第千二百十四話・埋めようがない格差

Side:梅戸高実


 六角家でも宿老である後藤殿の様子に、世の移り変わりを痛感させられる。わざわざ他国の祭りに来て、他家の機嫌を窺わなくてはならぬとは本意ではあるまい。


 さりとて、無量寿院の現状を思うと致し方ないことか。兄上が生きておられたらと思わざるを得ぬ。


「御屋形様の真意はいずこにあるのであろうか」


 宴も終わり、あてがわれた寝所にて酒の酔いを感じつつ後藤殿と千種殿と少し話す。


 織田に倣い、国の治め方を変える。もっともなことであろう。力なくば何一つ守れぬのが今の世だ。守護を追われ領地を失った京極や土岐のことなど今や誰も気にもしておらぬからの。されど……。


「正直に申そうか。六角には最早織田と争う力はないのだ」


 その言葉に千種殿が驚き見入っておるのが分かる。わしも同じ思いだ。戦はやってみねば分からぬとまでは言わぬが、近江を束ねる六角家に争う力がないだと?


「兄上それは……?」


「織田と久遠の実入りはそれぞれに七十五万貫だという。わしも聞いてはおらぬが、六角家の実入りは二万もあればいい方であろう。たとえ六角家中の実入りをすべてを合わせてもとても太刀打ち出来るものではない」


 なっ……まさか。そこまで力の差があるとは……。


「それはまことの話でございますか?」


「公方様の御前で言うておった話だ。多少多目に盛ることはあろうとまったくの嘘偽りなどではあるまい」


 さようなことが、あり得るのか? にわかには信じられぬ。確かに六角家では宿老を筆頭に国人が大きな力を持つが……。


「もし織田と争えば、味方からは寝返る者が多く出るであろう。久遠殿への恩を感じておる甲賀と伊賀は言うまでもあるまい。北近江三郡とて織田と戦になると知れば寝返るであろうな。されど織田から寝返りは期待出来ぬ。家臣や国人は領地を持たぬからな。寝返れば無一文になるだけだ」


 分かっておる。六角が一枚岩となるのが難しきことくらいはな。されど……されど……。


「さらにだ。これは一切口外無用のことと心得よ。漏らせば誰であれ許されぬ秘中の秘のことだ。実はな、公方様は尾張を中心に新たな世を創ろうと考えておられる。勝手ばかりする管領を捨て置かれておるのはそのためだ。御屋形様もそれに同意されておる。斯波、織田、北畠、六角。ここで力を合わせて、今までとまったく違う世を考えておられるのだ」


 なるほど、おかしいと思ったのだ。わし如き国人の説得に病の公方様がわざわざ御出になられるなどあり得ぬことなのだ。何故なのかとずっと考えておったが、この話を聞いてようやく合点が行ったわ。


 公方様は織田と六角を結び付けたいということか。


「そなたらも思うところはあろう。されどな、幾度も尾張に来ておると、それもまたよいのではと思うのだ。先代様のことを思えばそなたらも分かるはずだ。今までのやり方ではこの乱れた世は治まらぬ。あるいは武衛様や内匠頭様ならば古きやり方でも治められるやもしれぬ。だがそれでは駄目だと言われると異を唱えるだけの理由がない」


 そこまで話が進んでおるのか? これでは、わしや千種殿が騒げば討たれてしまうだけではないか。


「そう思い詰めるな。家は残るのだ。それに奪われ苦しい暮らしをするわけでもない。むしろ暮らしは楽になろう」


 分からぬ。いずれが正しき道なのか。わし如きでは分からぬ。されど、梅戸は残さねばならぬ。無論、六角もな。


 春が近いというのに、恐ろしいほど寒く感じる夜であるな。




Side:久遠一馬


 海祭り二日目、今年は小早を使った模擬戦のようなものを行なった。小早を使うのは水軍から上がってきたアイデアだ。新参者にも広く参加の機会を与えたいという意見もあって実施してみたけど、思いの外盛り上がった。


 志摩や三河の水軍衆は、小早の模擬戦で自分たちの武威を見せたいと張り切っていたね。


 なかなか楽しい海祭りだった。


「熊野九鬼か。そろそろだとは思ったけど」


 そんな海祭りが終わって、佐治さんからは熊野九鬼家が誼を深めたいと言っていると知らせが届いた。


 経済・制度の格差はじわじわと国境の者たちを侵食する。漁業のための大型の網や養殖の支援もしているからね。単純に身分のある人は困らなくても、下の者たちは暮らしが違うと知ると騒ぐのはどこでもあることだ。


 臣従も念頭にあるのだろう。熊野九鬼家は志摩国の最南端であり、志摩国は現在織田が治めている。懸念は領地だろうね。損をしないと分かっていてもなかなか踏ん切りはつかないものだ。


 今日はそんな熊野九鬼家の皆さんは、六角家の梅戸さんと千種さんと一緒に尾張の見学をしているはずだ。定番のコースとなりつつある学校と病院、農業試験村や清洲を視察しているだろう。


 オレは帰りがけに熱田の屋敷に寄ってシンディと武尊丸の顔を見に来た。スヤスヤと眠る武尊丸の顔を見つつ、雑談交じりに熊野九鬼家のことを話す。


「取り込むべきでしょう。向こうも本音ではそれを望んでいますよ」


「そうでしょうね。臣従も仕方ないと家中に言える面目は欲しいモノですわ」


 エルとシンディは熊野九鬼家の取り込みについて意見交換をしている。九鬼さんはそのつもりだろう。海祭りの時にも挨拶に来てくれて紹介してくれた。


 正直、こちらから臣従しろと声を掛けることはしてないんだよね。一度それすると、今後声を掛けないと怒る人も出かねないし。


「少し利益になる話でもしてあげようか」


 まあ手はある。あまり冷遇して紀伊の熊野水軍あたりとつるんで反織田になっても困る。利益を提供してこちらの経済圏に組み込んでしまうのが一番手っ取り早い。


「久遠船の定期便を出すのがいいかもしれません。それだけで商人が行き来しやすくなります」


「そうですわね。それなら民たちにとって利は大きいと思いますわ。あそこは陸路では不便なところですから」


 定期船か。志摩では関所の廃止はしたけど、陸路はまだほとんど整備も進んでいないしね。海路のほうが盛んではある。


 久遠船の定期船。これ欲しがるところ結構あるんだよね。志摩南部もそうだけど。あっちの方だと海上輸送には相変わらず税を取るので物価が高いのもある。友好地域でもあるし、さすがに無量寿院ほど高騰もしていないけどね。


 あとは輸送の仕事でも回してあげようか。九鬼さんが連れてきたから、冷遇すると彼の面目にも関わる。頭を下げて仲良くしてほしいと言っているんだ。相応の飴は必要になる。


 困った一族が頼って来るのはウチだと望月家とかよくあるしね。気持ちはわかる。


 ただ、あの地域。そこまで暮らしに困ってはいないけどね。




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