第千二百十三話・蟹江海祭り・その三

Side:久遠一馬


 蟹江海祭りのメインは神事だけど、一番盛り上がるのはやはり観艦式だ。ウチは昨年と同じくガレオン船を三隻、キャラベル船を二隻の五隻を用意してある。


 織田家は新造キャラック船を五隻、久遠船を二十隻用意してある。まあ、見た目がキャラック船に近いというだけで中身の設計は鏡花がしているので別物だけどね。


 それと南蛮船については、織田家では恵比寿船という名称にすることになった。オレたちはあまり気にしないけど、南蛮という言葉、もともとあまりいい意味じゃないので気にする人がいたんだ。


 命名者は沢彦宗恩さん。なんでも恵比須様は鯨神でもあるようで、ウチの船にはいいんじゃないかと考えてくれたんだ。


 一部では久遠船という案もあったけど、すでに和洋折衷船が久遠船で馴染んでいるのでこちらにした。


 ガレオン船・キャラック船・キャラベル船。こちらも水軍関係者だと通じるんだよね。ウチでそう呼んでいるから。


 ただ恵比寿船の名称から個別の名まえも決まった。ガレオン船は大鯨船、キャラック船は小鯨船、キャラベル船は海豚いるか船となった。恵比須様が鯨神なこともあり、大きさと縁起がいいのとか考慮した結果だ。


 この時代の人は縁起とか言葉の良し悪しを気にするからね。みんな真剣に考えてくれた。


 個人的と言うと、そういう意見が出ることが嬉しいかもしれない。自分たちの政治を自分たちで考える。積極性はこれからのためにも本当にありがたい。


 船は織田家重臣や招待客を乗せて近海を走る。風や海流や波がある海で陣形を維持しながら走るのはかなり大変なことなんだよね。


 水軍は各地にあった勢力を織田水軍として再編しているけど、当然旧来の勢力は織田水軍の中に派閥のように残っている。


 ただ、なるべくみんなが活躍出来るようにしているはずだ。家柄や元々の力関係とか考慮はしている。まあ東三河は訓練不足で参加出来た船が少ないらしいけど。


 この時代には元の世界の軍事パレードとも言うべき馬揃えがある。あれと本質的には同じだろう。権威や武力を誇示して他国を威圧する。この時代だと情報発信は積極的にしないと伝わらないしね。


 これで伊勢三河の海の支配はより確固たるものになるだろう。




 そろそろ日が暮れる頃だが、町では夜遅くまで祭りが続く。酒も飲むし、騒ぎもするだろう。節度ある楽しみ方をしてほしいものだ。


 ウチの屋敷では、今日一日屋台を頑張った子供たちと家臣や船大工のみんなが宴をしているはずだ。子供たちにはいろんな職業の大人と交流する機会を与えたいという、リリーの考えから今年は一緒に宴をしている。


 オレは残念ながら招待客や織田家重臣の皆さんとの宴に出ないといけないんだよね。


 そんな織田家主催の宴だが、今日のメニューは魚介尽くしだ。シーフードシチューがメインにある。


「ほう、白煮しらにでございまするか」


 大きめの漆塗りの椀に入ったクリームシチューに、大湊の会合衆が白煮という言葉を使った。数年前にオレたちが伊勢神宮参拝したときに大湊の会合衆に振る舞ったクリームシチューは、今では白煮という名称で親しまれていると聞いている。


 まあ、ウチのように乳牛を飼育していないので、牛の乳が手に入る時しか作れないものらしいけど。なんでも鯛の身を上品に牛乳ベースのスープで煮た料理が誰かの婚礼で出たらしく、大湊では祝いの料理だとも聞く。


「皆、心ゆくまで楽しまれよ」


 上座の義統さんが声をかけて宴が始まると、今日は義統さんだけではなく義信君も同席している。彼は元服したこともあり、最近はこういう宴によく参加している。


 オレは元服前から割と会っていたので別だけど、大多数の人からすると今まで会ったこともない若君になるので、斯波家の跡継ぎとしてこういう席で多くの人に会い顔を売るのが彼の仕事でもある。


 身分があるし、畏まる必要もないんだけどね。それでも結構大変そうだなと思う。


「美味しゅうございますな」


 ちなみに今日のお供は資清さんだ。エルたちは参加していない。エルたちの場合は評定衆ではあるけど女性ということもある。なので家中の宴は参加することが多いけど、対外的な宴は時と場合により参加しないこともある。


 土田御前とかが参加すると出ることもあるものの、あとは招待客次第だね。今日のメンバーなら参加してもいいんだけど。ウチとしてはオレと資清さんが出れば問題ないのも確かなんだ。


 本当はウチの船を指揮するために観艦式に出ていたリーファと雪乃を誘ったんだけど、ふたりは水軍関係者の宴に出るからと来なかったんだよ。


「本当だね。癖もなく旨味が出ていて美味しい」


 シチューは魚介の出汁が出ていて美味しい。和風のシチューという感じか。ご飯によく合う。


 オレと資清さんは慎ましくしつつも料理を楽しんでいるが、周囲は少し緊張気味の人も多い。宴の席も外交の場だからね。


 六角家の後藤さん、彼もあまり顔色が良くないな。千種家に養子に入った弟さんと梅戸さんたちを連れてきているので、いろいろ大変なんだろう。


 北畠家からは鳥屋尾さんと長野さんが来ている。実は具教さん自身が来たかったらしいんだけどね。晴具さんが止めたみたい。


 ただでさえ義信君の正室を北畠家の養女から迎えると噂になっているのに、公式に当主が織田の祭りに行くと無量寿院への刺激が大きいと懸念したようだ。


 三月には義信君の上洛を予定している。出来ればその前に余計な騒動は御免だというのが織田と北畠の共通意見となる。


 正直、この時期も結構危ないんだ。無量寿院の蓄えはまだまだあるようだけど、領民が飢えるのは春の麦が収穫する前であるこの時期でもある。特に今年は無量寿院の寺領では、あらゆる品の値段が高騰していて、領民は暮らしていけないと不穏な様子になっているからな。


 無量寿院は織田が悪いと領内に吹聴して不満をなんとか抑えているらしいけど、あまり刺激したくないんだよね。


 ただ、オレたちも無量寿院ばかり見ているわけにはいかない。梅戸と千種のことも軟着陸させたいし、熊野九鬼家とか志摩南部の独立勢力とも今後のことを話す必要がある。


 この宴で少しでも好転するといいけど。




◆◆


 天文二十三年、二月。この頃から織田家の資料に恵比寿船という言葉が使われている。


 滝川資清の『資清日記』にはその経緯が書かれていて、大陸では周辺の異民族を東夷北狄西戎南蛮と呼んだことから、日ノ本では明や朝鮮以外の南から来る者を南蛮と呼び、彼らの船を南蛮船と呼んでいたが、これは蔑称になるものであり、久遠家の船に南蛮船と使うのはいかがなものかという懸念が織田家にあったようだ。


 久遠一馬は特に気にしていなかったようであるが、織田信長が師であった沢彦宗恩和尚に相談して彼が恵比寿船という名称を考えたとある。


 古くから鯨神としても崇められていて、寄り神として漂着物などを信仰したことからも久遠家の船に最適だと考えたとある。


 これ以降日ノ本では、ガレオン船を大鯨船、キャラック船を小鯨船、キャラベル船を海豚船と呼び、以後それが定着している。




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