気づくわ。本来、人が神仏の名を騙るなどあってはならないと私は思うもの」


 そう、困ったことであるものの、向こうから評判を下げることをしてくれるのはこちらとしては好都合でもある。


 妻たちも神仏を信じるかどうかは個々で考えがあり、それぞれに違う。オレたちの現状が奇跡みたいなものだから、ひょっとするといるんじゃないかと考えている妻もいるんだ。


 ただ、神仏と宗教が別物だというのはほぼ共通意見だ。


「なるほど。僧侶や神職も身を正すべきでございますな」


「正しき行いをしている者たちのためにも、彼らには相応の罰を与えるべきね。いずれ……」


 にっこりと微笑むメルティの笑顔が少し恐い。ただ、それが現在の尾張における主流の考え方だ。


 宗派や教義の違いで意見の対立や口論はある。でもね。戒律を平気で破って既得権だけ謳歌する坊主があまりに多いんだ。


 今までは、俗世の権力や武力との繋がりで力を持つ坊主を批判なんて出来なかった。ところが尾張では真面目な末端のお坊さんがそんな声を上げるようになったんだ。


 俗世との縁を断ち切ったはずが、断ち切れておらず寺社の中で立身出世する。人の組織としては至極当然なことだけど、真面目な人からすると面白くないことになるからね。


 寺社を維持していくには多少のしがらみは必要なことだけどさ。


 実のところ、破戒僧はあまりいい身分じゃない人が大半だ。公家や大名クラスの出家者は大抵そこまでおかしなことをしない。教養が身についているんだろう。


 国人や土豪とか村の有力者とか。あとは高僧の隠し子とか。中途半端な家柄のほうが勝手なことをする傾向にあるようだ。


 事実、安濃津でも無量寿院との商いを止める商人が続出している。こちらは織田と無量寿院が事実上の絶縁となった影響も大きいけど。


 無量寿院は、自分たちどころか宗教界の社会的地位を落としていることに気付いていないらしい。今まではそれが当たり前だったからね。


 ただ、織田領ではすでに寺社が変化を見せている。無量寿院が望むような流れにはならないだろう。


 とはいえ、この流れ。気を付けないと暴走もしそうだから注視しないと駄目だ。尾張で宗教戦争とかされても迷惑でしかない。







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