第千二百十二話・蟹江海祭り・その二
Side:千種三郎左衛門(後藤家の弟)
「まさか、かようなことになるとはな」
織田自慢の南蛮船を見ながら兄上は苦悩の様子を見せた。千種家は北伊勢では抜きん出た家柄だ。それ故に六角家も一揆が起きた際には後詰めを送り、わしが養子として入ることになったのだが……。
北伊勢を束ねるべきは我ら千種家なのだと、今でも千種家の者らは言うておる。たとえ六角であろうと軽んじるならば許さぬとの誇りを胸に己らの境遇をなだめておったのだが、時の流れは無常だ。
最早、六角家にとって千種など重荷でしかないのだからな。
六角の御屋形様や兄上も御存じのことだが、この一年余り、わしは家中をまとめるのに苦労をした。織田に領地を追われた北伊勢の者や無量寿院の僧が、義父のところに来ては勝手なことをほざくのだ。
義父はそこまで愚かではなく聞き流しておられたが、他の者は違う。織田に不満を抱えた者がこれほどおるのだと勘違いをして騒ぐ愚か者が幾人もおった。
わしはそのような者らを諭し、時にはなだめておったが、民は素直だ。千種家は駄目だと村を捨てる者が後を絶たなかった。豊かなくらしの出来る織田領へ向かったのであろう。
このままではいかんと思うておったのは、わしも同じよ。
「あの南蛮船には乗り込むことも出来ませぬな」
斯波と織田の家紋が描かれた旗指物が幾つもある南蛮船を間近で見ると、その凄まじさを痛感する。船の大きさが違い過ぎて乗り込めぬではないか。弓矢なら届くであろうが……。
「近づくだけで金色砲と鉄砲、弓の矢弾が雨あられと降るわ。乗り込もうと近づけただけで褒美を頂けるであろうな」
兄上はわしの言葉に皮肉とも言えることを口にされた。久遠の知恵とやらもある。無策に船に敵兵を近付けまいな。
「後藤殿、千種殿。ようおいでくださりました。さっ、案内致しまする」
蟹江に到着すると出迎えとして待っておった者に案内されて町を歩く。馬も用意されておったが兄上が断った。馬に乗れぬほど人が集まっておるからな。要らぬ騒ぎを起こしたら御家の一大事だ。当然であろう。
途中、壮年の武士に出くわす。
「これは後藤殿。お久しぶりでございます、と言うほどでもありませぬが……」
「いやはや、お互い大変でございますな。ああ、ここにおるは某の弟でな。久遠家の滝川八郎殿だ」
兄上は親しげにしつつも気を使うておられる。誰かと思えば、この男が忠義の八郎か。
甲賀出身でもっとも名の知れた男だ。物腰は柔らかく、当人だけを見るとさほど身分があるようには見えぬが。周囲におるのは、皆、手練れの者であろう。
随分と立身出世をしたものよ。もっとも己の才覚で立身出世したのだ。見事と褒め称えるしかないが。
「千種三郎左衛門にございまする。お招きいただきかたじけなく存じまする」
「久遠家家臣、滝川八郎でございまする。遠いところようおいでくださりました」
兄上から幾度も言われたことのひとつに、決して久遠家を軽んじるなということがある。言われずとも他家の者を軽んじる気はない。ただ、兄上いわく久遠家を軽んじると斯波家と織田家が許さぬという。
そのような過ちを犯したのが美濃の土岐家と堺の町衆だというのだから、さもありなんと納得したものだ。
「そうでございますな、せっかくですのでまずは茶でもいかがですかな? 長旅でお疲れでございましょう」
「それはようございますな」
噂では亡き先代の御屋形様が惜しい男を出したと言われたとか。公家衆とも親しくしており、今では京の都でも名が知られるほどとか。
怒らせてはならん男のようだな。
Side:久遠一馬
海の安全と豊漁などを祈り、伊勢神宮、津島神社、熱田神社の神職たちが儀式を行う。この時ばかりは集まっている多くの人たちが静かに見守り、祈りを捧げている。
尾張、伊勢、志摩、三河と、織田領の水軍関係者が一堂に会するのはこの機会くらいかもしれない。
海にはウチの南蛮船や久遠船を筆頭に多くの船が見える。しばらく見ないうちに久遠船も増えたなぁ。近海の輸送と哨戒は久遠船が主体になりつつある。まだ志摩や東三河では旧来の和船が主体だけど。
ただ少し前から久遠船に関しては大湊からの陳情が増えた。蟹江の造船所での建造に本格的に着手した頃からも話はあったが、前にも増して欲しがっている。
だけど久遠船に関しては今も重要機密扱いで、友好関係のある大湊でさえ持っていないんだよね。
現状ではあの船の設計を鏡花がしたこともあって、織田家内でもウチの権利だという扱いになっている。無論、義統さんや信秀さんはもちろんのこと、評定衆とも相談した結果だ。
大湊は破格とも言える銭で造らせてほしいと湊屋さんを通して頼んできたけど、正直なところ賛成する声はなかった。
織田家では食料、鉄、武器、ウチの荷など、領外への勝手な販売を禁止しているけど、命令を守らない商人や寺社が領内ですらあまりにも多いんだ。
面倒なのは、悪気がない人も一定数いることだろう。長年の付き合いや血縁などで頼まれると断れない場合もある。あとは少しくらいならいいだろうという軽い考えでやっている人も相応にいる。
要は評定衆のみんなは一度でも外に出せば絶対に他に漏れると思っているわけだ。従来ならば特定の知識や技術を持つのが寺社や職人とかだったけど、今は織田家がそれを保持して守る立場だからね。元の世界でも違法な手段で他国の先端技術を盗もうとする国があったから同じことだ。
お金に困っていない以上、わざわざ技術や知識を出す必要はないだろうというのが織田家の意思だ。大湊には必要な船をこちらで手配して荷を運ぶことになっていて現状でも問題はないからね。
本音をいえば大湊の造船能力だけは欲しいけどね。これは蟹江と大野の造船所をフル回転しても余裕がないからだ。
そんな状況ではあるけど、こちらも無策ではない。船大工の育成や造船所を拡張して造船能力の拡大は順次行なっている。船大工は蟹江でウチの家臣である善三さんたちが育てていて、造船所も効率化がこの時代としては破格なほど進んでいる。
そうそう、蟹江では今年に入り仮称・水軍学校が始まった。扱いは那古野の学校の分校ということにしたけど、蟹江城の建設予定地だった場所に建設していた行政庁舎と校舎の一部が完成して目途が立ったためだ。ゆくゆくは海軍士官学校に発展するといいな。
もっとも水軍は各地の水軍の再編をしつつ教育をしているし、船大工も善三さんたちがすでにやっていたけどね。
今後は水軍と海軍と船大工の基礎教育をマニュアル化して、水軍学校で教えていくことで更なるレベルアップと平準化を図ることになる。
先日、プロイとも話したことだけど、織田領の技術レベルは工業村と船大工が抜きん出ている割に、全体の育成まではあまり手が回っていない。これには情報の秘匿という面もあるので一概には言えないものの、もう少しなんとかしないといけないことだ。
工務総奉行である義龍さんと相談しないとな。あとは善三さんと職人頭になっている清兵衛さんたちの意見も聞くべきだ。義龍さんの下に職人たちが会合をする体制を設けるべきかもしれない。
まずは蟹江に来ていることもあるし、あとで鏡花の意見を聞いておくか。
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