第千二百十二話・蟹江海祭り

Side:梅戸高実


 世の流れとは無常なのだな。蟹江の賑わいを見てそう思わざるを得ぬ。


 すまぬという言葉を御屋形様からいただき、わしはなにも言えなんだ。甥とはいえ六角家を継いだのだ。わしに謝らねばならぬとは、さぞ辛かったであろう。


 今までのように北伊勢にこだわることは難しい。六角は上様の下で新たな政を試すことになった。左様に教えられた。


 寝耳に水とはこのことであったな。御屋形様と数人の宿老と会い、六角家と伊勢の置かれておる立場を教えられた。


 織田が東海道を使えるようにしておることは、わしも聞き及んでおる。八風街道を使う商人が随分と減ったからの。


 さらに田畑が使えなんだ昨年の我が所領が得ていた食べ物が、ほぼすべて織田領から手に入れておったことも承知のことだ。商人が品物を売るのは当たり前だと思うておった己の愚かさが恨めしい。


 こちらが困らぬようにと配慮された値で必要な品を売って寄越しておったことも、他ならぬ御屋形様が織田に頼んでいたからだということも知らなんだ。


 昨年から騒いでおる無量寿院の噂は聞き及んでおる。近頃ではあらゆる品がこちらとまったく違う値で売られて困っておるらしい。我が梅戸家も危うく同じようになったやもしれんとはな。


 御屋形様からは幾つかの道を示された。


 ひとつは己の力で今のまま領地を治めること。ひとつは領地を手放して六角家に戻ること。そして最後に領地を手放して織田に臣従することだ。


 領地にこだわるなら六角家は今後一切の手助けはせぬという。六角家に戻るならば相応の地位での禄を与えると言うてくれた。織田に臣従するならば今ある所領に応じた禄になるという。北伊勢でいえば神戸家のようになるようだ。


 所領の召し上げという厳しき言葉に驚きを隠せなんだが、よくよく考えれば織田ではすでに美濃の斎藤家さえも所領を自ら献上したそうだ。六角家でも今後は家臣の所領を俸禄に変えていくことになるらしい。


 そのままわしは病である上様への目通りが叶い、労いと六角家を盛り立てよというお言葉を掛けていただいた。


 上様のお言葉を突っぱねることなどわしに出来るはずもない。されど梅戸家の者らはまた話が違う。御屋形様からは返事は急がぬ故に一旦戻り、尾張の蟹江海祭りに行き、織田のことをよく見て考えよと言われた。


 領地に戻ったわしから口に出せる限りの仔細しさいを伝えると、家臣らは途方に暮れておった。生まれ育った土地で死ぬ。それが当たり前のことなのだ。何故このようなことになったのだと憤る者もおったが、ならば独立するかと言われるとそれも選べぬであろう。


 織田の力はわしとて理解しておるつもりだ。六角家が織田との争いを避けるのも当然のことよ。


 皆、理解する故に途方に暮れるしかなかった。


 織田内匠頭様の娘が北畠家の大御所様の養女となり、斯波家の若武衛様に嫁ぐ。その知らせもまた我らには独立を選べぬことだと思い知らされた。


 この件は御屋形様が見届け人となり、六角、北畠、織田の同盟に準ずるものであるとも密かに教えられたのだ。ここで梅戸が意地を張れば御屋形様の面目を潰してしまうことにもなりかねん。


 梅戸家はなんとか六角か織田に臣従することでまとめた。ただし千種は別だがな。あそこは後藤殿の弟が養子となってからまだ日が浅い。恐らく譜代の家臣らが大人しく従うまい。御屋形様は千種が言うことを聞かぬなら放置して構わぬと仰せだが……。


 はたして、いかがなるのであろうな。




Side:久遠一馬


 二月は尾張では蟹江の海祭りがある。正直、祭り関係が一番ウチの負担が少なくなっているかもしれない。


 神事でもあることからみんな真剣だし、積極的に参加してくれるんだ。まあ海祭りに合わせて南蛮船を用意したり、屋台を出したりとか相応に負担はあるけど。


 今年は梅戸と千種を招待してある。これ六角義賢さんに頼まれたんだ。両家の者たちに尾張の様子と織田の力を見せてやってほしいと。


 この時代、他国に行くのは簡単じゃないからね。面目がどうとか考えるし、身の危険もある。だからこちらから招待すると来やすいんだ。


 あとは願証寺と伊勢神宮も無量寿院の件があるので今年も招待した。織田は寺社を軽んじていないと世に示すためでもある。


 それと新顔でいえば、熊野九鬼家からも人が来ている。こちらは志摩の九鬼家の本家筋であったところで、当主である定隆さんの息子の光隆さんが当主らしい。所領は志摩の最南端になる。志摩半島から南の熊野灘の海岸沿いはこの時代では志摩国になるんだ。


 どうも九鬼さんが誘ったらしいね。祭りに合わせて蟹江の織田屋敷では織田家主催で宴もするから、そちらに招待することにした。


 あとはまだ蟹江海祭りを見たことがないだろう姉小路さん、三木さん、京極さんと、武田、小笠原、木曽は尾張に家臣を置いているので信秀さんの名前で招待しておいた。


 この辺りは祭りを利用した外交だね。言い方が適切か分からないけど、身の丈にあった外交は必要だ。斯波家の権威と織田の力、それとウチの財力を考えるとこれでも控えめなくらいだ。


 あいにくと六角義賢さんは来られないみたいだけどね。


 実は意外なことがあったんだ。新たに従三位、右近衛大将に昇叙しょうじょされるのに合わせて義藤さんが『義輝』に改名することにしたみたい。


 史実では三好長慶さんと争っていたから幕府の再興を願って「輝」の字に替えたとも言われているけど、この世界では輝かしい未来を築くという義藤さんの覚悟の改名なのだろうと思う。表向きは病の克服を願ってという理由にしたみたいだけどね。


 昇叙に関しては史実でもあったことだし、頃合いだったのもあるのだろう。この世界の義藤さんの治世は仮初のものではあるものの上手くいっているからね。


 オレは事前に聞かされていた。いかが思うと聞かれたので返答に困ったけどね。


 義賢さんが来られないのは、これの応対があるからだ。ついでに義藤さんも朝廷からの勅使を迎えるために蟹江海祭りには来られないけどね。


 こういうところで行動力があるところは、やはり彼が史実の足利義輝なんだなと思わせる。ほんと史実の偉人は凄いなと思う。


 ただ、義藤さん。すこしばかりせっかちなんだよね。塚原さんがいるから大丈夫だとは思うけど。あまり先を急がないで欲しいところだ。


 みんなが新しい世の中を求めるようになる。遠くないうちにね。


 それまではやれることをやって待つことも必要だ。



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